第214話 初手、リーサルウェポン
「待たせてしまったみたいだな」
「いいえいいえ今来たところですよ。って、言うと思ってますよね。だって対戦カードが発表されたのはついさっきなんですから。でも私は、まるで最初から自分が選ばれることをわかっていたみたいに先にここに来て待っていました。不正、疑っちゃいます?」
「ククッ、いいや。別に疑いはしない」
「それはまたどうしてなのかな、オッドアイの少年クン」
「どちらでもいいからだ。お前が不正をしていようがいまいが、初戦の相手がそっちの五人の中の誰だろうが、俺には関係がない。絶対に俺が勝つ。だったらその過程で不正があっても気にはならないな」
「ほうほう、いやぁ一本取られた! その通り、風を吹かせば桶屋は儲かるかもしれないけれど、何もしなくたって儲かる商人だっているはずですものね!」
ナツキが重苦しい鉄の扉を押し開けたとき既に碓氷火織は待っていた。足元にはレザートランクバッグが置いてある。
どこかで見た顔、見た名前。ナツキがうっすらと自身の記憶の箱をひっくり返す。黒髪を後ろでお団子にして結び、前髪は一部分だけ青紫色のメッシュ。パンツスタイルのレディーススーツの上に白衣。
じっと顔を見つめていると、火織はにまぁと笑ってヘアゴムを取り髪を解いた。ウェーブのかかった黒髪が胸のあたりまで垂れる。
「思い出したぞ! 朝のニュースで見たことがある!」
「そうそう、これでも私たちの祖国である日本では結構な有名人なのです。ぶいぶい」
無人カメラにむけてピースをしている。ニュース番組のコメンテーターとして出るときは真面目にコメントしているのに、この場では随分とはっちゃけている。どちらが素の彼女なのかと問われれば、きっとそれは今現在なのだろう。
待機室では、そんな火織の姿を見て困惑していた。その弾けた態度に対してではない。彼女の眼が明らかに黒いことに対してだ。つまり能力者ではない。
「無能力者が一等級と二等級の二つの能力を持つアカツキに挑むなんて、無謀もいいところよ」
スクリーンを通して観戦しているスピカの発言はまったく正しい。能力者について多少の知識がある人間は皆同じように考えるはずだ。たしかに能力の等級が全てではない。相性や戦法、知略次第でジャイアントキリングはあり得ないわけではない。
しかしそれはあくまで能力者対能力者の話。無能力者となると話が変わる。
当の火織もまたその自覚はある。向かい合うナツキに対して声をかける。
「黄昏暁くん。私は見ての通り無能力者だ。それでも全力で戦うかい? それとも手加減をしてくれちゃうなんてこともあります?」
「ククッ、本気に決まっているだろう。無能力者が弱いと誰が決めた。経験、肉体、知能、そして心。ありとあらゆるものが武器になる。ただその武器の選択肢の中に異能力があるかどうかの違いに過ぎない」
ナツキ自身、かつては能力が覚醒せず無能力者の身で能力者と戦ってきた。だから無能力者だからといって侮らない。敬意でも信義でもない。ただ純然たる事実として、無能力者と弱者がイコールで結ばれないことを知っているだけだ。
「え、本当に本当? 好きになっちゃいそう。うん、黄昏暁は世界で最大級の未知数であるからして、私としては代入がまったくできないわけで、つまるところ何と言われるか読めなかったわけだけど、予想をいつも超えた答えをくれるね。嬉しいです。今日の勝敗に関係なく、今度私が教鞭を取っている大学においで。私の専門は犯罪心理学。黄昏暁くんの心も体も丸裸にして暴いちゃうゾ」
ウインクと投げキッス。行動も不気味だが言葉遣いも珍妙で、ナツキは顔を引きつらせている。得も言われぬ気持ち悪さ。なまじ容姿が美人なだけにギャップが甚だしい。ちなみに待機室ではスクリーンを見ていたスピカと美咲が『色目を使うなっ!』と怒っている。
『両者とも準備はよろしいですか!?』
実況アナウンサーの声がコロシアム内に響いた。音声は基本的にオフにしてあるとのことだが、最初の合図だけはわかるようにしているらしい。戦いが始まったら実況はまた聞こえなくなるだろう。
「私は準備オッケーです。黄昏暁くん、心配しないで。殺しはしないから」
「ククッ、俺も準備できている。まずはその大口を叩けないようにしてやろう」
『はい了解いたしました! それでは第一回選、黄昏暁VS碓氷火織、スタートですッッ!!』
火織はポケットから懐中電灯のようなものを取り出した。
「ほい。レーザー光線」
殺しはしない。そう言ったばかりの火織から放たれたのは、決定的に殺人兵器であった。
〇△〇△〇
赤い光線が一直線に放たれた。狙いはナツキの額である。照射されたと同時に思い切り横っ飛びした。額を押さえるとわずかに温かくなっていたが、別に外傷は何もない。
「ああ、心配しなくても大丈夫ですよ。SF映画とかアニメとかに出てくるみたいな銃でピチュンピチュンと一弾ずつ射出されるようなレーザーは現代の技術じゃほぼ無理無理。これは金属の加工や切断なんかで使われるただのちっぽけな炭酸ガスレーザーですから。美容整形だと小威力に調節してホクロの除去なんかにも使われますねえ。あと五秒当たり続けたら頭蓋骨に穴が開いてさらには引火するところでしたけど、五秒もあれば避けられるでしょう?」
ケラケラと笑う火織にゾッとした。横目に自分がさっき立っていた場所の後方を見るとコロシアムの金属の壁は黒く焦げてゴルフボール大の穴が出来ており、ジュゥゥゥという音ともに白煙を上げている。
「ふむふむ、懐中電灯の乱反射を利用して集光したところまでは良かったけど耐久性に難あり、ってところかなぁ。たった一発で壊れてしまった」
懐中電灯型のレーザー装置をくるくる回して手で弄びながら白衣のポケットにしまった火織。ナツキは彼女の言動や様子を観察して確信する。彼女はあまりにイカれていると。
「ときに黄昏暁くん。きみの能力は二つ。一等級に認定されている夢を現に変える能力は同じ一等級のクリムゾンを倒したくらいだから、正直この世界で対処できる者はいないわけです。で、もう一個の方。現を夢に変える能力。相手の能力という目の前の現実を、きみの夢や空想という脳内に格納して無効化する能力。こっちはどうだろう。それ、能力者にしか役立たないよね。そこで私は思ったのです。無能力者の私は黄昏暁の強みの半分を消せてるなぁって」
(カメラで中継されている以上、こちらは相手を殺害するような戦い方はできない。対して向こうは俺を分析した上で殺しにきている)
今までナツキは挑戦する側だった。英雄と戦ったとき。美咲や夏馬やアクロマと戦ったとき。鳥人間と戦ったときも、クリムゾンと戦ったときも。無能力者のナツキの方が弱く、相手を気遣う余裕などない。
しかし今は違う。ナツキの方が強者であり、火織の方が挑戦者という構図にある。火織は遠慮なくナツキを叩きのめす選択をできるのに対してナツキは制限された選択肢しか用意されていない。逆転現象。
「ククッ、悪いが腕の一本くらいは覚悟してもらおうか。……その黑は夜より暗く。その黑は闇より深く。晦冥の濡烏が世界を裂き誇る。来いッ!」
ナツキの詠唱とともに黒い刀が召喚される。柄も鍔も刀身も全てが漆黒の日本刀だ。腕の一本を奪うと言ってもナツキの能力ならば後で治すことなど容易い。戦意を折るための脅しだ。火織にはまったく効果がないようだが。
数メートル離れた距離を急加速で詰める。刀の間合いに素手で対応するのは至難の業だ。見たところ特に武術や格闘技の訓練を積んでいる様子はない火織に対処ができるわけはない。深く踏み込んで右肩を狙う。
しかし柳のようにゆらりと身体を揺らした火織に黒刀の刃は届かない。紙一重のところだった。振り下ろされた刀の先端が火織の鼻先すれすれを通過し何もない空を切った。
(毎日木刀を振り回しているこの俺が目測を誤った……? それとも偶然避けられたか? いいやどちらでもない。こいつ、見切った上で避けたのか!?)
「どんな刃物も当たらなきゃチャンバラと一緒一緒。ねえ黄昏暁くん。私たち『天才』からすれば事前動作や筋収縮から軌道を予測するくらいワケないんだよ?」
火織は白衣の両ポケットに手をつっこんだまま、ふふっ、と不気味に笑ってみせた。