第199話 命の終わり、旅の始まり
「ティア、妾じゃ。聖じゃ。入っても構わんか?」
扉の前で声をかける。三十秒ほど返事がなく後にしようと踵を返したとき、か細い声で『……どうぞ』と聞こえた。鍵はかかっておらずそのまま部屋へと入る。
ベッドで膝を抱えて座っているティア。依然として目元は赤く、どこかやつれて見える。互いに無言。ティアはこちらを見ようともしない。
私はベッドのそばに立ってじっと待つ。そんな状況で十五分くらいが経ったとき、ティアが口を開いた。
「……さっきはごめんなさい。聖ちゃんに八つ当たりするような真似をしちゃって……」
「いいや。気にしておらん」
「人殺しなんて、思ってないです。聖ちゃんのおかげで私たちはメイオールに殺されずに済んでます。シリウスさんのことだって……あれはメセキエザのせいであって、聖ちゃんは何も悪くありません。アルコルくんを見捨ていたら私は一生それを後悔していました。だから、その……本当にごめん、なさい……」
「今は無理に話さんでよい。妾は何があってもティアを見捨てるようなことはせん。ずっとここにおる」
ティアの隣に座り、小さく丸まっている彼女を抱き締める。彼女を頭を胸に抱き、美しい白銀の長髪を梳くように撫でる。私よりも五つも年上なのに、今は子供をあやすみたいだ。
「聖ちゃん、ごめんなさい……でも私、シリウスさんがいないなんて、死んじゃうなんて……」
「大丈夫じゃ。大丈夫じゃ」
セーラー服がびちゃびちゃになるほど泣きじゃくるティアは、ぽつぽつと『シリウスさん……』と漏らす。
シリウスを能力者にしたのはティアだという話は以前聞いた。いわば私とカナタのような関係だ。ただ、この船に乗る前から、もっと言えばアステリズムという対メイオールの組織を作る前から、ティアもシリウスもアメリカのエリア五一で一緒に働いていたという。
そこにある絆の大きさは計り知れない。もちろんセレスは唯一の肉親としてシリウスと特別な関係にある。でも血がつながらないからこそ、そして同じ職場にずっといるからこそ抱く『特別』もきっとある。
「ティア、もう夜遅い。疲れたならば今は休め。妾も大切な人を喪った身の上故、気持ちはわかる。その傷は一朝一夕で癒されるものではない。……食事も喉を通らんしな。それでも忘れてほしくないことがある。妾はずっとおぬしのそばにおるということじゃ。妾も、セレスも、カナタも、ヒイロも。誰もシリウスの代わりにはなれんかもしれん。その代わり、ティアが抱える痛みも苦しみも少しでも妾たちに分けてほしい」
「聖ちゃん……」
力なく、それでもたしかにティアは私に抱擁を返してくれた。ふわりと花の香りがする。
私たちアステリズムは大きな柱を失った。そんなときだからこそ支え合わないといけない。一人で背負えるほど小さな悲劇ではない。セレスが私一人の責任ではないと言ってくれたように、ティアの苦しみは私たちが一生一緒に背負う十字架だ。
「それじゃあ、妾は戻る。落ち着いたらまた顔を出してくれ」
ただティアは微笑んだ。切なくて儚くて、でも綺麗な顔で。それ以上言葉を交わすことはない。
私はティアの部屋を出て扉を閉めた。廊下に出た直後。扉の向こうからティアのすすり泣く声がまた聞こえてくる。
はぁ、と深く溜息をつき私は扉に寄り掛かるようにしてその場でへたりこんでしまった。誰かといることで吐き出せるものもある。でも、独りになることでしか処理できない感情もある。他の人とは共有できない自分だけの想いもある。
シリウス・ネバードーン。彼の存在がいかに大きいものであるかを私は改めて痛感させられた。
〇△〇△〇
「ティアの様子はどうだった?」
「多少は落ち着いた、といった感じじゃ」
パーティールームに戻るとセレスが尋ねた。今はセレスだって気丈に振る舞っているが、この後どうなるかはわからない。彼女自身が言うように、身内を失くした直後は現実味がなく悲しめないという事例はよくある話だ。しばらく時間を置いてから喪失感や悲壮感が荒波となって押し寄せるという。
そうだ。そんなアンバランスな環境に私たちはいるのだ。シリウスが特別なのではない。私だってセレスだってティアだって明日死んでもおかしくない。メイオールは根本的に地球人類よりも優れた生物だ。私たちの抵抗がなければとっくに人類は滅んでいた。
心なんていくらあっても足りない。心の常識や日常を削って毎日こんな不安定な非日常を生き抜いている。大勢死んだ。東京でも上海でもドバイでも山のような死屍累々を目にした。私は母を亡くした。
とても常識の尺度では測ることのできない巨大な惨劇の渦の中に私たちはいるのだ。誰がいつ死んでもおかしくない。誰かを喪って心を壊して、その次の日にまた別の誰かが死ぬかもしれない。その度に心を壊す。治る前にまた壊す。心が壊れて壊れて壊れて、気が狂いそうになる。
そういう絶望的な状況にいる。地球という星の行く末が私たちたった数人の手に委ねられているのだ。黒いメイオールたちを屠れるほどの大きな力を手に入れて、別に自惚れていたわけではない。でもこうして大切な人をまた失ってしまって、メセキエザという隔絶した圧倒的な力をもつ異星人と相対して、自分たちがどれほど気が変になりそうなほど厳しい立場にあるのかを理解させられた。
「聖ちゃん」
「なんじゃカナタ」
「聖ちゃんがホワイティアちゃんのところに行ってる間さっき僕たちで話し合ったんだ。シリウスがいない今、誰が僕たちを率いるのか。誰がアステリズムのリーダーとして地球を救う旅を先導するのか」
「ふむ」
ティアが心神喪失の現在、次に年長となるのはカナタか。アルコルたちがいつ目を覚ますかわからない以上カナタが適任だろう。
「僕たちとしての結論は、次のリーダーには聖ちゃんを推挙したい」
「な、妾じゃと!? どうしたらそういう結果になるんじゃ。年齢や経験を考えたらカナタかせレスの方が相応しいじゃろう!」
「そういうことじゃないんだよ、聖」
セレスが私の手を握って言った。
「アルコルを助けに行くかどうかっていうときに、多少のリスクを覚悟してでも仲間なら助けに行こうって言ってくれた。バカ兄貴が殺されちゃって呆然自失だったアタシたちにすぐに指示を出してくれた。真っ先にメセキエザにも立ち向かって、アタシたちが逃げられるように時間稼ぎもしてくれた。たしかに聖はこの船の中じゃ歴は一番浅いのかもしれない。でも仲間を真剣に想う気持ちも、咄嗟の判断力も、皆のために動ける決断力も、リーダーの資質だと思うよ。アタシはね。皆はどう?」
「……完全同意」
「そうだね。僕も同意見。……でも聖ちゃんにリーダーとしての重荷を背負わせることにやっぱり僕は少しだけ抵抗がある。だから最後はやっぱり聖ちゃんがどうしたいかに委ねられるべきだ」
驚いた。皆が私をそんな風に思っていたなんて。
買い被りだとか私はそんな器じゃないとか、断る方法はいくらでもある。だけど私は私らしく生きたい。私にしかできないことを私らしく果たして、母にもシリウスにも誇れるような私でいたい。
この旅は過酷なものになる。メセキエザの言葉が正しければ黒いメイオールだけでなくより強力な白いメイオールも現れるだろう。そうなれば今まで以上に綿密に正確に作戦を立てる必要もあるだろう。
私にできるだろうか。私にはわからない。でも私の仲間たちは、私ならできると信じてリーダーの役目を任せようと言ってくれている。だったら話は簡単だ。私は私を過信するのではない。私は私の大切な仲間たちの想いを信じる。それだけのこと。
「承知した。妾はまだまだ未熟な部分が多くシリウスのようにはいかぬかもしれんが、アステリズムの長の座を拝命させてもらおう。……必ずメイオールに勝つ。これまで散っていた者たちの想いも背負い、絶対に地球を守ろうぞ」
「うん」
「ああ」
「……ん」
外は昏い。私たち全員の心もきっと暗い。明るい現状ではないし、明るい未来も簡単には見えそうもない。それでも立ち止まることはできないのだ。地球の命運は私たちに握られている。
それに厳しいとか大変とか、そんな当たり前に私は反逆する。メイオールとの戦いが厳しく大変だということは母を亡くしたあのときからよくわかっていることだ。
私の考える私らしさとは当然の運命にも反逆することにある。あの晩、昏い雪天にそう誓った。
もうこれ以上誰も失わない。そして必ず人類を救う。これはあの晩よりもずっと固い誓い。なぜって、今の私には信頼できる仲間がいるから。私が折れそうなときにはきっと支えてくれる。彼らが折れそうなときは私が支える。
シリウスは私なんかが次のリーダーで納得するだろうか。目を瞑って考える。
どうしてだろう。いつもクールなリーダーなのに、私の瞼の裏に現れた彼は不思議と優しく笑っているように見えた。
みなさん読んでいただきいつも本当にありがとうございます。
本章(五章)は一旦ここまでになります。次話(六章)より、本編の時系列に戻ります。本章(五章)の続きは次の次の章(七章)で書きます。
つまり時系列をざっくり書くと
五章→七章→一章→二章→三章→四章→六章→八章
という感じです。ややこしくてすいません。ブックマーク等をしていただけるととても嬉しいです。今後もよろしくお願いいたします。