第20話 犯人は現場に戻る
「はい、はい、ええ、わかりました。はい、それでは失礼します」
「どうかしたのか?」
日曜の朝。ナツキと夕華が朝食を終えてリビングでくつろいでいたところ、夕華の下に電話がかかってきた。口調からして、仕事関連、つまり学校からということはわかる。
しかしナツキが気になったのは電話口で夕華の表情がどんどん険しいものになった点だ。ただの業務連絡ならばどれだけ厳しい内容でも夕華は顔に出さない。学校でいつもクールな夕華が学校に関することでここまで感情を露わにするというのは非常に珍しいことなのだ。
電話を切った夕華はナツキを見て言いづらそうに話し始めた。
「昨晩、警察から学校長に連絡があったそうよ。そちらの中学校の生徒さんの保護者から息子が行方不明になったと通報がありました、って。それから保護者や近所の方たちも協力して捜索したのだけれど、保護者が買ってくるように頼んだものと同じものが入ったスーパーの袋が道路が転がっているのが見つかって……。おそらく市内で起きている連続中学生失踪事件に関係しているだろうから全教職員は緊急の会議に参加するようにって連絡が来たの……」
「ちょ、ちょっと待て。昨晩……スーパーで買い物をしたうちの中学の生徒だと? まさか、そんな……」
青ざめたナツキを見て言うか言わないか迷っていた夕華も、しかし隠したところで直にわかることである以上はやく知らせることの方がナツキのためだと考えて意を決して口を開いた。
「ええ。行方不明になった生徒の名前は結城英雄くん。最後に目撃情報があったスーパーの店員の証言から、失踪した推定時刻は午後八時頃だそうよ」
それを聞いたナツキはギリと歯ぎしりし血が出るほど拳を握った。
あのとき自分が無理にでも着いて行って家まで送っていれば……。
激情に突き動かされるようにナツキは立ち上がって自宅を飛び出た。待ちなさい、という夕華の制止も届かない。
「くそっ……せめて英雄の家の住所くらいは聞いておくべきだったか」
行先もわからぬまま走る。全力の疾走。わからないので、とりあえず英雄と別れた公園を目指した。そこで自分と英雄は逆に進んだということは、自宅から公園方面へ進み公園を通過すれば自ずとスーパーの近くへ出るだろう。
幸か不幸かナツキの心配は杞憂に終わった。公園からさらに走ること数分。黒と黄色のKEEP OUTのテープが住宅街の一画の道を封鎖していた。テープの向こうでは鑑識と思しきマスクをした帽子姿の男性が数名写真を撮ったり地面の何かの成分を綿棒で採取したりしている。
テープの手前には何事かと野次馬が大勢集まっており、ここ最近巷を騒がせている連続失踪事件なのだと誰かが呟くと一気にその情報が野次馬たちの間に駆け巡る。
まるでエンターテインメントを楽しむかのように現場を眺める野次馬たちの性根の悪さに憤りを覚えたナツキ。ここは住宅街だけあって、主婦や学生が多い。
だがそれ故に、ナツキはその違和感にいち早く気が付いた。野次馬に紛れるように黒いフードくを深く被っている男がいる。ナツキの視線に気が付くと彼は足早に立ち去った。
「貴様……ちょっと待て!」
無関係ならば立ち去る必要はない。自分の勘違いならば後で謝ればいい。最悪なのはここで英雄への手がかりの可能性を失うことだ。
野次馬をかき分けるようにして人込みを抜けたナツキはフード男の後ろ姿を捉えるとまた駆けだした。マフラーが風になびく。朝の空気はまだどこか冷たく肌を刺す。
住宅街は小さな区画が大きな区画の中にぎゅうぎゅうに詰め込まれているのでひとつひとつの道はさほど大きくない。よってどこかに隠れたり紛れたりされる恐れはないが、それだけ曲がり角が多く幾度も相手を見失いそうになる。
(どうして英雄なんだ……。英雄が何をした。あいつは友達思いの心優しいやつなんだ。こんな事件に巻き込まれていいはずがない。そんな不幸に見舞われていいわけがない……ッ!)
無力な自分。理不尽な犯人。全てに怒りが湧く。
英雄の昨日の様子からして家出をしたという線は薄い。やはり朝のニュース番組で犯罪心理学者が言うようにこれは誘拐事件の類なのだろう。ではその目的は何か。これもテレビの受け売りだが、中学生であること以外の深い共通点はない。男も女も、一年生も三年生も、関係なくいなくなっている。どうしてそのようなアトランダムな条件の中で英雄が狙われたのか。
代われるものなら代わってやりたい。抱いても意味のない感情ばかりが取り留めもなく溢れるくらいにナツキは焦燥していた。
ちょうど九つ目の角を曲がったときだった。ずっと捉えていたフード男の背中を完全に見失ってしまったのだ。
おかしい。撒かれるほど距離は開いていなかった。狭い道ばかりで隠れる場所もない。じゃあ一体、あいつはどこに……。
「ぐっ……」
見失った状況に対してすぐさま疑問を抱いたからこそナツキは反応できた。真上から振り下ろされた踵を、腕をクロスして受け止める。
「ククッ、逃げ切るほどの距離が開いていたわけではない。左右に隠れるスペースもない。だったらこういうときは上からの攻撃が定石なんだよなァ……!」
漫画などでよく見られる手法だ。姿を消したと勘違いさせて、上からという思いがけない攻撃によって不意をつく。しかしこうしたフェイントが有効なのは予測が困難だからだ。ナツキのようにバトル漫画に影響を受けてきた中二病にとってはむしろありきたりな手。
(まともな奴が出会頭に踵落としなんてするわけがない。おそらくこいつは黒、英雄の件についても何か知っている可能性が高い……)
たった一人の友人に手を出されたためにナツキは頭に血が上っていた。怒髪天を衝く。
腕を交差した状態のまま相手の足首をグッと掴んだ。そこから腕の左右を正しい状態に戻そうとすれば当然、捩じれが反転して掴まれていた足首を軸に相手の身体全体が回転する。
逃がすまいと地面と平行になって宙を回る相手にアイアンクローをするため頭に手を伸ばした。このまま地面に叩きつければ身動きが取れなくなるだろう。
しかし相手はナツキの予測を大きく超えてきた。あろうことか回転して宙を落下しながらナツキの腕をがっしりと掴んできたのだ。背中から地面に落ちた相手はそのまま腕を離さず、むしろナツキを引っ張りながら片足を腹部に入れて後ろへと投げ飛ばした。柔道の巴投げだ。
空中で姿勢を整えたナツキはアスファルトの上を手と膝と足裏の三点でザザザザと滑りながら衝撃を受け流し着地した。
(なんだ今の人間離れした反応は……)
落下しながら、まして身体が回転し三半規管がイカれた状態でナツキの腕を正確に掴む動体視力、そこからナツキを投げ飛ばす体勢に移行した運動能力。いいや、そもそも高く飛び上がり角を曲がって来た自分に踵落としをしてくるほどの跳躍力。
そのあまりに卓越した反応速度と身体能力にナツキは瞠目する。
相手はフードを深く被っていた。朝であるため周囲は明るかった。だからナツキが気が付かなかったのだ。そのフードの奥で二つの眼が橙色に薄く輝いていたことを。
おかげさまで二十話です。ここまで毎日続けられるのは読んでくれる皆さんのおかげです。本当に本当にありがとうございます!