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第220話 アイスオンステージ

「ったく、俺みてぇな老体にこんな若くて可愛らしい嬢ちゃんを倒せってのも酷な話だぜまったく。まあカネ払ってもらった以上は自分の仕事を果たすだけだがな」


「クスクス、もう勝った気でいるの? それともボケちゃった?」


「ああ、同世代のダチはみんな老人ホームだよ」



 先にコロシアムに入って待っていた美咲が犬塚を迎えた。スーツにコートという犬塚に対し、昨日と同じくほとんど水着なライブ衣装の美咲。見ている方は暑いのか寒いのかよくわからなくなる。

 短く整えられた白髪を手で撫でながら首をゴキゴキと鳴らし、犬塚と美咲は数メートルの距離を空けて向かい合う。



『孫娘と好々爺といったほどの年齢差! 世界の歌姫ミサキ・キララは一体どんなステージで私たちを魅了するのか!? そして犬塚牟田は大人の意地を見せるのか!? それではみなさんいきますよ、第二試合、雲母美咲VS犬塚牟田、開始です!』



 まず最初に動き出したのは美咲だった。数メートルの距離を一気に詰める。その加速度に無人カメラは追いつかず急に画面を左右に振ったせいでテレビ観戦している者たちには美咲の赤い残像だけが残って見えた。


 右ジャブ、左ジャブ。美咲の鋭い牽制のパンチを犬塚は軽々と上体を振るだけで避ける。脇をしっかりと締め肘を伸ばしきらず速度に比重を置いた連続パンチは、格闘技経験のある者が見れば洗練されていることにすぐに気が付く。現に犬塚も、芸能人として有名な可愛らしい容姿の少女から蜂のようなジャブが放たれわずかに面食らっていた。


 さらに相手がパンチに気を取られていることに気が付いた美咲は膝を曲げて腰を落とし、床が擦れるほどの速度で右足の踵で犬塚の足元を刈り取りにかかった。しかし長年の勘で咄嗟の判断を下した犬塚は後方にバク転し、その勢いのまま五メートルほど退いた。



「足元掬われて転ばされてたらそのままタコ殴りでKOってところか。嬢ちゃん、どこでそんな軍用格闘術を身に着けた? ルールとリングの中で発展したスポーツの格闘技じゃなぇぜ、それ。何でもありのルール無用、最も効率的に相手を壊す技術だ」


「元傭兵の知り合いがいてね。鍛えてもらったの。自分の身くらい自分で守れないと好きな人に迷惑かけちゃうから。私はもう足手まといにならない」


「ほう、日本に元傭兵ね。そいつの名は?」


「夏馬誠司。ぶっとい腕した色黒坊主頭の男よ」


「カッ、おいおい、俺の昔の部下だぜ。つっても十五年は前だけどな。歳を取るとどうも知り合いや知り合いの知り合いに会う機会が増える。イッツァスモールワールドってな。ったく嫌になる」


「ふう。でもこれはおしまい。一応そこらへんの軍人と戦えるくらいには鍛えてもらったけど、根本的に向いてないのよねぇ、そういうボーリョクテキなのは。クスクス、だけど私のファンがどーーしてもぶたれてみたいって言っちゃうような変態な豚さんだったら考えてあげてもいいけど!」



 カメラに向かって胸を張ってそう言い放った美咲。現にイギリスの熱狂的なファンの中にはテレビに向かって『殴ってぇぇぇぇぇ』と野太い声で叫んでいたとかいないとか。


 ともかく。軍人と戦えるくらいという美咲の自己評価は誇張ではない。ナツキが京都に行っている間、夏馬に教えを仰いだ美咲。ロシアでナツキの足を引っ張ったという自覚がある美咲は少しでも想い人に近づこうと努力した。

 夏馬はシステマやサンボ、クラヴマガといった近代近接格闘術は一通り修めている。素手、ナイフ術、対拳銃対応、あらゆる事態を想定して戦う術を美咲に授けた。一時的に美咲の師となった夏馬曰く、『歌手であるために肺活量があり、ダンスもできるために身体はしなやかな柔軟性と最低限の筋量がある』という。


 普通の十五歳の少女ならば到底できない芸当を美咲は行えた。アイドルとして誰よりも自分に厳しくレッスンを続けていたために、その下地ができていたのだ。また、楽曲の振り付けを短時間で覚えなければならなかった経験は格闘訓練にも活かされた。夏馬の格闘術を手本とし、美咲はそれをたった一目で吸収し再現してしまうのだ。


 大好きなナツキの力になりたい。大好きなアイドルという仕事でたくさんの人を幸せにしたい。その二つの想いが結実し、今や美咲は大柄なベテラン軍人を複数相手取ることすらもできるほどに強くなっていた。



(もしこれが能力使用禁止の戦いだったら、さすがの俺も危なかったかもしれねぇなぁ。カッ、若さってもんには敵わねえ)



 美咲の格闘センスを高く評価しつつも犬塚の表情には余裕があった。仮にステゴロで対等かそれ以上の相手だとしても。犬塚の眼は紫色で美咲の眼は緑色。これが意味するのは、犬塚は三等級であり美咲は五等級だということだ。

 たしかに能力者の戦いは本人の強さ、能力の相性、あらゆるものを利用し工夫した戦い方など等級の大小だけでは決まらない。それでも二人の間にある差はあまりに大きい。まして犬塚は戦闘のプロフェッショナルで、経験も老獪さもある。対して美咲はまだ能力者となって数か月のほぼ素人だ。どれだけ優れた体術を会得しても覆らない格差がある。


犬塚の紫色の両眼が淡く光った。



「ちょっとチクッとするだろうが我慢してくれや!」



 犬塚が右腕を高く天に向けて上げる。すると彼の正面に一メートルほどの長さの氷柱が現れた。ニューヨークでスピカと戦ったときは一本だったが、今回は十二本。その氷柱は先端を美咲に向け、十二本が円形を描いている。犬塚と正面から向かい合っている美咲からするとちょうど時計の数字の配置のように氷柱の切っ先が並んでいるように見える。これこそ犬塚の『氷を操る能力』だ。


 待機室のスピカがスクリーンで観戦しながら歯噛みした。明らかに犬塚の能力の規模が自分と戦ったときより大きく強い。しかし期間の短さや彼の年齢を考えると急成長したとも考えにくい。つまり、犬塚は以前自分と戦ったときは手を抜いていたのだろう。

 なめられたものね、と悔しそうに漏らす。


 そして、犬塚は腕を振り下ろす。『行け』と一言命じるだけで十二本もの鋭い氷柱が高速で射出された。氷柱に溶けるような猶予はない。空気を切り裂き音を置き去りにしながら一直線に美咲へと向かったのだ。


 このままでは串刺しになって死ぬ。美咲は少しセクシーなへそ出しスタイルの格好なので、(はらわた)を無様に垂れ流すことだろう。シアンやベティも、或いは美咲についてよく知らない秀秋も、同じように考えた。


 スピカですらも思わず目を瞑りスクリーンから目を逸らした。


 しかし。


 ただ一人。信じて見届けている者がいる。



「ぶちかませ美咲。お前の綺麗な声を世界に届けるんだ」



 そのナツキの言葉はコロシアムにいる美咲には決して聞こえない。それでも美咲の心には恐れなどなかった。きっと自分の想い人は自分を信じて見てくれている。それだけで充分なのだ。それだけで満たされた気持ちになる。



(暁、私のオンステージ絶対見逃さないでよね)



 美咲は両方の掌をまっすぐ前に伸ばす。彼女の衣装が肘あたりまで覆う黒い手袋とノースリーブの上半身とで別れていて胸や腋をアピールする構造になっているのは昨日の通り。ナツキの好みに合わせてデザインされたその衣装には一つだけ特殊な細工がされてあった。

 手袋の掌には銀色の円がある。そしてワイヤレスで美咲の耳元につけているヘッドセットマイクと繋がっていた。



「ラ~~~~~~~~~」



 四四〇ヘルツ。ドレミで表すならばラ。アルファベットで表すならばA。音叉をはじめあらゆる音楽のチューニングの基本となる世界の基準音。


 美咲の声帯が震え、鈴の鳴るような、小鳥が大空へ飛び立つような、春を迎えて蕾が花開くような、そんな歌声が響いた。

 耳につけている小型マイクは口元まで伸びていて彼女の歌声を漏れなくすべて拾う。集音された音は手袋の掌へと転送される。


 美咲の緑色の両眼が淡く光った。


 次の瞬間。空気は振動し、その振動は雪だるま式に増幅し、そして高速で射出された十二本の命を刈り取る冷たい氷柱は運動エネルギーを失った。

 振動に耐え切れない氷柱は空中に浮いたままバリンバリンバリンッッッ!!! と砕け散り、細氷となった。砕けた氷は粒となり、照明をキラキラと反射する。光輝く雪が美咲に降り注ぐ。



「クスクス、この私が立つステージなのよ? 演出は派手にいかないとね!」

細氷って水蒸気が固体に昇華して起きる現象のことなんで、本編の地の文のように細かく砕けた氷に使うのは実は誤用です。ただ筆者の好きなアイドルの楽曲に『細氷』というのがあって、素敵な言葉だと昔から思っていたので使いました。

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