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第221話 コキュートス

 美咲の『音を増幅させる能力』は五等級という等級の低さも相まって非常に使いづらい。後ろ向きに喋ってもある程度会話ができるように、音とは多少の向きはあれど基本的に同心円状に広がる。美咲がやたらと能力を使ってしまうと周囲の味方すらも巻き込む恐れがあるのだ。それどころか美咲自身でさえ。


 そんな自爆技のような能力をより上手く使うため星詠機関(アステリズム)に正式に加入した美咲はオーダーメイドの武器を作ってもらった。ショッピングモールでナツキとともに鳥男と戦ったときに使っていた銃型の指向性スピーカーだ。

 指向性スピーカーは元々家電メーカーで臨場感のある音楽体験を売りにするためテレビ等の分野で研究が進んでいた。それを応用し小型化することで利用したのだ。



「掌のそいつはコイルか」


「ま、すぐバレるわよね。そう。別に大した仕組みじゃないわ。私の声を拾ったマイクが音を送ってここから出力されるだけ」



 手袋の掌の銀色の円のようなマークの正体は何十回何百回も巻かれた銅線だ。そして手袋は手だけでなく肘のあたりまで覆っており、その下に受信機やコードを隠している。



(そもそも私の性に合わないのよ。銃の形なんて。だってそれは命を奪う音がするから)



 美咲は優れた音感を持っている。そして音を聞けば景色が見える。感情が伝わる。共感覚に近いものとも言えるかもしれない。かつてナツキとともに夏馬と戦った際、ボウガンから放たれて矢の音に恐怖し立ちすくんだことがある。それは矢の空気を切る音が命を奪う残酷な音だったからだ。


 彼女の本質は戦闘にはない。今まで中二なバトルアニメを大量に視聴してきたナツキと違って誰かを武力で倒すことに忌避感がある。美咲が本当にしたいこと。心から憧れたこと。それはアイドルとして自分の歌声や音楽を世界中の人に届けることだ。故に彼女の本質はどこまで行ってもアーティストなのである。

 だからこそ銃という武器の象徴のような形をしたスピーカーはずっと苦手意識があった。実際、鳥男との戦闘でもまったく当たらなかった。



(でも手なら。私は片手でマイクを持って、空いたもう片方の手では振り付けをする。流れる音に合わせてダンスをする。そう、この掌も私にとっては応援してくれる人たちに音楽を届ける身体の一部!)



 だから外さない。確実に音を届ける。たとえ十二本もの氷柱が高速で射出されても美咲は寸分たがわず音を当てる。音楽を届けることこそが彼女の本懐。



「お客さんが入っていないのは悲しいけど……。クスクス、あんたみたいなヨボヨボのおじいさんにも聴こえるように精一杯歌うわ!」



 美咲は両腕を後ろに向ける。そして一回深呼吸。



「開幕はこの曲! 『サマー・ホワイト・パウダー』」



 この夏、世界を席巻した彼女の代表曲。夏の白い砂浜で心を通わせる男女を歌ったサマーソングだ。美しい歌声がコロシアムに反響する。そしてしっかりと彼女の口元にある小さなマイクは音を拾い、掌から音、すなわち空気の波を噴射した。それが美咲の能力によって増幅される。


 ズンッ! と地面を蹴った。美咲は後方向に噴射される音波によって急加速を図る。摩擦を軽減するため床には接触しない。数センチメートルほど宙に浮き、あとは音波に乗って空を飛ぶように速度を上げていく。



(チッ、ちとまずいな。この嬢ちゃんが初日にコロシアムに登場したとき天井を突き破って来やがった。もしあのときも能力を使っていたとしたら、俺の身体なんて簡単に風穴が開くぞ)



 至近距離で美咲の掌の音波を受けるわけには絶対にいかない。そのためにはまず接近を許してはいけない。

 犬塚が手を高く振り上げる。するとその動きに合わせて床から氷の壁が生えた。犬塚と美咲の直前上に遮るように、一枚二枚三枚……十五枚もの氷の壁が等間隔に立ちはだかった。高さにしておよそ二メートル。厚みは十センチメートルほどだろうか。


 美咲は歌うことをやめない。『しゃらくさい!』と心の中でだけ叫び、後方に向けている手の片方を前方に突き出す。



『ミサキ・キララのヒット曲歌唱が始まり、テレビの前で皆さん大騒ぎのことと思います!! しかーーーし大ピンチ! このままでは歌姫は氷の壁に激突してしまいます!』



 仮に勢い任せに突っ込んで一枚の氷壁を突き破っても、同じ厚さの壁があと十四枚残っている。犬塚はひとまず美咲の機動力を止めたと確信した。しかし。

 片手を美咲は氷壁の一枚目に向けて掌を軽く当てる。そして掌のスピーカーから流れる音波を急激に増幅。空気の爆発となる。音の波はWi-Fiのマークみたいなものだ。出発点は小さいが、遠くに広がるにつれて横幅も大きくなる。



(届けぇぇぇぇ私の歌ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!)



 一枚目の氷壁は小さな穴から砕け、二枚目の氷壁はそれよりも大きな穴を作り、三枚目の壁はもっと大きな穴を……。そして十五枚目に到達する頃には音波は空気の鞭となり、犬塚もろともコロシアムの壁に叩きつけた。

 ちょうど一番のサビを歌い終えた美咲は無人カメラに向かってウインクした。



「……ったく、イマドキの嬢ちゃんはどいつもこいつもカワイイなりして狂暴だな。こりゃ俺もあまり手を抜いている場合じゃないらしい」



 トドメを刺すため肉迫する美咲。二番のAメロを歌っているところだ。犬塚は彼女が到達する前にぶんと腕を振った。氷柱、氷壁ときて今度は何だ。美咲は警戒しつつも、持ち前の勢いの良い性格もあってこのまま突っ切る覚悟でいた。



(さぁなんでもきなさいよ!)



 柱? 壁? そんなチャチなものではなかった。まるで聳え立つ山。明確な形を説明することはできない。なぜなら膨大な質量の氷の塊でしかないからだ。

 犬塚を出発点とし、雪崩のように莫大な氷の塊が波のように襲い掛かる。ピキピキピキと何もない空気中に氷が生じる。視界が全て半透明な薄い青色の氷に染まっていく。

 コロシアムの天井は床から四十メートル近い高さがある。しかしその氷の激流は天井に着きそうな勢いだった。



「あんまりこういう力技は好きじゃねえんだけどな。嬢ちゃん、これが等級の差ってとこだ」



 サッカースタジアムほどあるコロシアムの床が一面白銀になっている。スケートリンクのように氷になったのだ。床だけでなく壁や天井まで霜が張り凍り付いている。

 そして山……というより崖のように聳え立った氷が圧倒的な存在感を示す。天井にまで届かんとするその氷塊は数十トンはあるだろうか。


 せり上がり鋭く切り立った氷の崖の先端が美咲に腹を穿っている。貫通しているのは誰の目でも明らかだ。美咲の背中から直径三十センチメートルはある太い氷の槍の先端が飛び出ている。地上数十メートルの場所で彼女は宙吊りのようになっていた。

 

 歌が、止まる。



「ごふっ……」



 口から血を吐く。腹からも血が止まらない。腹に刺さった氷を押さえるように両手で抱えているが、人間のちっぽけな二本の腕では自然の破壊的な暴力を留めることなどできない。


 血は氷を伝って床へと滴り落ちる。美咲の緑色の眼から光が失われていき、焦点は合わず虚ろになっていく。

 極寒の地獄と化したコロシアム。無人カメラのレンズにも霜が張っていたのは不幸中の幸いだったか。世界中の美咲のファンは彼女が内臓をグチャグチャにすり潰されている様を見ずに済んだのだから。

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