第201話 スパーク・ファイアフラワー
影の王国にはとても立派なお城がありました。そしてお城に負けないくらい綺麗なお姫様が住んでいました。誰もが羨む彼女の美貌は、隣国にも響き渡りました。
光の王国にはとても麗しい王子様がいました。あるパーティーで影の国のお姫様を一目見た王子様は、すっかり恋に落ちました。
深い森の奥に住む悪い魔女は嫉妬しました。私の方が王子様を長い間愛していたのに。自分よりずっと若くて綺麗な影の国のお姫様を恨んだ魔女は、呪いをかけてしまいました。
呪いによってベッドに伏せ、お城から出られなくなってしまった影の国のお姫様。彼女を不憫に思った影のお姫様の母親は、影の王国の力自慢を集めて森へと向かいました。悪い魔女を倒すのです。
お姫様の母親と、四人の戦士。合わせて五人はしっかり装備を整えて、森の暗闇へと足を踏み入れました。
でも、簡単には魔女のところにはたどり着けません。
魔女は魔法を使って森を操りました。空を覆うほど高く茂った木々が地面から根を引っこ抜き、幹にはどす黒い二つの眼と裂けるほどつり上がった真っ赤な口が浮かび上がりました。そうして五体の木の怪物が生み出されました。
根や枝を鞭のように振るう巨大な樹木のモンスターはとても恐ろしく、五人を震え上がらせました。でも、大好きなお姫様を救うために五人は一生懸命戦いました。
トレントをやっつけた五人は森の最奥で魔女を見つけ、お姫様にかけた呪いを解かせることに成功しました。
五人は魔女を縄で縛って、影の国のお城に帰ってきました。お姫様はもう元気いっぱいです。お姫様は、悪い魔女を許してあげました。
それからしばらく経って、影の国のお姫様と光の国の王子様は結婚することになりました。
美しい純白のウェディングドレスの着たお姫様を、国中の人が祝いました。チャペルのカリヨンが祝福するように三回鳴りました。お姫様は自分を救ってくれた五人にたくさん感謝しました。
お姫様と王子様は、末永く幸せにくらしました。
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ナツキが京都から帰ってきて数日が経った。八月も末。夏休みも後半に差し掛かりセミが最後の命の叫びを上げている。
エアコンをつけないと身体が溶けてなくなってしまいそうな破壊的な猛暑。リビングのソファで棒アイスを食べながらぐったりと横になっていた。赤と青のオッドアイでじっとテレビを眺め続けている。録画していたアニメを一気見していたのだ。
ずっとダラダラ過ごしているわけではない。ナツキは一応星詠機関の日本支部に所属している。国内で起きた能力者の暴走への対処や、ネバードーン財団という世界的な組織の末端の捜索や捕縛など業務は多岐にわたる。
授刀衛という聖皇直属の能力者組織が京都にあるが、彼らだけで国内の能力者を全て管理するのはやはり難しい。ナツキのような星詠機関の新米にも仕事はそれなりにたくさん回ってきていた。
(とはいえ、ナナさんや牛宿から電話がかかってくるまでは普通に夏休みだ。夕華さんは二学期に向けて他の先生たちと会議をするからと学校に行ってしまったし、家事も朝のうちに終えてしまったし、ある程度時間に余裕がある)
ぱくりとアイスを一口に頬張る。木の棒には『ハズレ』の三文字。
なんだかんだナツキも夕華も忙しい。生徒と教師という関係性による心の隔たりは存在しないが、物理的に一緒にいる時間が少ないことの不満がある。
ソファに寝そべった姿勢からアイスの棒を投げる。くるくると縦回転した薄い棒はリビングを横断し部屋の隅のゴミ箱にすとんと入った。
視聴していたアニメを一時停止したナツキは自室に戻り、とても夏に着ることなど想定されていないような黒の長いローブコートを羽織り、そして財布を持って家を出た。
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それから数時間。陽が沈むと猛暑も幾分かマシになっている。ダイニングテーブルではナツキと夕華の二人が夕食を取っていた。ナツキがいつもの暑苦しい黒く重たい装いなのに対し、夕華は同じ黒でもノースリーブシャツにスキニースウェットパンツというとても涼し気な格好だ。ベージュ色のセミロングヘアは頭の高い位置で一つ結びにしていて、首元もすっきりしている。
「ナツキ、ごめんなさい。本当は私が夕食の当番の日だったのに」
「いいや。仕事だったのだから仕方ない。それに若手教員は学校での立場も高くはないからな。今回のように急遽会議に参加させられることもあるだろう。俺としては夕華さんの力になれるのならそれが本望だ。それより……」
ナツキは思わず箸を止めて正面に座る夕華に見惚れた。如何せん肌色が多い。夏なのだから当然なのだが、家着も薄かったり袖が短かったりしている。それにナツキの知っている女性の中でもとりわけスタイルが良く、細くて締まった二の腕やあまりに大きくはちきれんばかりの胸など、眼のやり場に困る。その上うっすらとかいた汗がフェロモンとなってナツキの生物としての本能を刺激する。
「どうかした?」
「い、いいや。なんでもない」
顔を真っ赤にしたナツキを心配そうに覗き込み、額に手を当てる夕華。『ちょっと熱っぽいわね』という彼女の言葉など耳に入らず、重力に引かれてテーブルにつきそうになっている乳にばかり視線が吸い込まれる。
そんな一幕もありながら夕餉は続く。二人ともあらかた食べ終えて談笑の最中、ふとした話題で今日の学校でのことを夕華が話し始めた。
「そういえば今日の会議で隣町の中学校の先生たちも参加していて、会議が終わった後に二人きりで食事でもどうですかって誘われたわ」
「なっ……男か!?」
「ええ。私より年上に見えたけれど二十代だとは言っていたわね」
ナツキはテーブルの下でバタフライナイフを取り出し、器用な手つきで展開した。事と次第によっては隣町まで今すぐ赴いて三枚おろしにしないといけないかもしれない。
「そ、それでどうしたんだ」
「どうしたって、断ったに決まっているじゃない。だ、だって、私は……その、ナツキの恋人なんだから」
照れながらしどろもどろに夕華が言った。ナツキよりも十も年上だというのに今まで恋愛の経験はなく、まだまだ色恋に関する話題には緊張してしまう。
それでもわざわざこんな話題を切り出したのは。
「もしそれを見ていた別の先生が妙な誤解をして変な噂を流されたら嫌だなって思ったの。いいえ、噂を流されること自体というよりも、その噂を耳にしたナツキに勘違いされることね。他の人にどう思われても私はまったく気にしないけれど、大好きなナツキには嫌われたくないから」
照れて緊張しながらも、自分の確固たる意思と愛はしっかりと言葉にする。それが夕華なりの恋人に対する礼儀であり、あるいは不器用だがまっすぐな愛情表現であり、そして元来の誠実な性格でもあった。
初恋の相手と恋人になって、こんなことを言われて、ナツキも嬉しくないわけがない。学校ではいつもクールなのに自分にだけは優しい笑顔で話してくれたり心配してくれたりする。自分の前でだけは薄着になってくれる。そんな独占欲を満たす事実の羅列に興奮して昂って鼻血が出そうになる。
それを気合で止める。鼻血が出る度に貧血になるんでは世話ない。テーブルの下でナツキは自分の太ももにバタフライナイフを突き立てた。激痛が走り、下半身からは力が抜けて鼻血も到底出そうにない状態になった。
(ああ、俺やっぱりこの人が好きだ。昔も今もこれからも、一生好きだ)
ナイフを引っこ抜いて閉じてポケットにしまう。傷なら後で能力でいくらでも治せる。
そんなことよりも大事なことがある、と言わんばかりにナツキは席を立った。そして自室からある物を取ってきた。
「夕華さん、これやらないか」
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「──色彩の黙示録、爆熱の業火──迸ろ閃光ッ! 咲き誇れ華焔ッ! これが俺の、閃光華焔!!!!」
自宅の広い庭に出たナツキは二本の木刀を手にしていた。その先端部分には線香花火がセロテープでくくりつけられている。
ナツキが詠唱を終えると、蝉の五月蠅い蒸し暑い夏の夜の暗闇に、赤や黄色、緑といった光がパチパチと音を鳴らして浮かぶ。
そして『うおぉぉぉぉぉ』と叫びながら木刀の二刀流で剣舞を披露した。二本をクロスしたまま高く上げ、斬り下ろしながら両腕を広げる。流れるような動作で振り下ろしの勢いを利用し弧を描くように左右の腕を振るう。花火の光が軌跡となって暗闇に閃光の残像を残した。
身体を独楽のように回して連続斬り。軽くジャンプして、トドメの一撃と言わんばかりに体重を全て乗せた木刀を交差させながら地面に叩きつけた。
「ふぅ、キマったな」
「ちょっと、もう夜なんだからご近所の方々に迷惑になるわよ」
「あ、すまん……」
キメ顔をしていたナツキは夕華に注意されてしょんぼりと俯いた。夕華はというと、水を張ったバケツのそばでしゃがんで小さな線香花火を手に持っている。気落ちしたナツキを慰めるように言った。
「それに私はナツキには隣にいてほしいわ。どんなに綺麗な花火でも一人じゃつまらないもの。……消えちゃった」
ちょうど夕華の花火が弱まり燃えカスとなった。バケツに漬けるとまだ熱が残っていたのかジュワァと音を上げた。
ナツキは夕華の言葉に大喜びしながら新しい線香花火を二本持って行き、一本手渡して同じように隣にしゃがむ。
ライターはない。必要ない。ナツキの赤い右眼が淡い光を灯す。『夢を現に変える能力』、ナツキが夢にまで見た中二知識を具現化する一等級の能力。
「プロメテウスの火。盗まれた天界の炎は人類に叡智をもたらした」
ナツキが手をかざすと二人の手にある線香花火に火が灯った。暗闇に色とりどりな小さな火花が弾ける。
外はもう暗い。月も出ていない。花火の明かりだけが光源となり、夕華の顔をぼんやりと照らして浮かび上がらせた。
その光景は普段明るいところで見る以上に幻想的で魅惑的だった。しゃがんでいるので大きな双丘は膝に潰されて形を変えている。視線は手元の花火に向いており、彩豊かに七変化を繰り返す花火を見つめる表情はいつものクールで怜悧なものではなく、どこか穏やかで優し気なものだった。
「……ククッ、悪くないものだな。線香花火というのも」
「そうね。すごく綺麗」
「ああ。すごく綺麗だ。すごく」
二人の夏の夜更かしは草木が眠る深夜まで続いた。まるで世界に自分たち二人しかいないみたいな心地。互いの独占欲を満たすのに、余計な言葉はいらない。