第198話 死の責任の所在
「アルコルくんたちは?」
「……妾が余った部屋に寝かせてきた」
船内に帰って来た私にカナタが尋ねた。シリウスが能力で蘇生した二人。彼が遺した命。
いつものパーティールームに集まっているというのに一人足りないだけでぽっかりと穴が開いたような気分になる。いつも飄々としているカナタもどこか表情が暗い。普段は本ばかり読んでいるヒイロも俯いたまま何もせずただじっとしている。
特に酷いのはティアだった。ひまわりのように明るい笑顔は影をひそめ、眼も虚ろ。ここに私たちがいることに気が付いているかどうかも怪しい。心ここにあらず、どころか心が壊れてバラバラになっているように見える。
ソファに座っているセレスはいつも通りダーツに興じている。努めて普段通りに振る舞っているのだろう。その手は震えており、ダーツは真ん中とはほど遠い明後日な方向に飛んで行っている。
重苦しい空気感だ。パーティールームには大きなグランドピアノが一台鎮座している。私が船に初めて乗ってみんなと出会ったときシリウスはここで演奏していたっけ。私たちの中では最年長でクールなリーダー。でも自国の食事の話になると饒舌になって、子供みたいに笑う人だった。
まだ彼が死んだなんて信じられない。ピアノを見ていると彼の幻影がちらつく。母を亡くしたときは二度と誰も死なせないと誓ったのにこのザマだ。私が弱いばかりに大切な仲間を死なせた。
それだけじゃない。そもそもアルコルを助けに上陸しようと提案したのは私だ。シリウスは様子を見ることを提案していた。もしあのとき私がシリウスに従っていたら彼は死なずに済んだかもしれない。
じゃあシリウスを殺したのは私? 手を下したのはメセキエザだ。でも彼女と引き合わせたのは私の我儘ではないか。私のせいだ。私がシリウスを死なせた。私が。誰でもない。私が、私が、私がシリウスを殺した。
「……そうじゃ。妾のせいじゃ。妾がアルコルを助けに行こうなどと言ったばかりに、メセキエザと交戦したばかりに…………。ああ、アアアアアァァァァッ!!」
自分の腕を抱き締める手に力がこもり爪が皮膚に突き立って血が滲む。狂声を上げながら私は黒い長髪を振り乱し、頭を掻きむしる。絶叫とともにその場で崩れ落ちた私は額を床につけ身体が激しく痙攣する。
そうだ。気が付いた。理解した。何がメセキエザに立ち向かうだ。セレスの復讐を手伝うだ。そもそも私のせいじゃないか。全部私の責任じゃないか。
メセキエザから逃げる選択もあった。でも私はさっき、力の差があると知りながら彼女に挑んだ。正義だから? 仲間想いだから? 違う。私は責任転嫁したかったのだ。メセキエザを殺せば私はシリウスのかたき討ちを果たしたことになる。そうすることで罪を雪ごうとしていただけだ。
こんなに悲しいのに涙が出ない。母を亡くしたときには溢れ出た涙が、大切な仲間を喪った今は一滴も流れない。ハハ、当たり前だ。だって私はシリウスを殺した張本人なんだから。
へたりこんでいる私を誰かが持ち上げた。至近距離に整った顔が現れる。ティアだ。魂が抜けたみたいに虚ろな顔で、それなのにティアの細腕からは想像もつかないほどの力で私の襟を掴み無理やりに起き上がらせた。
「シリウスさんが死んだのは聖ちゃんのせいですよね」
囁きのように小さな声なのに、まるで耳元で怒鳴られたみたいにはっきりと聞こえたし私の心にずしんと響く重みがあった。
彼女の瞳を直視できない。今の私にはティアの視線を真正面から受け止められるほどの心の整理がついていないし、シリウスの命の責任を取る方法もわかっていない。絶叫してズキズキと痛む喉。絞り出すように答えた。
「……そ、そうじゃ」
「……人殺し…………。この人殺しィッッ!!!! シリウスさんを返せッ! シリウスさんを! かっこよくて、優しくて、賢くて、強くて、でもお茶目な、シリウスさんを返せぇぇぇぇ!!!!!」
ティアは瞳孔をカッと見開いて私を床に押し倒し、拳で何度も私を殴った。私の胸を、首を、頬を、眼を、殴った。殴り慣れていないのか一か所を殴り続けるというよりも適当に拳を振り回しているようだ。意外だったのはそんな素人のパンチでも鎖骨は呆気なく折れるということか。
私は無言でティアの暴力を受け入れる。抵抗もしない。だって彼女の怒りは正当だから。ああ、いっそこのまま私を殺してくれればいいのに。ティアだけじゃない。セレスも、カナタも、ヒイロも。みんな私を責めればいいんだ。私を殺せばいいんだ。そうすればこんな私でもシリウスを殺した罪をいくらか償える気がする。私に差し出せるものは私の命くらいしかない。
口の中が切れて血が出た。頬が紫色に腫れる。ティアは泣きじゃくり歪んだ表情で私を殴る。そのたびに彼女の涙が私に落ちる。すぐにカナタがティアを止めに来た。
「ホワイティアちゃん! やめるんだ! 聖ちゃんをここで責めて何になる!」
不健康なカナタではティアを羽交い絞めにしても抑えることはできない。カナタを振り払い拳を鈍器のようにして使って私の顔を殴打した。
痛い。でも痛みを感じるたびに許された気持ちになる。だから受けいれる。
そう思ったとき。パチンっ! と乾いた音が響いた。
「いい加減にしなよティア」
セレスがティアの頬を引っぱたいた。ティアの綺麗な白肌が手形に真っ赤に腫れる。わずかな静寂。ティアは熱を帯びた自身の顔にそっと手を当て、自分が何をされたかを追って理解した。
涙で腫れぼったくした目元。ティアはわなわなと震え、尻もちをつき後ずさる。
「あの、私……聖ちゃんに……ごめんなさい、私、私、聖ちゃんのせいじゃないのわかってるのに……」
さっきまでの嵐のような怒りが嘘みたいにティアは小さく見えた。私を見つめる彼女の目には申し訳なさ、そしてティアのティア自身に対する恐怖が満ちていた。そして彼女はもう一度『ごめんなさい』とだけ言って走ってパーティルームを出て行った。
「アタシはバカ兄貴の肉親だったけどさ。でも自分の手でちゃんと埋葬できた。だから心の整理が多少はついてるんだと思う。それに肉親の死に対する哀しみって時間が経ってからくるっていう人も多いらしいし。そういう意味じゃアタシはだいぶ落ち着けてる。でもティアは……。アメリカで働いているときからバカ兄貴とは特別親しかったから」
「……妾はティアの怒りは正しいと思っておる。シリウスとメセキエザを引き合わせたのは妾じゃ」
「聖、アタシたちを、そしてバカ兄貴を侮らないで。いつかはメセキエザと戦わないといけなかった。じゃないとアルコルたちを助けられないから。それが遅いか早いかの違い。そういうのも全部わかった上でバカ兄貴は聖の意見に従ったんだよ。強敵と戦うリスクも全部全部ひっくるめてね」
「僕も同意見だ。それにアルコルくんを助けなかったら、そのときは僕たちが後悔していたよ。アルコルくんと一番親しくないはずの聖ちゃんが助けに行こうと言い出してくれたから……だから今、アルコルくんは生きてこの船にいる。きっとシリウスくんも僕らの気持ちは理解していたはずだ。僕やヒイロくんやホワイティアちゃんには戦う力がない。でも聖ちゃんのおかげでアルコルくんを助けることが出来た。だったら、シリウスくんの死の責任は僕たちにだってあるだろう?」
「……同意見。これはトロッコ問題でしかない。あのまま放置していたらアルコルはずっと死んだままだった。助けに行ったら、シリウスが死んだ。でもそれは結果論。どちらの選択をしたとしても誰かが死ぬのは変わらない。そこに誰が死ぬかの優劣なはい」
カナタの言葉にヒイロも同調する。自虐的になっていた私を慰めてくれている。
「聖さ、こんなのアタシが言うのも変かもしれないけど……。悲劇のヒロインぶるのだけはやめてよね。アタシたちは覚悟を決めてここにいる。誰かが死んだときに悲しむ自由は誰にだってあるよ。でもその死を自分一人のせいだって考える自由はない。そんな驕りは許されない。死んでもこの星を救う。そういう覚悟でアタシたちアステリズムはこんな旅を続けてるんだからさ」
厳しいようで。でも励ましの言葉で。セレスの言葉が染み渡る。私は見失っていた。そうだ。ここで私がシリウスの死の責任を感じていいほど、彼はちっぽけな男ではなかったではないか。
シリウスという偉大なリーダーの死を私なんかが一人で背負う? セレスの言う通り驕りも甚だしい。シリウスは私のような少女一人のせいで死ぬタマではない。きっと今の私の自責を見たらシリウスは笑うだろう。『私は聖に殺されるほどやわじゃない』と。
「それにさ、前も言ったじゃん。一人で背負うなって」
「セレス……。皆、すまぬ。そしてありがとう」
「ティアにはアタシから言っておくよ。今はちょっと会いづらいでしょ?」
「いいや。ティアにとってはこれは妾との問題じゃ。妾が向き合わなければ意味がなかろう」
「そ。わかった」
セレスはソファに戻った。だがダーツは再開しない。ソファに深く座り天井を見上げて呟く。
「ほんっと。バカだよ。兄貴」