第21話 格闘漫画や武術漫画に影響を受けがち
いつもならここで眼帯を取るところなのだが、昨日投げ捨ててから買い直していないため赤い右眼を晒している。赤と黒のオッドアイでフードの相手を睨む。その表情はうかがい知れない。
「ククッ、安心しろ。貴様からは英雄の居場所を吐いてもらう役目があるからな。殺しはしない。だが冥府への川でカロンに挨拶くらいはさせてやる」
相手は棒立ちだ。足を開いていれば踏ん張りも効くだろうし、腕を構えていれば相手の攻撃を捌くこともできる。しかしそのどちらもしていない。つまり今こそ好機。
ナツキは陸上のクラウチングのように助走をつけ駆けだした。ボディに一発入れてしまえば動けなくすることができる、という判断だ。
あと数センチで拳が届く、というその瞬間、フード男の身体がブレた。ナツキの拳は空を切る。
「なっ……」
真横に移動したフード男の肘がナツキの背中に振り下ろされる。腹の空気が吐き出された。そして今にも固い地面に叩きつけられるというとき、鳩尾につま先で蹴りを入れられて数メートル吹き飛ばされて転がった。胃の中のものを出してしまわないように歯を食いしばり、近隣の民家のブロック塀にぶつかってようやく止まった。
(おかしい……間違いなくあいつは棒立ちだった。全身の筋肉は弛緩していて、ギリギリで俺の攻撃を躱せるわけがない。それに今のキックも妙だ)
サッカーのフリーキックを想像するとわかりやすい。普通、蹴りを放つ際は足を振り子のように一度後ろに引く。その分だけ蹴りの威力が高まるからだ。
ただし、格闘技のキックは後ろに引くような隙を作らない。だが格闘技の場合、ハイキックは床から接敵点までの距離が長くそこで助走が行われるし、ローキックはそもそも相手への足元に微量のダメージを蓄積させてフットワークを削るのが目的であって高威力はそもそも期待されていない。
(だが、あいつの蹴りは後ろにも引かず、助走もつけず、ほとんどきをつけの姿勢から足を数センチ動かしただけで俺をここまで転がした)
そんな格闘技や武術は聞いたことがない。何かトリックがあるのだろうか。ぐったりと寝転がり痛みに堪えて目を細める。フード男がゆっくりとこちらに歩いてくる。
フード男の眼は橙色だ。すなわち六等級。そのため彼が使用している能力は大層なものではない。彼の能力の正体は、微弱な電流の操作である。電気を流した人体がビクンと跳ね上がるように、自身の筋肉に電流を流すことでまるでゲームコントローラーで操っているかのように自然な姿勢から攻撃を繰り出せる。
奇襲性が高いだけでなく威力・強度も高まっている。能力者同士の戦いの中ではたしかに物足りないかもしれないが、格闘技や喧嘩に馴れているような対人戦に特化している一般人に対しては無類の強さを発揮するだろう。
普通、対人の戦闘は相手の情報を総合的に判断する。目線、重心、筋肉の弛緩と硬直、間接の可動域などだ。しかしフード男はこれら全てを無視して攻撃・防御ができてしまう。頭の中で『これくらいの強さでこっちの方向にこういう風に動け』と指令を出せば、彼の異能が電流を流し全身の筋肉をそのように動かすからだ。
能力者の存在を知らないナツキにそれを推察してみよというのは酷な話だ。スピカのことを中二病だと勘違いしたように、フード男も特殊な戦闘術を使ってきているくらいにしか思っていない。
だがそれはこの場で諦めることを意味しない。英雄を見つける手がかりがそれしかないのなら、ナツキは何度ぶちのめされても立ち上がる。
「ククッ、今の蹴りは効いたぞ。自分の血を見たのは久しぶりだ」
口の端を伝う血を六芒星の描かれた手の甲で拭って起き上がる。ナツキの中では昨晩の鼻血はノーカウントのようだ。
フード男から返事はない。姿勢よく黙々と歩いて近づいてくる。それが余計に不気味だった。
ナツキは再びパンチを放った。今度は顔面へのストレートだ。同じ技は二度通用しない……とフード男が思ったかどうかはわからないが、その場から動くまでもなく、電流を流してひょいと首を傾けるだけでナツキの右拳は当たらない。
そう、右の拳は。
「……ッ!」
フード男の鳩尾にナツキの左拳が突き刺さる。
これは山突きという空手等で見られる技術だ。左右の腕を使ってアルファベットのCのようなポーズをすることで、顔と胴を同時に殴打することができる。
人間の本能として顔の近くに高速で近づくものはつい避けてしまう。脳という人体の重要部位が近いこと、視野の中心に近いこと、いくつか理由は挙げられるが、どうしてもそちらへの攻撃を優先的に反応してしまう。そうすると同時に放たれた胴体への攻撃へ対処ができず、確実にクリーンヒットするのだ。
顔面への直撃という有効打を放棄する代わりにまずは一発、絶対に入れるのが、この山突きだ。
ナツキはフード男の特殊な動きの仕組みを見破れない。しかし人間である限り目で見て反応しているはずだ、と考えた。そうであれば相手の視界いっぱいに右拳を見せつけ、そちらは適切に対処されても隠し玉の左拳はミートする。
攻撃が初めて相手に当たった。だがナツキの狙いはここにとどまらない。そもそもパンチとは半身を引くことで逆側の拳に勢いをつける。山突きは身体の両サイドを同時に前進させる都合上、その分だけ威力が落ちる。まして当たったのは胴体だ。相手をたじろがせるのが精々だろう。
二の矢、三の矢を放つ。ナツキはローブコートのポケットからある物を取り出し、それをその場で高く舞い上げばら撒いた。
「ククッ、本来これは投擲用なんだがな」
それは、トランプだった。四種十三枚にジョーカーを加えて合計五十三枚。ナツキはゲームの影響から自宅でいつもトランプ投げの練習をしており、手首のスナップで回転をかけることで数メートル先のリンゴくらいならば切断できるのだが、今回はそうした用法ではない。むしろどこに狙うでもなく、自身とフード男との間に広がるカーテンのように煩雑に空高くばら撒いた。
フード男は視界からナツキを見失う。探るようにキョロキョロと見渡すがトランプがしだれる柳のように邪魔をして見つけられない。
そしてトランプのヴェールを穿つようにナツキの拳が放たれて、フード男の顔面にめり込んだ。
「ククッ、貴様がどんなに強かろうと、視界を奪ってしまえば反応できまい!」
フード男の能力は微弱な電流の操作だ。運動能力や回避能力は劇的に向上するが、耐久力は一般人とまったく変わりがない。殴られた勢いで吹き飛び、逆側のブロック塀に背中からぶちかりバタリと地面に倒れ込む。
バラバラバラバラバラと舞い落ちるトランプの吹雪の中でナツキはその光景を見届けた。フード男は倒れてからもビクン! ビクン! と数度痙攣したが、とうとう動かなくなった。
とりあえず起き上がったときに再度暴れられないよう、取り押さえようと近づいた。フードはめくれ上がり素顔が露わになっている。
「おい、どういうことだ。こいつは……」
否応なく顔を確認することとなってしまった。そしてナツキが驚くのも無理はない。なぜなら、フード男の正体が先日ニュースで報道されていた連続中学生失踪事件の二十件目の被害者だったからだ。
今回も読んでいただきありがとうございます!
実はトランプの初出は第五話でした。