第207話 恋は落ちるもの、愛は気づくもの
「この飛行機どこかで見たような……」
空港の滑走路に立ったナツキは眩しい陽射しを手で遮りながら呟いた。真夏の気温のせいでアスファルトの上ではゆらゆらと蜃気楼が揺れている。
イギリスに向かうにあたり、ナナから先日連絡があった。同じく参加する五人のメンバーのうちの一人が飛行機で拾って行ってくれるらしい。
そんなタクシー感覚で飛行機をチャーターできる時点で疑問に思うべきだった。そういえば知り合いの中にプライベートジェットを持っているヤツがいたな、と。
飛行機の丸い体から扉が開き折り畳まれていた階段が出てくる。そして飛行機から降りたのは白銀の長髪の美少女、抜群のスタイルと凛とした声音を持ったナツキの友人。
「久しぶりねアカツキ! 会えて嬉しいわ!」
腰に手を当て高所からナツキを見下ろす彼女の姿は気品があり堂々としている。そして真夏の太陽よりもずっと眩しく見えた。
「久しぶりだな。スピカ」
〇△〇△〇
通常の飛行機ならばできるだけ一度のフライトで多くの乗客を運べるようにびっしりと座席を詰めて並べているだろう。しかしスピカのプライベートジェットは可能な限り燃料を積載しなおかつ軽量化を図るため、そうした余計なものは存在しない。パイロットが運転するコクピットと簡易的な修理ができる整備室、そして高級ラウンジのような広い個室がひとつあるだけだ。
つい最近、ナツキはこの飛行機に乗ってロシアに行った。あのときは木々を薙ぎ倒しながら森に胴体着陸をしたのでボロボロになっていたが、今はすっかり修理されていた。
スピカはカクテルグラスを二つ取り出すと金色の炭酸水を注ぎそれを両手に持って戻ってきた。二人はクラブにあるような円形の大きな皮のソファに座っている。以前乗ったときはナツキの左右の膝に英雄と美咲がそれぞれ膝枕状態で仮眠を取っており、それでもなお場所が余るほど大きい。
だというのにスピカは二つのグラスをテーブルに置くとナツキのすぐ隣に座った。
「ただのジンジャーエールよ。お酒じゃないわ」
「そ、そうか」
「それにしても相変わらずね。その格好、暑くないの?」
「ククッ、地獄の業火に比べれば氷雪のごとき冷たさだな」
黒いマフラーに黒いローブのようなコート。黒いロングパンツ。黒いブーツ。どう見ても真夏の北半球でする格好ではない。
スピカはマフラーを手に取って眺めている。必然、それだけ距離は近づくことになり。スピカの胸がさっきからずっとナツキの腕に当たっている。というか腕を挟んでいる。
「な、なあスピカ。ちょっと近くないか、その、胸が……」
あたふたするナツキをよそにキョトンととぼけた表情でスピカはナツキの顔を覗き込む。
「当ててるに決まってるじゃない」
「は、はぁ!?」
「私、決めたの。アカツキとユウカが恋人になったのは悔しいけど認めるわ。そして祝福もする。でも私は私の初恋を諦めないってね。私は美しくあるものが好きなの。それは容姿。それは戦い方。そしてそれは、精神性。潔く祝福するのも心の美しさだし、欲しいものを諦めずに手を伸ばし続けるのも人の心の強かな美しさよ。だからこれからはもっともっとアカツキにアピールしていくから」
現実を受け止めずに嫉妬し地団太を踏むのは美しくない。でも、はいそうですかと身を引いて自分の心に嘘をついて残りの一生を生きていくのは同じくらいに美しくない。傲岸不遜になることなく威風堂々であること。スピカなりの美的価値観である。
すると、カクテルグラスの逆円錐に注がれていたジンジャーエールがわずかに波打った。機体全体が揺れる。どうやら飛行機が発進し離陸したようだ。『きゃあっ!』とわざとらしい声をあげたスピカはさらにナツキに抱き着き密着した。
しかし首すじに顔をうずめたスピカは違和感を抱く。
「なんだか他の女の匂いがする……それに首にキスマーク……。アカツキ、あなたまだ十四歳よね。まさかユウカともう……」
「ち、違う! 一線は超えていない!」
「そう。でもまあ星詠機関の給料から考えて子供ができても経済的には問題ないわね。ごめんなさい。私のとやかく言うところじゃなかったわ」
どうも調子が狂う、とナツキは内心頭を抱えている。初めて会ったときはスピカのことをただの中二病だと勘違いしていたっけ。そのときはスピカのことは大切な友人だと思っていたが、いざ本気の好意を言葉や態度に表されると照れくさく緊張する。
夕華との恋人関係と違い、片想いの矢印は自分に向いている。円のときと同じだ。学校では変人扱いされモテたことなど一度もなかったナツキにとって真っ直ぐな好意は今でも少々むずがゆい。
「な、なあスピカ、怒ってるのか?」
「いいえ全然。私が嫉妬に狂うような美しくないことをするわけがないじゃない。アカツキが恋人と淫らなことをしているからって揺らぐほど私の初恋は安くないわ」
口ではそう言っているが、ナツキにしがみつくスピカはぷいっと視線をそらし口をぷくーっと膨らませている。
「スピカお姉ちゃん」
ぼそっと呟いたナツキの一言にびくっと反応するスピカ。
「俺は大好きなスピカお姉ちゃんには笑顔でいてほしい。イギリスに着くまでの数時間、お姉ちゃんと楽しく過ごしたいんだ」
十四歳のナツキと十七歳のスピカ。現実的に姉弟でもおかしくない年齢差だ。スピカは顔を真っ赤にし歓びと昂奮でぷるぷる震えている。
「……もう。ばか。好き」
美しい蒼い瞳を潤ませたスピカはナツキの服をぎゅっと掴んで上目遣いにそう言った。
以前この飛行機に乗ったときスピカをお姉ちゃんと呼んだら大層喜んでいた。ナツキはそれを覚えていたので今回もそのようにしたのだ。
スピカは偽名である。本名よりも名乗っている期間も機会も多いので『スピカ』こそが本人にとっては本名なのだが、あくまで二十一天という星詠機関幹部の称号や異名のようなものだ。
そしてスピカの本名は『アルカンシエル・ネバードーン』。そう、ネバードーン財団の生まれなのだ。現当主ブラッケスト・ネバードーンの娘の一人。【色付きの子供たち】でもある。
その中でも末っ子だったスピカにはちょっとした姉願望があった。兄さん姉さんと呼ぶことはあっても自分が呼ばれることはない。だからこそ歳下の想い人からお姉ちゃんと呼ばれるのは心の底から嬉しい。
(でも私がアカツキにお姉ちゃんと呼ばれて嬉しい一番の理由は……)
スピカはナツキの肩にこつんと頭を乗せて顔を見られないようにし、ふふっと小さく笑った。
(私が何を喜んだのかをアカツキがちゃんと覚えていてくれたこと)
そう、お姉ちゃんと呼ばれことは一度目じゃない。もちろんそう呼ばれること自体も嬉しいのだが、一番はナツキがそれをしっかりと覚えていたことだ。
何が嬉しくて何が悲しいか。それを共有し、悲しみは分け合い嬉しさは一緒に倍増させる。友人であれ恋人であれ最も尊い人間関係の形だ。
そもそも初めてスピカがナツキを意識したのは、グリーナーの事件の際にカフェの帰り道で『この星よりも大切な人』と言ってもらったときだ。現に今もナツキは自分を大切に想ってくれている。もちろん恋人には及ばないかもしれない。それでも大切に想われていることは間違いない。
この実感がスピカの胸に温かい感情を与えた。
(そっか……これが愛なのね)
スピカは大好きなナツキに触れることで、この気持ちが『恋』から『愛』へと変化した瞬間を感じ取る。
恋は落ちるもの。では愛は?
愛はきっと『気が付くもの』だ。スピカは自分が少し大人に近づいた気がした。
〇△〇△〇
(頑張れ、スピカ様)
パイロットは飛行機を操縦しながら心の中で呟いた。ラウンジとはスピーカーで繋がっているが基本的にはオフだ。カメラもない。だから何が起きているかはわからない。それでもスピカの恋路が上手くいくことをパイロットは願う。
パイロットだけではない。ニューヨーク支部にいるスピカの部下たちは皆同じようにスピカの幸福を願っている。
これもまた愛の形である。スピカが様々な愛に気が付くのはもう少し先の話だ。
昨日投稿分のタイトルが『第207話』となっていましたが、正しくは『第206話』です。訂正しました。数字の部分を間違えただけで内容に変更はありません。すいませんでした。