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第223話 もつれて、結んで、繋がって

「ククッ、量子もつれ。空間を超え、二つの粒子は時間も空間も超えて相互干渉を起こす」


「アカツキ、どうかしたの?」


「いいや。なんでもない。よく見ていろ。この勝負、美咲が勝つぞ」



 待機室のスクリーンの前でナツキは自信ありげに呟く。その赤い右眼は淡く光っている。

 量子もつれとは、現代の科学、特に力学等の分野では今でも説明がつかない現象だ。遠く離れた二つの空間であっても、そこに存在する二つの粒子は互いに影響し合う。力学的に互いに干渉し合えるわけがない場所にありながら何故かコインの表と裏みたいに結びついている。二重スリット実験などは有名だろう。古典力学的な時空間の定義では一切説明不能な現象である。


 ナツキはこれを利用した。待機室とコロシアムという別の場所、さらには霊魂という物理的に此処とは異なる空間。『夢を現に変える能力』によって量子もつれを自在に操り、美咲に干渉したのだ。


 砕け散る犬塚の氷塊を見届けるナツキの表情に心配は不安というものはもはやまったく存在しなかった。



〇△〇△〇



 氷の崖は破壊した。腹に刺さっていた氷の塊も引っこ抜く。しかしそうなると、美咲は高所で放り出されることになる。

 腹の風穴は大きい。意識もそう長く続きはしないだろう。それでも歌う。美咲は『サマー・ホワイト・パウダー』の二番を歌い始めた。



(だって、暁が褒めてくれた曲なんだから!)



 マイクが集音した音は掌で指向性を伴って鳴る。美咲は両掌を床に向けて音波を増幅させた。すると、空中でホバリングするのに成功。はるか下方にいる犬塚を遠く見下ろせる高さだ。


 犬塚は舌打ちをすると、再び腕を振るった。先ほどの氷塊による崖は必殺技でもなんでもない。彼ほどの能力の使い手からすれば、通常攻撃のようなものだ。

 美咲を穿ったときと同じくらいの高さで、それでいて倍以上の広さでもって氷の荒波が宙に浮く美咲に襲い掛かる。


 それを美咲は血みどろの手で受け止めた。



(水中での音の伝達速度は空気中の倍以上!)



 血液という水分が音の伝達を向上させ美咲が掌で触れたそばから氷は砕けていく。豪快に。盛大に。右手を後方斜め下に向けて宙を舞う姿勢を維持したまま左手で氷に触れて砕く。氷の礫や氷柱が幾本も射出されれば、今度は左手を真下に向けて音を噴射し高度を上げながら回避、そのまま右手を向けて音波で撃ち落とす。


 腹から止めどなく溢れる血、炎みたいに鮮やかな赤い髪。今の美咲はまるで、氷の銀世界に舞い降りた炎の妖精のようだ。宙をひらひらとダンスのように器用に舞い、美しい歌声を響かせ、氷を一切近づけない。



「嬢ちゃん、これならどうだァ!!」



 そんな美咲を氷の膜が覆った。空中で、直径二、三メートルほどの氷の球ができあがる。その中に美咲は閉じ込められていた。

 重力に引かれて氷の球は落下する。彼女の能力は音、すなわち空気の波を利用する。空気を遮断された空間では能力は弱体化されるし、仮に助けを求めて叫んでも誰も聞こえない。完全に密閉された氷の牢獄だ。


 だが、しかし。美咲は歌うことをやめない。そして氷の球の内側で、そっと手を触れた。

 ピキッ……と氷球に罅が入る。



「んなバカなことがあるわけ……」



 唖然とする犬塚。だが、罅は大きくなり続ける一方だ。



「何が起きてるの?」



 スクリーンで観戦しているスピカが尋ねた。別に誰かが答えられると思って言ったわけではない。ただ沸き上がった純粋な疑問を口にしただけだ。しかし思いがけず、ナツキはその仕組みを看破した。



「ククッ、これは面白いな。超伝導スピーカーか」


「超伝導スピーカー?」


「まあただの氷だから正確には劣化版だけどな。超伝導は知ってるだろう? 絶対零度になると電気抵抗が消失して金属が浮くっていう、リニアモーターカーにも使われてるアレだ。昔オーディオ機器で超伝導が流行ってな。たしかクライオ処理って言ったか。音質が良くなるってことでスピーカーをキンキンに冷やしてたんだよ。どこまで効果があるかは当時から眉唾だったが、温度が下がるにつれて電気が通りやすくなるっていう点だけは電磁気学的に事実だ」



 電気の流れは電子の運動。その通り道となる金属の粒子は結晶構造を形成していて、温度が高いとエネルギーが大きくなる分、勝手に動いてしまうので正確な結晶の位置にない。逆に温度が下がると粒子の動きは減って正確な結晶構造を作る。



「つまりだな、美咲は掌のスピーカーをわざと氷の球に当てているんだ。そして冷やしている。手もかなり冷たいはずだが……今、美咲のスピーカーは彼女の歌声は純度一〇〇パーセントで伝導している!」



 ナツキの指摘は正しい。現に美咲の指や掌は霜焼けと低温火傷を併発し、真っ赤に腫れあがって皮はべろべろに向けている。感覚などとうに無い。

 それでも美咲は続ける。大好きなナツキのために。


 彼女が氷に触れている理由は温度を下げることともう一つあった。それは音を空気ではなく氷そのものに伝達させるためだ。

 音とは波であり振動。マンションやアパートでは上階の足音などの騒音がたびたび問題になっているが、実は犯人は真上ではなく斜め上の部屋だった、というケースも多々ある。これは音が床(自分からすれば天井)からいきなり空気に放出されるのではなく、壁を伝って遠くまで行ってしまうからだ。


 美咲の狙いはそれと同じ。氷の膜そのものを振動させ、割る。さながらソプラノ歌手が甲高い声でワイングラスを遠くから割るように。


 氷の球はシャボン玉みたく衝撃を与えた点から広がるように割れていった。犬塚はその光景に、敵ながら天使の誕生を幻視した。まるで卵から天使が産まれ出でたかのようだ、と。


 真っ赤な天使は歌う。痛みも苦しみも全部を愛で包んで、聴いてくれたみんなを笑顔にできるように。

 真っ赤な天使は翔ぶ。掌を再び床に向けて音を噴射し高く高く天井すれすれまで昇る。

 真っ赤な天使は下す。急降下とともに掌を犬塚へ向け、最後の一撃を下す。



「嬢ちゃん、お前さんの勝ちだ」



 命までは取りはしない。慎重に掌の向きと位置を調節し、犬塚の右腕を音波が吹き飛ばした。凍てつく世界で犬塚は白い息を吐きながら、意識を失い仰向けに倒れた。

 着地した美咲は片膝をつく。歌はまだ終わっていない。最後のサビだ。震える脚に鞭を打って立ち上がる。

 最後に立っていたのは、美咲。雲母美咲。



『決まったぁぁぁぁぁぁ!!!!! 最後の最後に勝利を掴んだのは我らが歌姫ミサキ・キララだぁぁぁ!!!! 派手で美しい氷の演出の中でどうなることかと思いましたが、やはりトップ歌手の独壇場! 高らかに最後まで歌い上げましたぁぁぁぁぁ!!!!!』



 実況による勝利宣言の直後。ちょうど美咲はサマー・ホワイト・パウダーを歌いきった。歌い終えると同時に、美咲もまた倒れる。

 腹には巨大な穴が開き、大量の失血。当たり前だ。いつ死んでもおかしくない。実際に貫かれた直後は棺桶に片足を突っ込んでいただろう。それでもナツキへの愛と『雲母美咲』としてのアイドルの誇りが彼女を奮い立たせた。


 シアンの用意していた大勢のスタッフが二台の担架を持ってコロシアムに入って来た。その後ろに続いてナツキも。

 担架に犬塚が乗せられた。救護スタッフは耳につけたイヤホンマイクでシアンと通信をしている。



『私たちのために命を懸けて最後まで立派に戦った戦士です。絶対に救いなさい』


「イエス、マイロード」



 片や、美咲は担架に乗せられていなかった。ナツキが救護スタッフを追い返したためだ。下手な医療機器よりもナツキの能力の方が確実に助かる。

 銀盤に倒れている美咲はナツキを見つけるとそっと震える手を伸ばした。グローブの掌のスピーカーは負担に耐えられず焼き切れていた。ナツキは美咲の手を取る。強く握る。



「……暁、私……の、ス……テージ、どうだっ……た……?」


「綺麗だった。美咲、お前は世界一のアイドルだ」


「そっ……か……クスクス、でも惚れちゃ……ダメよ……私、アイドルなんだから…………うそ……好き……暁が好き……だから……惚れても……別にいいんだからね…………」



 息が荒く、心臓の鼓動も弱い。血を流しすぎた。意識ははっきりとしない。視界もぼやけている。今際(いまわ)の時を過ごしている。

 ナツキの赤い右眼が光った。アルクレピオスの杖。あらゆる怪我も病も直す逸話。青白く発光したヘビがナツキの肩から繋がれた二人の手を通り、美咲の腹へと収まっていく。小さな青い発光の後、腹は何事もなかったかのように塞がった。へそ出し衣装だからこそ彼女のすべすべとした白い肌の綺麗なお腹がよく見える。傷一つない。


 怪我は痕すら残さず完治したが失血多量で貧血状態なので意識はまだ戻っていない。綺麗でかわいい寝顔だ。ナツキは『よく頑張ったな』と小さく囁き、そっと美咲の頭を一度撫でてやってから抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこをして、待機室へと戻るのだった。

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