第208話 イギリス到着
「ようこそいらっしゃいました」
エディンバラ空港で恭しく頭を下げたメイドは紫色の瞳に肩までの黒髪の女だった。足首まである長いスカートのメイド服は黒を基調としていて、エプロンやリボン、ブリムは白色のクラシックなヴィクトリアンスタイルのメイドである。
飛行機から降りたナツキとスピカの二人は招待状をメイドに見せると案内されるまま彼女の運転する黒いクラシックカーに乗る。ライトやボンネットに丸みを帯びた可愛らしい顔の車だ。
互いに特に警戒する様子はない。そのメイドからすれば相手は客人。イギリス全国民を人質に取っていることを抜きにしても、こちらが持つネバードーン財団の情報を欲しいと思っている。片やナツキたちからすれば三等級の能力者一人にどうこうさせるとは思っていない。
「俺たち以外のメンバーは誰か聞いてるか?」
「いいえ。私はアカツキがいるって聞いてすぐに飛んで来たから。他の人のことは訊いてもないし興味もないわ」
飛んで来た、は文字通りである。飛行機で飛んでやって来た。
「ねえメイドさん。私たちサイドの人間はもう集まってるのかしら?」
「……私のことはベティとお呼びください。既にお二人のご友人でもあらせられる方が一名待っております。残り二名は遅れて来るかと」
「そう」
窓を眺めればイギリスの街並みが高速で流れていく。ゴシック建築に見られる高く尖った石造りの建物。雨が多いことでも有名な国なので民家の赤い屋根も傾斜が急だ。石でできたアーチの橋を渡る。どの街も地面がアスファルトではなく伝統的な石畳みなので座席から感じる振動も日本のそれとは少し異なる。
途中、二段バスともすれ違った。スカイバスという名前で日本でもたびたび走っているのを見かけるが、量はイギリスの比ではない。あたりを普通のバスみたいに走っている。
しっかりと焼かれた赤や茶色のレンガの建物が多く、重厚で荘厳な景色が続く。曇り空も相まって少々重苦しい雰囲気だが歴史が色濃く人々の生活に残っていることが伝わり、敵地だというのにナツキは観光気分で車窓を楽しめた。
二時間ほど経っただろうか。景色を楽しんだり少し仮眠を取ったり、時々隣にいるスピカが手を握ってきたり。
「到着いたしました」
車から降りたナツキは思わず『おお』と感嘆の声を漏らした。彼の目の前に広がっているのはコロッセオ。伝統的な闘技場だ。それも歴史の教科書で見る半壊したものではない。鉄筋とコンクリートで作られた頑強な構造。近現代になって新たに建てられたものだとすぐにわかる。
「こちらです」
ベティに先導されてコロッセオの内部へと歩みを進める。まず入口が自動ドア。外観は間違いなくコロッセオだが中身はハイテクである。
闘技場というよりはサッカーのスタジアムにイメージは近いかもしれない。入口を入るといきなり中心部に出るのではなく、外周部分に繋がる。楕円形の円周上にいくつもの部屋があり、さながらサッカースタジアムのロッカールームのような構造だ。
「決闘は一日につき一戦。計五日をかけて行われます。本日は初日につき両陣営の顔合わせも行うため全員にお越しいただいております。こちらの待機室でお待ちください。なお宿泊施設等はこちらでご用意させていただいておりますので、第一戦終了後に改めてご案内させていただきます。それでは」
深くお辞儀してベティは立ち去った。待機室といっても入ってみれば非常に広い。学校の教室をひと回りかふた回りほど大きくしたような部屋だ。ベンチが『口』の字型に配置され、壁際には自動販売機。それから壁一面の巨大モニター。
だがナツキとスピカの二人が待機室の内装を詳らかに確認するより先に、二人を出迎える人影があった。
「久しいな。黄昏暁。そしてアルカンシエル・ネバードーン、いや、スピカ」
黒い軍服を纏い、腰にはロングソードを提げ気品と剛健を兼ね備えた風格。戦闘の邪魔にならないように肩口で切り揃えられた金髪は手入れが行き届いていて絹のようにサラサラとなびく。スピカと同じ青い眼は長いまつ毛でぱっちりと開き肌は透き通るほど雪のように白い。
彼女の肩書は多い。ロマノフ朝ロシア帝国の前皇帝の娘。現皇帝のクリムゾン・ロマノフ・ネバードーンの妻であるアンナ・ロマノフの妹。ロシア帝国の軍部大臣にして軍の総司令官。
「そうね、久しぶり。エカチェリーナ・ロマノフ」
〇△〇△〇
「ロシア帝国は星詠機関の親書を受け取り、二組織間で友好関係が築かれたんだ。そこでシリウスから提案を受け、私は今回の決闘に参加する運びとなった。……まあ、一種の通過儀礼なのだろうな。私たちが星詠機関に利する存在かどうか。裏切らないかどうか。試されていると言えるだろう」
そう話してくれたエカチェリーナはわずかに苦笑いを浮かべた。しかし彼女の自信に満ちた表情に翳りはない。彼女は二等級の能力者であり、クリムゾンがいなくなった今ではロシア帝国の能力者では最も上の等級となる。
もちろんロシア帝国の本領発揮は広い国土や多くの国民、膨大な軍事力なのだろう。しかし能力者同士での戦いにおいても一歩を引けを取る気はない。
「世界情勢は大日本皇国、ロシア帝国、星詠機関、そしてネバードーン財団とその子供たちの領土、といった感じで分裂状態にあると聞いていたが、日本は星詠機関の日本支部を許可したしロシア帝国と星詠機関は友好関係になった。世界は徐々に対財団の包囲網を形成しているわけだな」
ナツキは先日牛宿に教わった世界地図の色の塗り分けを思い出していた。第三次世界大戦以来バラバラだった世界は、ネバードーン財団の次期当主決めという放り投げられた混沌の波紋に対し一枚岩になりつつある。その意味では今回の決闘は次期当主有力候補筆頭に対し世界の他勢力が一致団結して臨む構図とも言えるかもしれない。とはいえ英雄が来られなかったように授刀衛からの人員派遣はないようだが。
情報をまとめたナツキに向かってスピカが言った。
「でもそれはアカツキのおかげでもあるのよ。あなたの活躍が世界を動かし続けてるの。わかってる? 日本支部を作るきっかけになったのはブラッケスト・ネバードーンの子供の一人であるグリーナーを私たちで捕らえたから。ロシア帝国との縁ができたのはロマノフ王家を事実上乗っ取っていたクリムゾンをアカツキがぶちのめしたから。そうでしょ?」
「ああ。私も同感だ。黄昏暁、きみがクリムゾンを倒してくれなかったら私たちは今でもクリムゾンの下で苦渋を嘗めさせられていただろう。感謝している」
銀髪美女と金髪美女の二人から揃っておだてられナツキはつい照れて顔を赤くしてしまう。ナツキとしては自分なりの理由があっての行動だ。その余波が世界の勢力図に与える影響など考えたことはない。でもそれによって世界が好転するのなら良かったと思える。
何せこの世界は自分だけのものではないのだから。自分にとって大切な人たちが大勢住んでいる。恋人の夕華はもちろん、英雄もスピカもナナも美咲も円も。
あくまで大切な人たちのためというのが第一にある。世界平和などというものはナツキにとって二の次であり副次的な結果。これはナツキ本人も気が付いていない歪さではあるのだが。
「ククッ、まあやれるだけのことはやってみせるさ」
照れて顔をそむけたナツキの強がった言葉にスピカとエカチェリーナは顔を見合わせて笑った。二人にとっては歳下の男の子であり、弟が背伸びしているようでとても可愛く愛らしく写っているのだった。