第211話 四人目は
定刻になりナツキたちは待機室を出た。結局残りの二人はまだ来ていない。ナツキ、スピカ、エカチェリーナの三人は重たい鉄の扉を押し開けて、コロシアムの中心部へと足を踏み入れる。
建物全体の外観はサッカースタジアムとローマのコロッセオを融合したような、縦に高く横に広い巨大建造物だった。一方、中身の特徴はそれらとは異なっている。
まず座席がない。観客は最初から入れるつもりはなかったのだろう。マス目状になっている金属の床に、同じく金属の壁。観客席がないおかげで壁は隙間も段差もなく天井までひと繋がりになっている。
また、天井は開いていない。日光が入らない代わりに雨や風も入らない。眩しくて目が痛くなるほどの照明がブドウのようにびっしりと設置されているので、コロシアム内部には隙間なく光が届いている。
冷たく無機質な印象をナツキは覚えた。歴史の教科書で目にするコロッセオのような開けた底と斜めに段差になっている観客席はない。コロッセオはイタリア語で、コロシアムは英語。ベティたちがコロシアムと呼んでいたし、外観がそのような見た目だったのでナツキはもっと剣闘士が戦うような場所を想像していたのだ。
広さはやはりサッカーコートくらいはあるだろうか。非常にだだっ広い。端と端に人が立って会話しようと思ったらたぶん声を張り上げないといけない。
「あれは……」
ナツキたちがコロシアムに入った時点で、既に五人の人物が待っていた。ナツキは肌がひりつく感覚に武者震いをする。その五人はただ立っている。横一線に整列してつっ立っているだけ。それなのに、彼らの纏うオーラのようなものが五人分集まってコロシアム全体に充満していたのだ。ナツキが扉を開けたその瞬間から溢れたオーラの渦は流れ出しナツキたちの肌を刺した。
(クリムゾンと相対したときの感覚に近いな。強者が持つ『格』のようなもの。脳ではなく本能に強引に干渉してくるような暴力的な気)
ナツキと同じものをスピカもエカチェリーナも感じている。それよりもスピカは五人の顔ぶれに注目していた。ベティはさっき会ったから知っている。シアンは同じブラッケストの娘として異母姉にあたるのでもちろん知っている。
彼女が特に注視しのは犬塚牟田だ。他ならぬスピカがニューヨークで拿捕した。しかしアラスカにて何者かの襲撃を受けて脱獄を許してしまっていた。その犯人であるアクロマ・ネバードーンはナツキ(というよりナツキを助けに来た英雄)に倒されたのだが。
三人も彼ら五人に向き合う形で並んだ。ナツキの正面にはシアンが。スピカの正面には犬塚が。エカチェリーナの正面にはベティが。
「ククッ、随分と禍々しいオーラを放っているじゃないか」
「あら、ごめんなさい。脅かすつもりはなかったのよ、ボク」
ふふっ、と妖しく微笑を浮かべながらナツキを軽々と子供扱いしたシアン・ネバードーン。屋内だというのにつばの広いゴージャスな帽子をかぶり、サングラスをし、日傘を差し、足元まで隠れる黒いドレスを着ている。
(そんな感じで顔も体も隠しちゃいるが、なんというか……随分と美人だな。顔立は綺麗だし肌も艶やかだ。それに胸のあたりまである明るく鮮やかな青色の髪は手入れされていて美しい)
それに身体の凹凸もくっきりしていて、きっとウエストは細く尻や胸は大きいのだろうと考えそうになった。が、ぐっとこらえる。恋人を日本に置いてきておいて自分だけがそんなピンク色の感情になるのは不誠実だと思ったからだ。
ただシアンの微笑みに対してはまだ女性との関係が浅い思春期のナツキを赤面させるには充分であった。
それに気が付いたスピカがむっとした顔でナツキを肘で小突いた。
「カッ、嬢ちゃん、ちっとは坊主を自由にさせたらどうだい? 他の女とデキちまおうがどっしりと構えて旦那の帰りを待つのが女房ってもんだぜ」
「うるさい! 今日こそはあなたをとっ捕まえるから」
「ひゅ~怖ぇ怖ぇ」
顔のシワを深くしてにやにや笑いスピカをイジる犬塚の発言は奇しくも夕華のことを言い当てていた。もちろん単なる偶然なのだが、夕華はナツキの自宅で彼を信じて帰りを待っている。そのこともあってスピカはつい頭に血が上ってしまったのだ。犬塚の発言はいわば『正妻の心構え』のようなものである。
「ベティ、まだ私たちは三人しかいないぞ。どうするんだ」
エカチェリーナの質問にはベティではなく列の端で一番遠くにいる火織が答えた。
「たった数十年しか動かないタンパク質の肉体なんですからそんなに生き急いじゃダメですよ。もっとおおらかな心持じゃあないといけません。それにあと十六秒後にあなたたちの四人目が来ますって」
ナツキたちは口には出さず心の中で十六、十五、十四、十三……とカウントダウンをした。
それがちょうど零になったとき。ナツキたちが通って来たのと同じ扉がギィ―と押し開かれた。
「すいませんね。遅刻しました。ですが、みなさんの会話はここまで全て聞いていましたからどうぞお構いなく」
こちらに歩いてくるその人物は非常に姿勢が正しかった。腰には刀を佩いているというのに身体の重心はブレず、にこやかに笑っている顔とは裏腹に隙がまったく見当たらない。
ナツキは唖然とした。『なっ……』と漏らす。
麹塵色の作務衣、度の強い眼鏡、男性にしては長い髪を後ろで緩く結んだその男。
「と、虚宿秀秋……!?」
〇△〇△〇
「お久しぶりですね、黄昏暁くん。私の元教え子」
それは半分嘘で半分事実。ナツキは京都に招かれた際に、京都の平安京における能力者育成教育機関『寺子屋』に潜入していた。そのときにナツキたちを教師という立場で監督し指導していたのがこの虚宿秀秋という男である。
「あなたから受けた傷を癒すのに少々時間はかかりましたが……そうだ、ただ一点だけ訂正しましょうか。私はもう虚宿ではない。おそらく聖皇陛下の名の下に私は二十八宿の虚宿家後継としては除名されていますからね。というより授刀衛そのものから除名されてるでしょう」
「……スピカ、二十八宿とはなんだ」
エカチェリーナは小さな声で耳打ちした。日本の能力者事情には明るくないらしい。そもそも大日本皇国が内向きな国であるからというのもあるのだろうが。
「大日本皇国のトップが聖皇っていう人物なのは知ってるわね。その直轄異能力者組織が授刀衛。日本の能力者は能力に覚醒したら一生監視されて外国にも行けずに厳しく管理されながら生きるか、授刀衛に入ってお国のために戦うか選ばないといけない。そして、その中でも特に強い連中は二十八宿って呼ばれてるわ。私たち星詠機関における二十一天みたいなものね」
「ちょっとちょっと、全部聞こえてますよ」
秀秋は笑いながらそう言った。しかしその言葉はどこか自分を見透かしているようで気味が悪いとスピカは反射的に顔をしかめた。見た目も言動も好青年だというのにひたひたと不快感が迫ってくるような、そんな気持ち悪さがある。
「今の私は本名の木下秀秋。まあ名前なんてどうでもいいことですしね。それとあなた方星詠みどもと同じにされては困る。私たちの方が遥かに柔軟かつ強固な組織ですからね」
さっそく仲間割れかぁ? と犬塚だけが笑っている。彼も日本を出て随分と経っているとはいえ授刀衛の事情については多少は精通しているのだろう。
ナツキは平安京で秀秋や聖皇から聞いた話を思い出し、ついでとばかりに尋ねた。
「柔軟かつ強固……。たしかにそうだな。二十八宿は当主と後継という制度を使っていたか。有能な若い能力者は後継として二十八宿の中の一家に養子として入り、義理の親子関係を結ぶと聞いた。二十一天に比べると間怠こいように感じるが」
「それは聖皇陛下の方針ですよ。子は親を喪ったときに大きく成長する。逆に親は子のためならばどこまでも戦える。聖皇陛下は人の情をうまく利用しているんです」
ナツキへのこの返答を耳にしたシアンが表情を固くした。そのほんのわずかな表情筋の変化を秀秋の千里眼は見逃さなかった。
それと同時に。ナツキは赤い眼を淡く光らせた。その手には黒い刀が握られ切っ先は秀秋に向いている。
「だがな、秀秋。俺はまだお前を信頼していない。どうしてお前が今回の決闘の招待状を持っているのかは知らんが、何か企んでいてもおかしくはない。円のときのように──」
「それだったら大丈夫ですよ。まったく心配いりません。だって私の今回の目的は黄昏暁さん、あなたではない。まして世界を放浪している最中の高宮円でもない。ねえそうでしょう。高宮薫さん」
「うーん、ボクは知らないふりを通そうと思ったんだけどなー。気が付かれたのなら仕方ない。キミはええと、誰だっけ、秀秋くん。どこかで会った?」
「覚えてくださっていなくて結構。その代わり私はあなたの全てを知っていますから。……それにしても、まさか生きていらしたとは」
眼を充血させ獰猛な笑顔を浮かべる秀秋。息遣いは荒くなりぎょろぎょろと眼球が動いてる。その不気味な様子に秀秋を知らない他の面々は後ずさった。
ただ一人、ナツキだけは愕然とした表情で振り返り薫を見つめる。
「円の……母親……? 死んだはずじゃ」
「黄昏暁。ブラッケストからもちょびっと話には聞いていたけど、ボクの娘の彼氏さんだったとはねー。あれだけ円には女なら惚れた男を逃がすなって小さいときから言って聞かせたのにしくじっちゃったかぁ」
ずいとナツキの方へとにじり寄った薫は見上げたり見下ろしたり嗅いだり触ったり、ナツキべたべたと観察した。
ナツキが京都でどのような出会いをしていたかを知らないスピカは『彼氏』という言葉に青ざめ、どれだけライバルが多いのかと途方に暮れる。エカチェリーナは内心、これじゃあ彼はクリムゾンのことは言えないなと苦笑した。
「高宮薫……さん。どうして円のところからいなくなった!? 円があなたの剣を目指して、憧れて、傷つきながらも立ち上がって、もがいてもがいて、それなのに……」
一番近くで円の努力を見た。指導もした。剣を交え、恋慕の情も抱いてもらった。ナツキにとっては円もまたこの星より大切な人の一人であり、円の苦しみの遠因である薫には思うところがある。いつも冷静なナツキが言葉に詰まるくらいには。
「親子の形は様々ってことだとボクは思うよ。助けてあげなきゃいけない弱い子もいる。放っておくことで一層成長する強い子もいる。それはね、良いとか悪いとか、偉いとかダメとかって話じゃない。ただの性質。尊重されるべき個性なんだよ。子供を救いたいと思う親がいてもいい。子供を独りにしたいと思う親がいてもいい。そうは思わない? ねえシアン」
「……そうですわね」
この会話を断ち切るように、コロシアム内の各地点に配置された数多のスピーカーからアナウンスが鳴った。さっきの番組プロデューサーの声だ。
『まもなく撮影開始しますよ! カメラは小型アンド無人なので邪魔にはならんでしょう! 私らスタッフも実況アナウンサーも別室にいるんで、どうか気にせず自由にされてください!』