第225話 執事と戦闘狂
「寒すぎんだろォッ!!」
流氷の間から顔を出し、南極拠点の裏側に回ったレグルス。こちら側はサイズの大きい流氷が多く船での侵入は困難だ。
というより、レグルス自身が運転していたクルーザーも事前に用意されたルートに誘導されていたのかもしれない。流氷などの障害物の少ないルートを選んだ結果、ちょうど南極拠点の真正面に着いた代わりにド派手でデンジャラスな歓迎にあうハメになったのだから。
這いあがったレグルスは犬のようにブルブルと身体を振る。遠く向こう側ではミモザと大量の軍人たちがドンパチしているのが見える。『やってんなぁ』と目を細めてしばらく眺める。しかしすぐに飽きた。欠伸をしながら黒いストレッチジーンズのポケットに手を突っ込んで建物の壁に前蹴りを入れた。金属の壁がべこりと凹む。数度キックを繰り返すと穴が開いた。屈めば大の大人でもギリギリ通れるくらいの穴だ。
これは能力でもなんでもない。正真正銘ただの膂力。身体能力と筋力のみでレグルスは巨大建造物の壁を穿ったのだ。
頭をぶつけないように気を付けながら闖入したレグルスは薄暗い廊下を進む。チカチカと明滅する電灯。強引に壁をぶち開けた影響で配線はイカれてしまったようだ。
長い廊下の第一印象は独房だった。共同トイレが時々あるくらいで基本的には個人の部屋がある。しかしあまりに質素で、ほとんど寝て起きることにしか使われている痕跡はない。
二、三分歩くと妙な大部屋に出た。パソコンが複数並んでおり奥の真っ暗な巨大モニターが威圧感を放っている。そばの小さなモニターだけはいくつか電源がついていて、メーターのようなものが表示されていた。針は絶えず左右交互に振れている。
機械系統に疎いレグルスは無知なりに周囲を漁ったりパソコンを操作したりしてはみたが、特に抜き取れるような情報も残っていなかった。
むしろレグルスが大部屋の中で注目したのは巨大モニターのすぐ真横にある扉だ。ただの扉ではない。まずドアノブが仰々しい。ドアノブと呼んでいいかどうかもわからない。銀行の金庫にあるような、直径四、五十センチメートルほどの金属の円盤を両手でぐるぐる回すタイプだ。
そしてそれだけ厳重に施錠されているに足る何かが扉の向こうにはきっとある。扉にはデカデカとバイオハザードマークが記されているし、表面には黄色と黒のラインが引かれていて明らかに安易に入ってはならないことを教えてくれている。
「そんでもって、つまりは逆にそこに重要なモン隠してるって言ってるようなもんだよなァ」
とても正義の組織から派遣されたとは思えないほど獰猛な笑みを浮かべたレグルスは迷いなく扉を開いた。どんな危険があっても知ったことか、と思えるのはレグルスが自分の強さを信じているからだ。
それに一番の理由は、この扉の奥から濃密な気配がする。最初にレグルスが感じ取った強者の気配。その出どころはおそらくここだ。
重たい扉を力ずくで引っ張る。ぷしゅー、と空気の漏れ出る音がする。
そこは薄暗い廊下や大部屋と違い、明るかった。電気がきちんと通っていて灯りがついていたからというのも理由の一つではあるのだが、何より特徴的なのはその部屋は床も天井も壁も真白だった。まるで無菌室のようで。
レグルスが扉をくぐると、目の前は鉄パイプと金属網で組まれた足場になっている。おそらく先ほどの大部屋にあったパソコンやモニターで何かを管理していて、研究者が直接その何かを観察するときはこうして扉を開けて足場から見下ろすのだろう。
一階から入ったはずなので、その真白の部屋は地下一階ということになる。一階と地下一階のぶち抜きフロアだけあって床から天井は高い。
さっきの大部屋はそうは言ってもいくつかある他の部屋の中で二回りほど大きかったに過ぎない。比較の問題だ。だが、この真白の部屋はその大部屋の十倍も二十倍も広い。白という色が余計に広く感じさせる。
レグルスがその部屋を見下ろすように見渡すと、床にはびっしりとカプセルが生えていることを確認できた。高さは三メートルほどか。床から天井までは二階分の高さがあるので距離の感覚が狂いそうになるが、目測としてはそんなところだ。
そして白い部屋だからこそカプセルの中身は一際目立っていた。黒い塊が浮いている。カプセルは何らかの液体に満たされていて、その中でプカプカと浮いている。
そんなカプセルが等間隔に、びっしりと。ざっと数百はあるだろう。カプセルやその中身の『何か』には床や壁から生えているチューブが接続されている。コードやプラグが絡まり合うように一面に無造作に広がっている。
「ありゃなんだ……。ヒトじゃねぇな。人型ではあるが人間よりはデケェ。黒い身体は……金属か? 生物の皮膚には見えねぇな。それに眼が両方とも複眼になってやがる。で、尻尾もあんのか。ヒトでもねぇ、ムシでもねぇ、んじゃ何だ」
柵を乗り越え、数メートルの高さを飛び降りる。足場からではどうしても距離があってつぶさな観察は難しい。そしてカプセルの中身をまじまじと眺めているときだった。強烈な殺気が背後から迫る。
レグルスがしゃがんだのは本能だった。視覚情報でも聴覚情報でもない。さっきまで観察していたカプセルは斜めに亀裂が入り中の液体を零しながら割れた。黒い『何か』もどろりと床に落ちる。しかし息はなく、ぐったりとしたまま動かない。
気色の悪いその黒い『何か』には目もくれずレグルスは回し蹴りを放った。だが力を込めた重たい一撃は軽々と受け止められている。
「テメェ、【漆黒の近衛兵団】だな」
「お初にお目にかかるはずなのですが……はて、どこかでお会いしたのでしょうか?」
「散々資料で見たからな。ブラッケストには最低一人そばに【漆黒の近衛兵団】がいることは知られてるが、その中でもテメェがいることが一番多い。そんだけだ」
タキシードスーツを着た白手袋に白髭、そして白髪の男がレイピアでレグルスの足裏を受け止めている。それも片手で。背筋はピンとまっすぐ伸びていて、老人であることを忘れさせる迫力がある。
「このような状況で恐縮ではございますが名乗らせていただきます。【漆黒の近衛兵団】が一人、そしてブラッケスト様には執事としても仕えさせていただいております。セバスと申します」
「オレはレグルス。通りすがりの戦闘狂だ」
セバスのレイピアで受け止められた右足を軸足とし、レグルスはさらに身体を捻ってジャンプしながら左手での回転蹴りを放つ。狙うのはセバスの首。瞬時に反応したセバスは空いている方の手でそれを防いだ。
さらにレグルスの足首を掴み、壁に向かって放り投げる。並んでいるカプセルを何台も突き破り中身を床にぶちまけながら壁に叩きつけられて止まった。カプセルのガラス片がレグルスの服を裂き皮膚からは赤く血が滲む。
「いってぇなァァァ」
「外には大勢の兵を用意させていたのですがね。はてさてどこから野犬が入ったのやら」
「アァ、それならクソガキを置いてきた」
レグルスは傷などなんでもないかのように立ち上がり首の関節をゴキゴキと鳴らす。セバスはレイピアを納刀しタキシードの埃を払いながら言った。
「それならば、急いで私を倒さねばなりませんな。子供一人でどうこうできる戦力ではなかったでしょう?」
「どうだかな。案外オレよりも狂暴だぜェ? あのガキは。それよりも今は何も気にせずにオレで楽しめよ、ジジィ」
拳を固く握り構えるレグルスを見てセバスも溜息をつく。白手袋をきつくはめ直す。
「では僭越ながらこの私がお相手つかまつりましょう」
レイピアを抜いたセバスの青い両眼が、床を蹴り拳を振り上げるレグルスの青い両眼が、両者互いに淡く光る。
セバス:初登場は第27話。そのほか、第41話、第77話などに登場しています。