第222話 アストラル
生まれは京都。大日本皇国の首都。両親は厳しく、勉学はもちろん伝統舞踊や華道など習い事の多い幼少時代を送っていた。
あるとき、両親がいない隙にこっそりとテレビを観たことがあった。別に何か好きな番組があったわけではない。そもそも好き嫌いを語れるほどテレビを観させてもらえなかったのだ。そこで偶然アイドルのステージを目にした。彼女は自由に歌い、踊り、テレビの向こうの私にも本気の視線を送ってくれた。
アイドルがかわいいとか華やかだとか、そういう部分に魅かれたというのも間違ってはいない。でも私が一番憧れたのは自由に表現し発信し、見ている人を笑顔にさせたり感動させたりする在り方。鳥籠に閉じ込められている私にもアイドルたちの歌声は届いた。
ああ、いつか私も自由にステージで歌い踊りたい。私みたいに苦しい思いをしている人を私の歌でたくさん笑顔にしたい。アイドルが私の夢に変わるのにそう時間はかからなかった。
中学に上がると同時に家を出た。履歴書を東京都の事務所に送りまくり、寮がある事務所に所属することになったので、両親の反対を押し切って一人で飛び出すリスクはあまりなかった。
そして私は瞬く間にスターダムを駆けあがった。大人たちが言うには、私の歌、踊り、容姿、身体は業界の中でもトップクラスらしい。
でも私とユニットを組んでいた二人は私に嫉妬した。汚い手を使って私を蹴落とし、或いは自分だけ甘い汁をすすり、そして私は居場所を失った。事務所もやめた。
もっと歌いたい。私の音楽を届けたい。真っ暗闇の世界で私はもがき苦しんだ。鬱屈した精神状態がますます私の心を追い詰める。次第に声がかすれていき、歌なんて到底歌えなくなった。お医者さんの診断によると心因性のストレスが原因なのでどうしようもないらしかった。
音が……声が……届けたいのに……。涙で四方を塞がれていた私を救ってくれたのは今の事務所のみんな。社長もマネージャーも私を支えてくれて、一緒に悩んでくれて、気が付けば私は前の事務所にいたときよりも上手に歌えるようになっていた。マネージャーさんが言うには人生経験が増えて表現の幅が広がったからだって。苦しかった時間も無駄じゃないと慰めてくれた。
でも、声が出なくて苦しんでいた私に神様がもたらしてくれたのは優しい人たちだけじゃなかったのだ。ちょうど同じ時期、私の眼は緑色になった。
歌えないなら、声を届けられないなら、もう死んでしまいたい。そんな風に考えていた私は特殊な異能力に目覚めた。小さな音も増幅させる能力。かすれるような汚い歌声も爆発的に膨れ上げさせる力。私の願望は望まぬ形で叶えられたのだ。
もし今の事務所のみんなに出会っていなかったら。きっと私は怨嗟に満ちた汚い歌声を撒き散らす騒音になっていたと思う。自分すらも傷つける能力。ある意味では自傷気味だった当時の私にぴったりだなと、今なら思えるけれど。
新しい事務所、新しい大人の人たち、新しい仲間たち。新たなスタートを切った私はソロアイドル歌手として大ヒットした。前の事務所のときも『ちょっとは売れたかも』なんて思っていたが、その比ではない。毎日のように音楽番組に呼ばれ、レコーディングがあり、週刊誌が付きまとうようになった。
そうして露出が増えれば、必然的に私が能力者であることはバレる。ある日、事務所の人が用意してくれた自宅に帰ると授刀衛と名乗る組織の人間が立っていた。彼らはいくつかの資料と契約書のような書類を持ってきた。
曰く、この国で能力者となった者は授刀衛に入り、聖皇陛下とお国のために戦わなければならない。さもなくば諸外国の餌食とならないよう、国外移動は厳禁で生活や資金を徹底的に監視と管理される家畜のような生活をするか。
選べと言われた。私はアイドルを続けたい。当然後者を選んだ。窮屈で不自由なことは多かったが、アイドルを続けられる幸福に比べたらなんてことなかった。五月にあった中学校の修学旅行は海外で、本当は行きたかったけれど仕事があると嘘をついて欠席させてもらった。
そんなときに海外での公演が決まった。社長もマネージャーも後輩たちも自分のことみたいに喜んでくれた。でも私は海外にはいけない。そんなとき、星詠機関が日本支部を作るという話を聞いた。国連の組織でパスポートがなくとも世界各国を行き来する権限がある星詠機関に入れば、それを利用して海外公演も許されるはず。
絶対に試験にパスしてこの組織に入ろう。そう心に誓った。そうして採用試験に臨み、出会ったのが同じ中学校の一個下の学年の、黄昏暁という男の子だった。
〇△〇△〇
はっきり言って私にとってこの異能の力は枷だった。海外に行きたいのに行けない。戦いなんでしたくないのに戦わないといけない。こんなもの、アイドルの私にはいらない。でも星詠機関に入るにはこの能力でライバルを倒さないといけなかった。
暁は、私を肯定し応援してくれた。夢を追う私を受けいれてくれた。敵に捕まったときは、助けにきてくれた。年下の男の子にこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど、私にとって彼は白馬の王子様だった。
彼と一緒に星詠機関に入ったはいいけれど、やっぱり私は役立たずだ。いつも肝心なところは暁任せで。空川先生をロシアに助けに行ったときだってそう。まさか暁の知り合いがあんなにスゴい人たちばかりだなんて思わなかった。二等級やら三等級やらがいっぱい……。五等級の能力者なんて暁の周りにはいない。
ロシアでも敵は自分より高い等級の能力者ばかりだった。いつも私は弱かった。初恋の男の子の力になりたいと願っても私のちんけな能力じゃ何の意味もない。
あれだけ枷だなんて言って憎く思っておきながら、今度はその能力がもっと強かったら、とワガママな思いを抱いてしまう。
いつか暁の力になりたくて。今度は、隣に立って一緒に戦えるように。守ってもらうのではなく対等の存在として。
夏馬と訓練に励んだ。格闘術、能力、とにかく多方面に自分を鍛えた。
あるとき、だぼだぼの白衣を纏った長い黒髪の女の子に話しかけられた。
『きみは黄昏暁の力になりたい?』
『誰よあんた』
『いいから。答えてよ』
『なりたいわ。なりたいに決まってるじゃない! 何度も助けてもらった。何度も足を引っ張った。そんなのもうイヤ! 今度は私が彼の隣に立つ! 背中を任せてもいいって思ってもらうっっ!!!』
『うんうん。よく言ったね。そんな立派なきみにこれをあげるよ』
『これは?』
『イギリスのとある場所で開催される戦いの招待状。そこに黄昏暁がいる。あと一人、彼とともに戦えるくらい強いヤツが必要なんだ』
〇△〇△〇
ヒュー、ヒュー、と気管から空気が漏れる。どうやら内臓だけでなく肺まで潰れているらしい。声なんて出やしない。意識は朦朧とする。腹には氷の冷たい感覚がある。手には血の生温かい感覚がある。
(あーあ、暁にこんなみっともないところ見られたくなかったな……)
一人の女の子として、へそ出し衣装を着ておきながら腹を貫かれるのは恥ずかしい。好きな男の子にはもっと綺麗な自分を見てほしい。
一人の能力者として、格上相手とはいえ敵に敗北するのは恥ずかしい。好きな男の子に背中を任せてもらえるような強さがほしかった。
自分はまた役立たずのまま終わるのか。等級の低い弱小能力者らしく強者に蹂躙され彼への想いも諦めないといけないのか。
(私は敗者だ……。恋でも負けて、戦いでも負けちゃった。暁。黄昏暁。私の好きな人。……ごめんね、役に立てなくて)
瞼が重たくまばたきすらもできない虚ろな瞳。そこに一筋の涙が伝う。
命の灯火が消えていく。瞼がゆっくりと閉じられていく。意識が肉体から離れていく。
霊魂となった美咲はまるで幽体離脱するように身体から抜け出した。天国に行くでもなく、地獄に行くでもなく。眩しい真白の空間に美咲の魂はいた。
『ククッ、俺一人でもこの世界に来られるとはな』
『あれ? 暁がどうしてここに。私は死んだんじゃ……っていうか裸!?』
距離の感覚のない果てなき白い空間に、半透明な身体で全裸の美咲とナツキが浮いている。美咲の炎のように真っ赤な美しい髪のおかげで大切な部分は隠れているが、互いに霊魂となっているので衣服は一枚たりとも纏っていない。
『いいや。美咲、お前はまだ死んでいない』
『そっか……。でもあんなザマじゃ私の負けね。ごめん暁。私、あんたの力になりたくって……一緒に戦いたくって……いっぱいいっぱいね、特訓もしたんだよ。だけどダメだった。やっぱり私じゃ……ひゃっ!?』
霊魂なので皮膚感覚も温度感覚もない。でも交わりは理解る。霊体のナツキはスー……と空間を移動し、美咲の抱き締めた。ただでさえ裸で恥ずかしいというのに、好きな人に抱かれるなんて。美咲は頬を紅潮させる。そんな彼女にナツキは囁いた。
『ありがとう。その気持ちは嬉しい。だがな……。俺の知っている雲母美咲はもっと諦めが悪いと思うんだがな。周りのアイドルや大人たちからは裏切られ、欲しくもない能力に覚醒し、それでもなおファンや支えてくれる今の事務所の人のためにがむしゃらに頑張る。そして願いを叶えてみせる。自分だけでなく誰かのために……誰かを幸せにするためなら決して諦めない。どんな厳しい状況でもクスクス笑って最高の偶像で在り続ける。それが雲母美咲だろう?』
『そう……そうよ……私は雲母美咲。みんなに歌を届けて笑顔になってもらうためならどんな苦しみもいとわないアイドルのトップオブトップ。クスクス、恥ずかしい格好しちゃってる情けな~いあんたに、微笑んであげる勝利の女神!』
ナツキはそっと美咲を突き放した。その表情は穏やかだ。この空間ももう長くない。音は聞こえない。だが、美咲はナツキの口の動きを見た。
『行ってこい。頑張れ』
それだけで充分だった。恋する乙女にとって、好きな人の応援ほど力になるものはない。ギリシア神話では、愛を司るエロスという神がいる。エロスとタナトス。それはすなわち生と死の象徴。
美咲が胸に抱くナツキへの愛が、生命へと変換されていく。
氷を掴む美咲の指に力が入る。それを目にした犬塚は眉をひそめた。身体をこれだけ損傷してまだ息があるのか、と。
「私は……」
血液がべったりと付着した美咲の手、氷、氷崖。ゆっくりと少しずつ、でも間違いなく確実に、それらは振動を始めた。
「私は、私は雲母美咲だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」
美咲の耳に装着している小型マイクはたしかに彼女の叫びを聞いた。音を掌のスピーカーへと送信する。光を取り戻した美咲の美しい緑色の眼が強く輝く。掌から放たれた音は爆発的に増幅された。
バリンバリンバリンバリンバリン!!!!!!!
氷の山は、崩れ落ちた。