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第227話 ハーピィ・イーグル

 レグルスの蜂のように鋭く刺す拳。セバスの蝶のように舞う華麗な剣技。その二つが交錯する。

 一般的に戦闘はリーチの長い方が有利だ。剣道三倍段という言葉が示す通り、武器を持った相手に素手で挑む場合は素手の方がはるかに強者でなければ戦いの結果は火を見るより明らかになる。


 現にレグルスの拳が届くよりも早くセバスのレイピアは喉元に迫っていた。攻撃こそが最大の防御。やられる前にやれ。このままではレイピアがレグルスの首を刎ね飛ばすだろう。しかし。

 ガキィィィーン!!! 火花が散った。

 ほう、とセバスを目を剥く。レグルスはセバスのレイピアの刀身を歯で受け止めたのだ。レグルスは刃を咥え込んだままニッと獰猛な笑みを浮かべる。ベコンと(しな)るように形が歪むやいなやレイピアは砕けた。


 レグルスは超人的な反射神経と繊細な身体制御によって攻撃を受け止め、驚異的な顎力によって剣を噛み砕いた。

 剣と拳が交錯したとき剣が先に敵を刺す。でもそれが受け止められたら? 必然、拳は相手に届く。

 セバスの顔面目掛けて突き進む拳は、しかし頬ふ触れる直前でセバスの空いている方の手で受け止められた。


 一流の武人同士による戦いは洗練され演舞のような美しさがある。だが忘れる勿れ。彼らは能力者だ。


 レグルスの青い両眼が淡く光る。そして顎の力でへし折り十五センチメートルほど残ったレイピアの刃を一口で丸呑みした。



「まっじィ」



 猛獣のごとき声音で唸るようにそう呟いたレグルス。まさにそれとほぼ同時、拳を受け止めたセバスの手から血が噴き出した。ブラッケストの執事として正装を纏うセバスは白手袋をしている。そこに真っ赤な血のシミができ、すぐに全体を(ひた)した。

 セバスはただちに拳を離し距離を取った。



「ほう、随分と特殊な異能力をもっておられるのですね……」



 手袋を口で引っ張って外し、細く引き裂いて簡易的な包帯とし掌を応急処置する。そんなセバスの視線の先にあるのはレグルスの拳だ。拳の骨が出っ張った関節部分から鋭利な鉄の刃が飛び出ている。刃渡り三十センチメートルはあるだろう。

 レグルスは拳から生えた刃を舌で舐めながら答える。



「食ったモンの特徴を得る能力。オレは喰らえば喰らうほどどこまでも強くなんだよ」


「敵に能力のタネを明かすのは賢くありませんな」


「意味ねェよ。どうせオレが勝つんだ。こそこそ隠しながら戦うのザコのするこった」



 拳の刃は引っ込んだ。二十一天(ウラノメトリア)の一員であることを示す黒いジャケット、そのポケットから一片のビーフジャーキーを取り出しレグルスは指で吊るして舌を伸ばし咀嚼もせずに飲み込んだ。



「エンジンかけてくぜ。簡単にくたばってくれんなよ?」



 セバスは先ほどレグルスから一旦距離を取った。およそ五メートル。その距離をレグルスはたった一秒で埋めてみせた。



「オォォラァァ!!」



 闇雲なパンチ。しかし本能で生命の危機を察知したセバスはしゃがんで頭を下げることで直撃は回避する。背後の壁は抉り取られ、人が一人通れるくらいの巨大な穴が開いた。

 牛は日本では畜産や酪農の穏やかな牧場のイメージが強い。ゆったりと過ごし牧草をむしゃむしゃ食べている姿だ。しかし、闘牛がそうであるように牛の本質は強靭な筋肉から行われる急加速と破壊力。マタドールを事故死させる牛の馬力はトラックをも凌ぐ。


 今のレグルスはビーフジャーキー、すなわち牛肉を食らった。人の身でありながら牛の嵐のような暴力を手にしたのだ。

 しゃがんでいるセバスはむしろ相手の懐に入ったこのタイミングを好機と見た。素早く貫手(ぬきて)を放ち内臓の破壊を狙う。



「やらせねェよ」



 レグルスはすぐさまセバスの手首を掴むと貫手の動きを止め、顔面に膝を入れる。額を強く打ち付けたセバスは床から生えるカプセルをいくつも割って貫通しながら弾き飛ばされた。

 セバスは床を転がりながら体勢を整え、胸の内ポケットからナイフを取り出した。武器というよりは食事用の普通のナイフだ。


 それを見たレグルスは相手の攻撃が来ると考え、割れたカプセルのガラス片を拾った。歪な三角形のような破片を口に放り込みゴクンと喉を鳴らす。


 するとレグルスの身体は透明になった。ガラスにはいくつかの特性がある。その中でも特徴的かつ人々の認識として強いのは透明である点だろう。

 大抵の場合、固体は結晶体、または結晶体の集合体であることが多い。すると必然的に結晶同士の間に境界線がある。粒界と呼ばれるその部分が光の波長次第で攪乱させてしまう。対してガラスは非晶体。結晶ではないので、結晶同士の境界線など存在しない。光を遮り屈折させるものがない。結果的に我々はガラスを透明だと認識できる。



(投げナイフでもする気かもしれねェが、今のテメェにゃオレは見えねェよ)



 どうやってセバスを甚振ってやろうか。どうやってこの戦いを自分の糧としてやろうか。そして、どうやって自分は世界で最も強い男になるだろうか。

 レグルスはウルフカットの茶髪をガシガシかきながらそんなことばかり考えていた。敗北なんてあり得ない。勝利しか見えていない。


 セバスはナイフを手にし、構えた。レグルスの姿が見えない。このままでは攻撃できない。

 だが、レグルスは侮っていた。忘れていた。セバスもまた二等級の能力者であることを。セバスの青い両眼が淡く光った。


 ナイフで空中に円を描く。フラフープくらいの大きさの円だ。普通、何もないところでナイフを振ったって風を切る音がするだけで何も起きない。近くに木の枝でも伸びていれば斬ってしまうこともあろうが、基本的には何もないし何も起きない。

 しかしながらセバスの動作はひとつの異常を世界にもたらした。円形に動かしたナイフの刃先の軌道に合わせ、何もないはずの空間に黒い線が引かれる。



「私がお仕えするブラッケスト様の面目と沽券に関わりますからな。少々手荒にいかせいただきますぞ」



 黒い線で空中に描かれたフラフープ大の円。ぼとり、と円の中の景色が床に落ちる。濁った黒で塗りつぶされたまん丸い円。奥行は見えず遠近はない。ただの平面的な壁のようにも見え、果てなく吸い込まれ続ける穴のようにも見える。


 セバスは別のポケットからリボルバー式の小型銃を取り出した。銃身は十センチメートルにも満たない。女性をターゲットに開発された護身用の銃だ。もちろん弾は実弾だが。

 レグルスは足音を立てずに移動している。仮にセバスがさっきまでレグルスのいた場所に撃っても当たらない。だがセバスの狙いは最初からレグルスではなかった。


 銃口を黒い円に向ける。迷いなく引き金を引いた。小型銃とは思えないほどの破裂するような銃声が響く。白い硝煙が銃口から上がる。銃弾は、黒い空間に吸い込まれていった。



(なんだァ?)



 訝しむレグルス。そして、咄嗟に身体を捻った。野生の勘か、生存本能の直感か、或いは偶然か。肩を銃弾で打ち抜かれる。もし突っ立っていたら後頭部から撃ち抜かれ脳漿をぐしゃぐしゃにされていただろう。

 睨むように後方を見ると、身長より少し高いところにさっきセバスが作ったのと同じ黒い円が浮いている。黒穴は二秒ほど経つと勝手に閉じた。



(オイオイ、ウソだろォ)


「よそ見をしている場合なのですか」



 さらにセバスは自身が立つ床につま先で円を描いた。今度は床に黒い穴が発生し、セバスは深淵に落下していく。今度はどんな手品だ、とレグルスが警戒していると、彼の真下にセバスのと同じ大きな黒い円形の穴が開いた。そこから手が伸びる。白い手袋からその手がセバスのものだとすぐにわかった。


 レグルスはジャケットから鶏肉のパック詰めを引っ張り出しパックごと飲み干した。いいや、『()()』という表現は適切ではないかもしれない。その肉は(にわとり)ではないからだ。鳥には鳥でもニワトリではなくワシ。鷲肉だ。


 途端、レグルスの背から毛に覆われた巨大なグレーの翼が生えた。バサァァァッッッと空気を押し上げて空中を飛ぶ。レグルスの足首を掴もうとするセバスの手は空振りになった。もし飛ばなければセバスに引きずり込まれていただろう。セバスがいなかったとしても床に穴を作られただけで落下すればどうなるかはわからない。


 レグルスはこの広い広い大部屋で天井近くまで飛んだ。彼が食べた鷲肉はただのワシではない。オウギワシ。動物の分類におけるタカ目タカ科、その中でオウギワシ単独で『オウギワシ属』という属を作ってしまった規格外の動物である。


 曰く猛禽類最強、曰く南米食物連鎖の頂点、曰く熱帯雨林の王。ギリシア神話になぞらえて海外ではハーピィ・イーグルと名付けられたオウギワシは、クマより狂暴なおよそ十五センチメートルの鉤爪、スポーツカーより早い飛行速度、入り組んだジャングルでも一切速度を落とさない高度な空間把握能力と繊細な身体操作、そして一四〇キログラムの握力を持つ。

 筋肉の塊でありながら爆発的な速度を実現したオウギワシは空を飛ぶだけでアサルトライフルの弾丸と同程度かそれ以上のエネルギーを発生させると言われている。



「小賢しい能力してやがるが、そっから引っ張り上げたらどうなっちまうのかなァァ!!」



 天井から床へと急降下。背中の翼を絶妙に操り位置や速度を調節する。そしてバケモノじみた握力と化した手を床の穴へと伸ばす。このままセバスに黒穴の中へ引きこもられていたは攻撃ができない。そればかりかこちらが一方的に攻撃されることになる。だから引きずり出すのだ。


 腕を伸ばす。だが手の指が届くあと一歩のところで穴が閉じられてしまった。



(どこだ!?)



 レグルスは地面スレスレを滑空し再び飛び上がった。キョロキョロしながらも感覚は鋭く研ぎ澄ましている。あの黒い穴は円さえ描ければ何もない空間にすら現れる。常に四方八方を注視していなかればならない。



「そこかァァ!」


「はぁッ!」



 グレーの翼をはためかせながら宙に浮いているレグルスは爪の伸びた右腕を振るった。彼の斜め上に黒い円が生じ、そこからセバスが飛び出てくる。手にはナイフ。勢いよく斬りかかったセバスに対し、レグルスは踏ん張りの効かない空中だ。オウギワシのパワーも飛行中でなければ半減、或いはそれ未満になる。


 舌打ちしたレグルスは床に叩きつけられた。床は罅割れてクレーターができる。セバスは息も切らさず着地し手をはたいて汚れを払った。

 何かよくわからない黒い生物をカプセルに入れて研究していた無菌室のような真白の空間は、二人の二等級の能力者の激突によって清潔さも安全さも破壊し尽くされていた。床から生えているカプセルはもうほとんど割れ、床や壁はぼこぼこに凹んだりタイルが捲れてコンクリートがむき出しになったりしているところもある。

 

 能力の強さだけではない。二人の根本的な身体能力の高さが、彼らの一挙手一投足を台風のように暴力的な破壊へと昇華していた。ただの素人が強い能力を得てもこうはならない。ただ殴る、ただ腕を振る、ただ地を蹴る、そうした動作のひとつひとつが余波を生み出し施設を蹂躙してしまっているのだ。

 セバスの追撃を許さないようレグルスはすぐさま立ち上がる。その眼は獲物を捕らえようとさらに鋭さを増していった。

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