第213話 肌面積が減るとしても普通の水着よりゴスロリ水着が良い
どこにでもあるイギリスのとある家庭の幼い娘は、CMに入ると真っ直ぐな目に涙を滲ませながら父親に尋ねた。
「ねえパパ、私の大好きなミサキは魔女の手先なの? 悪い人だったの?」
「ハハ、そんなことはないよ。いいかい? これはティーヴィーショーなんだ。フィクションなんだよ。パパがいつも見ているプロレスをお前もよく見ているね。ヒール役のプロレスラーは悪い人だったかい?」
「ううん。私たちが巡業を見に行ったとき、抱っこして頭を撫でてくれたわ。パイプ椅子を投げる人とは思えない!」
「そう。そうなんだよ。ショーはあくまでフィクションなんだ。パパたちを笑顔にしたくてやってくれているんだよ。悪い魔女が出てこなくて、ずっと平和で何も特別なことが起きない、そんなつまらない絵本を読みたいかい?」
「いいえパパ。悪い魔女を倒す方が面白い!」
「そうだろう。これでひとつ賢くなったね。フィクションの悪役は悪じゃないんだ。みんなの笑顔のために存在してくれているんだよ」
「じゃあミサキも私を笑顔にしたいと思ってくれてるのね!」
「そうだね」
これはとある一家庭の例である。しかし一般的な家庭は大なり小なり似たようなことを親が子へと話していた。彼らは本気で戦うわけではなく、本当に悪いやつらなわけでもない。台本がきっとあって我々を楽しませるためのショーが始まるのだ、と。
それはまったく正しい認識だった。一〇〇件の一般家庭を調査すれば一〇〇件が同様の対応をしていたことが示されるだろう。全てはシアンの狙い通り、わざわざテレビ局の人間を招き入れた甲斐があったというのものだ。
そう。これはきちんと親が近くにいて、子に説明してやることが前提になっている。
だったら親がいない家庭は? たとえば、まさに張本人の親が現場にいて子の近くにいない場合は?
使用人たちが用意してくれた液晶テレビを前に、ベッドのラピスは両手をぎゅっと握って祈っていた。
「頑張って、お母さま! ベティ! 悪い魔女の手先の五体のトレントなんてやっつけちゃえ!」
周囲の使用人たちはラピスに何も訂正しない。それがシアンとベティが提示した作戦であり、屋敷の者たちはそれに賛同していた。
〇△〇△〇
顔合わせを終えたナツキたちシアンたちはそれぞれの待機室へと戻った。壁の大型スクリーンでは美咲がぶちあけた天井の修理をしている。コロシアム内部では実況アナウンサーの声は聞こえなかったが、スクリーン越しであれば実況音声付きで鑑賞ができるようだ。
『では、天井の穴を塞ぐまでの間にルール確認をしておきましょう! 両陣営はそれぞれ五名。一日に一戦、一対一を行います。本日はこの後初戦を行いますから、今日を含めて五日のスケジュールになります。ちなみに、対戦カードは一方に有利になってしまわないようこちらでランダムで選ばせていただきます!』
「それにしても五人目が美咲だとは思わなかった。アイドル業の方は大丈夫か?」
「マネージャーには五日間オフ貰ってるわ。夏休みってところね。八月はずーっと仕事入っていたし、他の用事もあったし。それに、どうしてもあんたの力になりたかったから……」
美咲はもじもじとしながらナツキの袖をつまんだ。そして身を寄せる。今日の美咲の格好は私服でも制服でもない。ナツキはアイドルに疎いので詳しいことはわからないが、まるでライブ衣装のようだ。
ヘッドセット型のマイクを耳にかけているのもそうだし、ふりふりがたくさんついた黒地のドレスにピンクと紫のラインが交差したチェック柄の意匠が施されている。いわゆるゴシック風とかゴシックロリータとか呼ばれるタイプの衣装である。スカートは短く太ももの肉感をアピールするように露出されている。ニーハイソックスもチェック柄で、黒いローファーを履いている。
そして特にナツキが注目したのはへそ出しの上半身。とても中学三年生とは思えないほど豊かで大きく柔らかそうな胸を強調するように、スカート部分と上半身はセパレートになっている。ジャンプしたら下乳が見えてしまうのではないかと心配になってしまうほどだ。
なおかつ服はノースリーブ。すなわち袖がない。さらに美咲は少々厚手の生地の黒い手袋をしており、肘のあたりまで覆っている。するとどうなるか。肩と肘は布で隠れ、露出された腋が目立つ。視線を集める。
さながら、ゴスロリ×水着のようなコンセプトのライブ衣装といったところか。涼し気な装いは夏のステージに相応しい。動きやすさや機能性を重視しつつもデザイン性は捨てず、思春期の美咲の心身の豊かな成長を存分に引き出し活かした素晴らしいデザインだ。
「ところで、ねえ暁。この衣装、どう思う?」
「あ、ああ。ククッ、闇のエナジーをあしらったドレスだな。とても可愛いし、似合っている。美咲の赤い髪は美しくそしてよく目立つ。その綺麗な赤を邪魔しないように服は地味な黒だが、かといって地味すぎず赤と相性の良い同系統の色がところどころで使われている。まさに美咲のためだけにある衣装だと思うぞ。……た、ただ少しセクシーすぎる気もするが…………」
「そ、そう似合ってるんだ。ふーん。ありがと……」
(よかったぁ。ちゅーにびょー? っていうのはよく知らないけど、暁が好きそうな服装を想像しながらデザイナーさんにオーダーメイドで作ってもらったかいがあった、かな……)
顔を赤らめ、内心で安堵し、そしてナツキの二の腕を強く抱く。ナツキはつい視線が吸い寄せられてしまった。上から谷間の見える衣装であるが故に胸を押し付けられると形を変えるところを視覚的に生で実感してしまう。
鼻血をツーと垂らしたナツキを見て、美咲はさらに顔を赤くした。
「べ、別にあんたのためにこういう服選んだわけじゃないから! クスクス、勘違いしないでよね。ただのファンサービスだし! ……大体、暁以外の男にはここまで密着してあげないんだから……」
ナツキの耳元で美咲は言い訳した。もにょもにょと言い淀んだ最後の方もしっかりナツキは聞いている。ナツキは美咲の声が好きだ。歌が好きだ。三次元のアイドルに疎いことはたしかだが、美咲の楽曲だけはスマートフォンにダウンロードしていつも聴いている。だからこそその声を耳元で囁かれるとゾクゾクと鳥肌が立つ。
呼吸音、温度、腕に押し付けられた胸の柔らかさ、心臓の鼓動、甘い香り、紅潮した顔、美咲のすべてが今は自分だけのものになっている。世界中にファンを獲得している大人気アイドル歌姫を独り占めにする優越感も凄まじい。ナツキがぼたぼたと鼻血を出していると、ゴゴゴゴゴと鬼のようなオーラを二人は感じ取った。
ゆっくりと振りむくと、そこには笑顔のまま髪を逆立てた(ように見えるだけ)スピカ。
「なーーに鼻の下デレデレ伸ばしてんのかなぁ。アカツキの表情、いま全っ然美しくない。みっともない。変態。スケベ」
「い、いや、違う。そういうわけではなくてでな、それに俺の場合鼻血が出るのはいつものことであって、それにスピカに対しても鼻血は何度も出しているだろう!」
「あ……たしかに。それもそうね」
自分の魅力にもちゃんと気が付いてくれている。それを理解したスピカは怒りの矛を引っ込めた。しかし、それとこれとは別だと言わんばかりにスピカは美咲とは逆側のナツキの腕を取り、同じように胸を押し付けた。谷間に腕を挟み込むように。
「ふむ。黄昏暁はこんなにもモテるのだな。ユウカも正妻として大変だろう」
「ほうほう、黄昏暁くんは円さん以外にも大勢誑かしているんですねぇ」
待機室の隅で壁に寄り掛かりナツキたちの乳繰り合いを眺めていたエカチェリーナと秀秋は互いに『うん?』と不思議そうに顔を見合わせる。二人ともナツキの相手として挙げた名前が違ったからだ。そして二人は、どうかナツキが女難によって刺されないように祈ってやるのだった。
〇△〇△〇
『さぁさぁ皆さんお待たせしてしまい申し訳ありません! コロシアムの修繕は急ピッチで行われて完了したそうです! それでは、決闘初日、第一試合のカードを発表します!』
スクリーンにはどこで撮ったのか、参加者合計十名の顔写真が表示された。右半分がナツキたち五人。左半分がシアンたち五人。そして十枚の写真はチカチカと点滅し暗くなったり明るくなったりを繰り返す。ランダムでの選出。ナツキはもちろんシアンもどのようなカードになるかはわからない。
スピカと美咲がそれぞれ両側からナツキの肩に頭を乗せてスクリーンを眺めている。ナツキ陣営の五人は特に順番に拘りはなかった。強いて言えば秀秋は薫と刀を交えることを望んでいたが、それにしたって彼女の剣を直で見るだけでも充分すぎるほどの幸福だと感じている。
(誰がなってもあまり関係はないが……)
十枚のうち八枚の写真が暗くなった。明るく映し出された二枚。
『さぁぁぁぁ決まりましたぁぁぁぁ!!! 第一試合は黄昏暁VS碓氷火織! 両名はコロシアム内に出てきてください!!』
「まさかいきなり俺になるとはな。ククッ、これが俺の運命力の歯車か」
「アカツキなら絶対勝てるわ。私が保証する」
「クスクス、無様に負けたっていいのよ? そしたらまたいつかの日みたいに膝枕してあげる」
「うむ。画面越しではあるが応援しているぞ」
「あなたの剣技、是非とも薫さんに見せてやってください」
四人から四者四様の声を受ける。五対五なので、先に三勝すると残り二試合を残して勝利が確定する。まずは景気づけに初戦は勝ちたいところだ。
ベンチから立ち上がったナツキは右腕を押さえて蹲った。
「ど、どうしたのアカツキ!?」
「ククッ、疼くんだ。戦いを前にして俺の封じられし戦神の右腕がな」
「ヒドゥ……なに?」
「いいや。ククッ、なんでもない。それじゃ行ってくる」
スピカと美咲の二人は『なんだかよくわからないけど、きっとすごいことなのね……』と勝手に納得しながら想い人を見送った。