第205話 ワットカラードゥーユーライク
その日、星詠機関日本支部の高層ビルの会議室には四名が集まっていた。
聖皇によって形式上据えられた支部のトップ、結城英雄。
実質的に支部長としての業務をこなすことになった支部長代理、北斗ナナ。
同じく支部長代理、牛宿充。
そして、黄昏暁こと田中ナツキ。
「あなたたちには知る義務があります」
眼鏡のブリッジを押し上げながら、やや長めの髪をオールバックにしている牛宿が三人に向けて言った。いつもはナツキたちに偉そうな態度を取る牛宿が敬語ということは、フォーマルな内容なのだろう。彼が試験監督を務めたときも形式的とはいえ慇懃な態度だった。まあ、あのとき以来ナツキと牛宿の間にはちょっとした因縁があるとも言えるのだが。
事情を把握しているナナはともかく、英雄とナツキの二人はなんのことだろうかと顔を見合わせている。
「義務っていうと堅いけどさ。要はアンタたちは……まあアタシもだけど、大きな時代のうねりを作ったかもしれないんだよ」
「要領を得ないな。俺と英雄、それからナナさん。どんな共通点がある?」
「正確にはアタシ、アカツキ、英雄、それからスピカ様と美咲だね。スピカ様はアメリカにいるから来られない。美咲はアイドル業で忙しい。ひとまずアカツキたちに説明しようってわけ」
ナナが挙げた面子を聞いてナツキには思い当たる節があった。それは先日、ロシア帝国にて夕華を奪還し皇帝のクリムゾン・ロマノフ・ネバードーンを倒した件。ダリアやキリルに襲撃され夕華を連れ去られたのが一学期の終業式の日だったので、かれこれ一カ月ほどが経っただろうか。
「ロシアの件か」
「そういうこと。牛宿、まず何から話そうか……」
「そうですね。この二人はあまりに特殊な出自故、正直なところ強さに対して開示されている情報や把握している知識に不足がある。根本的なところから説明する必要があるでしょう」
そう言って牛宿は会議室の明かりを落としリモコンを操作してホワイトボードの前にスクリーンを下ろす。プロジェクターが世界地図を映写する。
パソコンを開いた牛宿ははぁ、と大きく溜息をつき、やはり堅苦しい態度は似合わないとばかりに頭を掻きむしりいつものような口調で喋り出した。
「黄昏暁。結城英雄。二人には今の状況を理解するために、ざっくりとこの世界の情勢を振り返ってもらう。黄昏暁、第三次世界大戦が起きたのはいつだ?」
「一九八四年。当時のアメリカ合衆国大統領による『我々は五分後に爆撃を開始する』というブラックジョークを真に受けたアメリカ軍部とロシア帝国は、互いに誤って発砲をした。些細な勘違いを契機に雪だるま式に報復が激化し、さらには地政学的に両国に近い当時の大日本皇国はなし崩し的に参戦した。最終的に三国での和平によって停戦──事実上の終戦となった」
「教科書的な答えだが、正解だ。それまで能力者の存在自体は世界各地で確認されており日本の授刀衛を始め組織として運用していた国もあるが、明確に戦争という表舞台に能力者が登場したのはこの大戦だと言われている」
「……そんなことは教科書には書いていなかったが?」
「当たり前だろう。能力者の存在は世界的に秘匿されている」
そんなことよりも、と牛宿はオールバックの髪をかき上げながら続けた。世界地図の様々な箇所に赤い点がぽつぽつ浮かぶ。
「当時アメリカ側で参戦していたシリウスという男によって、ある組織が作られた。それが私やお前も所属しているこの星詠機関。国際連合は日米露の三国による能力者戦争に無様にも手出しできなかったからな。能力者を管理するための能力者組織の設立は急務であり、そして容認せざるを得ないことだった。書類上は国連の一部門という扱いだが、実際の権力構造は……まあいい。話を戻そう」
(たしかに、俺たちは能力者を取り締まったところで誰かから謝礼金を貰っているわけじゃない。それなのに俺ですらかなりの額の給料を貰えているし、星詠機関のビルはどの支部も高層ビルときた。資金源は国連、元を辿れば世界各国の国々の上納金ってわけか)
ナツキの推測は完全に正しい。金銭的な強さだけでなく超法規的ないくつもの権限も含まれる。
「そしてこの赤い点が星詠機関の支部がある場所だ。そして、ここが大日本皇国領、ここがロシア帝国領」
世界地図上の日本列島に色が赤色に塗られ、ユーラシア大陸の北半分には黄色が塗られた。
「基本的に、大日本皇国とロシア帝国以外の国と地域はすべて国連に加盟している。故に」
今度は星詠機関を示す赤い点を含め、日本領とロシア領以外が青色に塗りつぶされた。
「つまり三つ巴、ってことですか?」
小さくちょこんと手を挙げた英雄がおそるおそる尋ねた。世界地図は赤青黄の三色に塗り分けられた。そんな見ればわかることをわざわざ聞いたのは、実態がそうではないことを英雄も理解しているからだ。
「そうだったらよかったんだがな。組織とは人だ。そして国もまた組織だ。だから明確に地図を塗り分けることは難しい。だがあえて表現するならば」
ロシアのシベリア地域が紫色に塗られた。
「これがネバードーン財団が当初持っていた領土。そして」
今度はロシア全土、ユーラシア大陸東部、中東、小アジア、イギリス、カリブ海地域、アフリカ南部が紫色に塗られた。
「現当主ブラッケスト・ネバードーンは自身の子供たちを世界に散りばめた。世界を舞台に争い、そして勝ち抜いた者にネバードーン財団の次期当主の座を与える、と」
どれだけ財界や政界に力を及ぼす世界ナンバーワンの財団であっても、国は持たなかった。国は持たず、兵も持たず、また領土も王位もほとんど持たなかった。しかし。
「まず長男のクリムゾン・ネバードーンはロシア帝国の王家に入り込み、クリムゾン・ロマノフ・ネバードーンとなった。お前たちも知っての通りだ。そして、他の子供たちも優れた才覚と戦闘力によってまたたくまに世界各地を陥落させ己が領土としていった」
「ククッ、なるほど。つまり単純に世界地図に色を塗って分けていられる状況ではないということか。ブラッケスト・ネバードーンの子供たちは国を乗っ取り兄弟同士で小競り合いをしている。星詠機関、大日本皇国、ロシア帝国はそれぞれ敵対している上にネバードーン財団とも敵対している。三つ巴とか何巴とかという話じゃない。まるでステンドグラスだな。カラフルなガラスが散りばめられているみたいに、各勢力の摩擦が生じいている」
「理解が早いな黄昏暁。そういうことだ。おふざけだかなんだか知らんが、ブラッケストが放った宣言は世界を混沌に導き常に小さな戦争が水面下で起きる世界にしてしまった。それを可能にするくらい、彼の子供たちは優秀すぎた」
ナツキが知る限り、その子供たちとやらはたしかに皆優秀だった。
英雄を無能力者から能力者にした、グリーナー・ネバードーン。
美咲を連れ去りナツキを追い詰めたアクロマ・ネバードーン。
夕華を妻にしようとしたロシアのクリムゾン・ロマノフ・ネバードーン。
……そして、スピカ、本名はアルカンシエル・ネバードーン。
能力の等級も戦闘センスや知能も優れている者たちばかりである。
「我々星詠機関は世界で混沌を振りまくブラッケストの子供たちを【色付きの子供たち】、或いは単に【子供たち】と呼称している」
「【無色】のアクロマ・ネバードーン。【赤色】のクリムゾン・ネバードーン。俺と戦うときたしかに奴らはそう名乗っていた」
「そうだ。異名や二つ名みたいなものだな。星詠機関内でもその呼び方をすれば通じるだろう」
「で、でも牛宿さん! クリムゾンは黄昏くんが倒しましたよね」
英雄が元気よく言った。女の子にしか見えない英雄だが、実はナツキのような強くカッコいい男になりたいと思っている。憧憬のような感情。一人の友人であると同時に、英雄にとっては目標でもあった。そんなナツキの成果は英雄にとっても誇らしい。
「それが問題なんだ」
牛宿がパソコンを操作し、今度は世界地図のロシアから紫色がなくなって元の黄色に塗りつぶされた。
「【赤色】のクリムゾンは黄昏暁に倒されロシア帝国はロマノフ王朝の手に戻った。それはいい。元より敵国だったからな。いいや、むしろその件をきっかけにアルタイルがロシアの姫姉妹に会いに行き星詠機関とは友好関係を結ぶことになった。事態は好転したと言ってもいい」
エカチェリーナのことはナツキも英雄も覚えている。そして姉の方。ナツキは苦い顔をした。夕華を助けに王城に行ったとき、闇雲に城内を走り回っていた自分に助言してくれた女性。アンナ・ロマノフ。
「じゃあ何が問題なんだ。お前は俺と英雄に何を知っておく義務があると言いたい。こんな世界情勢の説明は余興に過ぎないんだろう?」
「ああ。ここからが本題だ。黄昏暁、お前が倒したクリムゾンは【色付きの子供たち】の中でも最強。世界に数名しかいない一等級の能力者だった。【子供たち】内の序列も当然一位。ネバードーン財団次期当主の座はほぼ確実と目されていた。だが、その枠が空いてしまった」
「……つまり、俺が一位を倒したせいで二位以下の争いはむしろ激化することが予測されると? 世界で大きな戦火が広がる可能性があると、そう言いたいのか」
「まさにそこだ。戦闘力や影響力、或いは政治手腕や経済力の序列一位を長男である【赤色】のクリムゾン・ネバードーンとするなら、二位は長女でもある【青色】のシアン・ネバードーン。これは間違いない。そして彼女からこんな手紙が届いた」
牛宿がパソコンの画面をナツキたちに見せた。手紙を写真で撮ったものがそこには表示されている。
英雄がゆっくりと読み上げていく。
『親愛なる悪しき星詠みの皆さまへ。ご機嫌麗しゅう存じます。さて、突然のこととはなりますが我々は互いの正義をかけて五対五の決闘をしたいと考えております。五枚の招待状を同封しましたので、どうぞ優れた五人を選び、エドウィンの城にお越しください』
「黄昏くん、エドウィンの城って何か知ってる……?」
「エドウィンの城というのはある地域の名前の由来だ。それが指すのは、エディンバラ。イギリスの首都だよ」
「黄昏暁の言う通り、シアン・ネバードーンは既にイギリス全土を手中に収めている。ロシア帝国全土の支配者となったクリムゾンには及ばないが、領土の広さ、国民の多さ、財政基盤、総合的に考えてシアンが優れた【子供たち】であることは疑いようもない」
「で、でも牛宿さん、それじゃあ絶対に罠じゃないですか。敵の本陣にたった五人で乗り込めって言っているわけですよね」
「もっと言うと参加するメリットがない。相手の都合で相手の場所に行き戦う。そんなもの、交渉ですらない」
英雄とナツキがこのように反応することなどわかっていたかのように牛宿は頷いた。
「そうだな。だがこの手紙には続きがある」
牛宿がマウスをクリックすると画像は次のページに移る。
『我々は正々堂々とした決闘を望みます。もし五名以上で押し入った場合、我々には罪なきイギリス国民を巻き込み心中する用意があります。また、あなた方が勝利した暁には我々が持つネバードーン財団にまつわる情報を可能な限り譲渡することをお約束いたします。手始めに信頼と信用の証として、我が父にして現当主、ブラッケスト・ネバードーンの居場所を教えて差し上げます。それではごきげんよう。──シアン・ネバードーン』
「現在、二十一天から誰かしら派遣されて添付されていた位置情報の場所へ裏付けの調査に向かった。だがそれは秘密裡に星詠機関が集めていた断片的な情報に限りなく近い。ということは本当だろうな。つまりシアン・ネバードーンは財団の娘でありながら重大な裏切りを働いたことになる。どんな思惑があるかはわからない。しかしシアンには財団を裏切ってでも成し遂げない何かがある、ということだけはたしかだ」
「なるほど……」
牛宿の説明を受けて英雄が呟く。それに、相手は能力者のことなど何も知らないイギリス全土の一般人を人質に取っている。いずれにしろ行かないという選択肢はない。
ナツキが徐に口を開いた。
「これが俺たちの『知る義務』か。俺たちが夕華さんを助けるためとはいえクリムゾンを倒した。その一大事をきっかけに【子供たち】は動き始め、わけのわからん手紙が送られてきた、と」
「ええと……牛宿さんは僕と黄昏くんに五人のメンバーとして決闘に行けって言いたいんですか?」
英雄は聖皇の直属組織、授刀衛に所属している。さらにその中でも幹部である二十八宿の一人だ。星詠機関日本支部にはお目付け役兼お飾りトップとして派遣されている。それでも一応、籍はあるわけだから参加の権利はある。
しかし牛宿はすげなく首を横に振った。
「既にシリウスが調整を始めた。だが聖皇は結城英雄の派遣に反対したそうだ。だからこれは黄昏暁、お前に渡しておく」
牛宿がスーツの内ポケットから一枚の招待状を出しナツキに手渡した。
「シリウスの人選だ。星詠機関の代表として戦う五人にお前が選ばれた。俺としてはお前のような生意気な小僧に代表されるのは不服だが……絶対にイギリスの人々を死なせるな。そして世界を混乱と争乱に導くネバードーン財団を滅ぼすための情報を必ず勝ち取ってこい」
『我々は五分後に~』はレーガンが本当に言った言葉です。