第210話 最狂の五人
ナツキたちの待機室とは真反対。楕円形のコロシアムの端と端。そこにシアン・ネバードーンたちの待機室は用意されていた。左右が対称となっているだけで内装はナツキたちのとまったく同じだ。
ベンチに腰掛けるシアンは室内だというのにセレブが使うようなゴージャスなつばの大きい帽子をかぶり、サングラスをし、二の腕まで覆う黒いアームカバーをしている。そしてレースの日傘まで差している。ベティは一歩下がったところで立っている。
ナツキたちが訪れるより数時間前。シアンとベティの二人しかいない待機室をノックする者がいた。シアンが返事をすると若く美しい女性が入ってきた。
白い薄手の和服に紅色の袴。俗に巫女服と呼ばれるものだ。そして腰のあたりまである長い黒髪を先端から十センチメートルのあたりで緩やかに結っている。そして橙色の瞳。
何より特徴的なのは腰に日本刀を差しているところだろう。単なる巫女ではなく剣士であることを窺わせる。
シアンは微笑を浮かべながらベンチから立ち上がり右手を差し出した。
「ようこそお越しくださいました。高宮薫さん」
「娘を想うキミの気持ち。ボクも同じ母として共感するよ」
にっこり笑った薫は垂れる袖を左手で押さえながら右手で握手を返す。
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ネバードーン財団はグローバルな複合企業体である。その最大権力者こそネバードーン家の現当主、ブラッケスト・ネバードーン。そして彼を頂点に、三つの軍事下部組織がある。
一つ。【色付きの子供たち】。ブラッケストの息子や娘で構成される。とはいえ、現在は次期当主を勝ち残った一人に決めるというブラッケストの宣言によって世界各地に散らばり、全員がそれぞれ独立し対立しているが。クリムゾンやシアン、アクロマなどがここに属する。
二つ。私兵。ブラッケストが金で雇い組織化した軍人により武装集団だ。能力者は基本的におらず、その代わり装備は銃火器や戦車を始め最新の戦闘機など備えている。組織の練度や武装の質が高く、仮にアメリカやロシアといった大国の軍隊と戦争をしても対等かそれ以上で渡り合うと言われている。アルタイルが親書を届けにロシアへ行った際に現地で妨害してきたのは彼らだ。
三つ。ブラッケストが直々に選び出しスカウトした少数精鋭の能力者集団。いまだ謎が多く、星詠機関ですら全貌を掴めてはいない。ブラッケストを暗殺することができないのは彼らが常に最低一人は警備でついているからだと言われている。
この精鋭異能組織は【漆黒の近衛兵団】と呼ばれた。
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「でも、まさか漆黒の近衛兵団である高宮薫さんにご協力いただけるとは思いませんでしたわ。私の暴挙に父上は大層お怒りだったのではなくて?」
「ううん。逆だよ。ブラッケストは喜んでいたいね。従順であることだけが親子の縁ではない。キミが父であるブラッケストの情報を利用してまで星詠機関を動かしたことを随分と高く評価していた。ボクも同じ気持ちさ。母として、女として、私たちは獅子のように獰猛で狐のように狡猾でなければならない」
薫はシアンの隣に座り笑いながらそう言った。階級や権力という意味ではこの二人に上下関係は存在しない。しかしシアンがクリムゾンの妹であり娘もまだ八歳であるのに対して、薫は十七歳の娘がいる。二十年前はとある国のとある組織で既に活躍していた。
二人とも二十代前半と言われれば世界中の誰もが信じてしまうほど若々しく美しいが、この実年齢や人生経験の差を尊重してシアンは薫に敬語を使っているのだ。
「それにしてもシアンは面白いことを考えたね。おっと、すまない。馴れ馴れしかったかな?」
「いいえ。ネバードーンと呼ばれては誰が誰だかわからなくなりますわ。どうか私のことはシアンとお呼びください」
「助かるよ。ボクのことも薫と呼んでくれて構わなわいんだけど……キミはそのあたりキッチリしてそうだからね。そこらへんは任せよう」
「理解いただき助かりますわ、薫さん。それで、面白いこととは?」
薫は『うーーん』と少し伸びをする。仰け反るような姿勢になると胸の大きさが強調される。シアンやベティは同性なので特に感じるところはないが、男性はきっと魅了されることだろうなどと考えながらそれを眺めていた。
「五対五の決闘。ほんっと面白い形式だと思うよ。普通の戦闘っていうのはね、一対不明だ。わかるかい? ボクらはたとえどれだけ仲間がいようが実際に戦うのこの身はたった一つ。それに対して屠るべきは敵は未知数。目の前の一人かもしれないし、物陰に隠れている二人かもしれないし、奥の部屋の三人かもしれない。でもキミはあえて五対五……正確には一対一を五回分ときた。それはつまりキミ自身がその『未知数』になるのを放棄するっていう意味でもある」
「そうですね。おっしゃる通りですわ」
「ということは五という数字に意味がある。もっと言うと、五人のうち誰かがサボるようなことはあってはならず、五人全員が懸命に戦っている状況である必要がある。違うかい?」
シアンは何も答えなかった。沈黙は肯定である。満足した答えを得られた薫はその沈黙が充分な対価だった。
その沈黙を破るように再び扉がノックされた。シアンが返事をし、薫は誰が来るのだろうかと目を輝かせている。
「邪魔するぜ、お嬢さんたち」
年齢の割に背筋はピンと伸びた白髪交じりの老年の男。地味な紺のスーツの上には長い黒のチェスターコートを纏っている。スーツの下には並々ならぬオーラや経験値が秘められていることは観る眼のあるものならすぐにわかるだろう。紳士と戦士の両方を内包したその男の名は。
「ようこそお越しくださいました。ミスターイヌヅカ。またの名を世界一の傭兵」
「カッ、傭兵なんて大した代物じゃえさ。俺はァ箱庭みてえな祖国から抜け出して雇われながら世界を放浪するただの流浪者よ。カネさえ払ってくれりゃ地球の裏側にだって行ってやら」
犬塚牟田。かつてニューヨークにてスピカに捕縛され星詠機関に護送されているところをアクロマ・ネバードーンによって救出された。世界各地で傭兵業を営んている氷使いの能力者だ。
コートのポケットから手を出した犬塚にシアンも答えた。犬塚にとってはシアンは大金を払ったクライアント。一時的な上司と部下のような関係である。
「ひぃ、ふぅ、みぃ、よつ……俺を入れても四人ってことはビリじゃなかったようだな。危ねえ危ねえ、老人が認知症で道に迷ったと思われるところだったぜ」
「あなたをボケ老人扱いできる人間が世界にいるとお思いで?」
「シアンさんよう、俺を高く買ってくれるのは嬉しいがこれでも最近は若い嬢ちゃんに負けて一時は捕まってたんだぜ。まあアクロマの旦那に助けてもらったがな。腹違いとはいえ、弟だろう?」
「ええ、まあ。【無色】のアクロマ・ネバードーン。出来の悪い弟です。所詮は真似事ばかりの三等級。【色付きの子供たち】になんとか滑り込んではいますが、子供たち同士の抗争を行うほどの器も力もなくお父様の小間使いのようなことをしておりましたわ。まあ人を集めたりまとめたりする才はありましたが……。それがなければグリーナーなどと同じ色無しの子供たちだったでしょう」
「カッ、身内にもなかなか手厳しい嬢ちゃんだ」
「……私は嬢ちゃんと呼ばれるほどの年齢では…………」
犬塚は豪快に笑いシアンとベティ、そして薫を見て言った。
「いいや。俺くらいの歳になるとみんな若い嬢ちゃんだ。それにシアンさんよ、おたくの娘さんは俺からしたら孫くらいの年齢だぜ? ってことはここにいる全員が俺の娘のようなもんだ」
なんとも豪胆な人だ、と内心でシアンは笑っていた。それでいて下品さはなく、きちんと一線を引いて会話している。熟練や老獪というものを言葉と振舞の端々から感じ取った。
薫はしばらくの間じっと犬塚の顔を見つめ、ぽんと手を叩いた。
「思い出した! どこかで見た気がしていたんだ。キミ、ブラッケストの下にいたことがあっただろう」
「ああ。カネで雇われて漆黒の近衛兵団にいた時期もある。まあほとんどお前さんとは入れ違いになるタイミングだからな。顔を合わせたのは数回か。十数年前のことだ。忘れていても仕方ねえさ」
これでシアン側は五人中四人が揃った。それから四人は随分と待たされ、ベティは空港にナツキたちの迎えに行き、そして戻ってきて、テレビの番組スタッフも挨拶に訪れ、さあもうすぐコロシアム内部に向かおうというところで。
ノックもせず待機室のドアが当たり前のように開け放たれた。
「ええ。私が最後。それはわかっていたことです。なぜって、不要な情報を捨象し価値ある情報を集めて計算を行えば、私が五番目になってしまう世界線であることは疑いようもなく事実なのですから」
堅苦しく小難しいことを滔々と喋りながら入ってきたその女は、やはりシアンや薫と同様に若く美しい女性だった。長い黒髪をお団子ヘアで後ろでまとめ上げ、前髪には青紫色のメッシュが入っている。パンツスタイルのレディーススーツの上には白衣。そして茶色の大きなレザートランクバッグ。
「入って来て早々ぶつぶつと呟いてなんだお前は、と皆さん思っていますね。ええ、まさしくその通り。実のところ私が一昨日の夕飯にフレンチではなく和食の料理屋さんに行っていれば今日は私がシアンさんとベティさんに次いで三番目に到着する世界線になっていたはずだったんですが。うーんどうも未来をわかっていても一昨日の晩は鴨肉のコンフィを食べたくて仕方なかったのです。人間の心理はかくも難しい」
彼女は他の四人と決定的に異なる点があった。
眼が黒い。すなわち、能力者ではない。
「さてさてまずは出会い頭ということで、シアンさん以外の人とははじめまして。シアンさんはお久しぶりです。私の名前は碓氷火織。犯罪心理学者兼大学教授の、通りすがりの『天才』です。どうぞよしなに」
高宮薫:名前の初出は第146話です。
犬塚牟田:初出は第51話です。
碓氷火織:初出は第4話です。