第193話 暴力的純白
ドバイに上陸したのは昼過ぎで、太陽は眩しいくらいだったのに。今は黄昏時だ。空は半分青くて半分オレンジ。ずっと徒歩なので時間がかかる。
私たちが向かっているモスクとは、イスラム教における教会や寺院のようなもの。礼拝を行ったり集会をしたりする。玉ねぎみたいな形をした屋根の建物で、テレビや雑誌なんかでたまに見かける。
その中でもジュメイラ・モスクは中東最大のモスクらしい。シリウスが教えてくれた。中央ドームでは一二〇〇人も収容できるという。ファーティマ朝という千年前の王朝で使われていた白い大理石に、現代的な装飾やライトアップを融合させ、二十年くらい前に完成した。世界で最も美しいモスクと言われている。
「うわぁ、とても綺麗です」
ドバイの沿岸部から内陸に進むこと数十分、私たちの前に白亜の城のような建物が姿を現した。玉ねぎ型の天井の中央ドーム、その両サイドでは二本のミナレットという先の尖った塔が建っている。
ティアが声を漏らすほどの存在感。見上げるほど高い建築物に私も圧倒された。東京も、上海も、高い建物は軒並みメイオールにめちゃくちゃにされていたからだ。久しぶりに綺麗な状態の建物を見た気さえする。
「うん、綺麗だね。不自然なまでに。普通はメイオールが人間を殺し尽くす過程で壊すはずなのに、こんな有名で人の集まる建物が綺麗だなんて。妙だよね。それに、ドバイの中心部から離れるにつれてメイオールと出くわす機会も減った。まるでここだけが異質みたいに……」
カナタの言う通り、当初はメイオールを私やセレスが追い払いながらジュメイラ・モスクに向かっていたがある程度の距離まで近づくとぴたりとそれが止まった。何らかの作為的な力が働いていると考えるのが普通だ。
時計で機械的に管理されているのか、モスクの下からぼわぁと明かりが点灯した。ライトアップされたモスクが昏い空を背にして鎮座する様はどこか不気味で妖しい雰囲気を醸し出す。
「急ごう。アルコルはきっとこの中だ」
シリウスに先導さて、私たちはモスクの内部へと進んだ。
〇△〇△〇
中央の玉ねぎ型の天井からは大きなシャンデリアが一つ吊り下げられている。その天井と接続するようにアーチ状の柱が正方形に立ち並び、柱や壁にはアラベスクの幾何学的な模様が黄色や青色と色彩豊かに描かれている。渦の中に吸い込まれるような感覚すら覚える。
私たちが立っている入口から、真っすぐ真正面。本来は導師が信者に対して説教をするための壇上。
その小さな階段の上に二人の人間が横たえられていた。
「アルコル!」
シリウスが声を荒げた。横になっている二人の人間は片方が白衣の若い男性で、もう片方は身体が豊かでセクシーな若い褐色の美しい女性。
以前シリウスたちから聞いた話から考えると白衣の男の方がアルコルだろう。
シリウスが礼拝用の絨毯の上を走ってアルコルの下へと向かおうとしたそのとき。
「あら、あなたこの二人のオトモダチ?」
シリウスはぴたりと立ち止まる。まるで久しぶりに会った友人が絡んでくるように、シリウスに肩を組んできた者がいた。さしものシリウスも息を呑んだ。
一切の気配はなく、息遣いも聞こえず、人間の声とは思えないほど機械的。まるで虫が羽根を高周波で震わせているかのような揺らぎのある音声。
背丈はシリウスとそう変わらない。人間と同じ二足歩行。ただ、白く発光している。
普通の人間は肌に色がある。人種に関係なく血液が肌の下で流れている以上、たとえ白人であれやや赤みがかった色を持つ。だが、その人物はまるで白い絵の具が爆発したかのように底抜けに白く人間離れしている。
まるでマネキンのように性別のわからない凹凸のない身体だ。純白に薄く発光しているマネキン。シリウスはおそるおそる顔をその人物に向けた。
人間の同じように頭があり、顔があり、髪がある。肩あたりまで伸ばされていて一本一本がナイロンの糸のような髪。しかし顔も髪も全部が全部、やはり白い。アルビノよりも白く、不気味だ。影すらも見当たらない。眼はぱっちりと開いていて見ようによっては美形だが、眼もまた白く、白目と黒目の区別はつかない。ただうっすらと白いまつ毛が生えているのはわかる。
シリウスはそいつの腕を振り払い、距離を取った。
「何者だ。アルコルを連れ去ったのは貴様か?」
人ならざる白い存在に対してシリウスは問いかける。人語で声をかけてきたが故に、同じく人語は通じるだろうと踏んだ上で。
「アルコル……アルコル。ええ、そういえば彼はそう呼ばれていたかしら」
次の瞬間。シリウスの真隣にいた白い存在はモスクの壇上、横たわるアルコルのそばにいた。数メートルはある距離を一瞬にして移動したのだ。
「私が誰かという質問。ええ、難しいわね。私は私だもの。この星に来たって私は私」
ふふ、と口角を上げている。顔の凹凸こそあるが表情は読み取りづらい。まるで蝋人形か何かのようにも見える。
喋り口調、そして振動する声のような音声の高さからして、どうやら女性らしい。手を背中の後ろに組みアルコルの周囲をくるくると回っている。町娘が好きな男の前でするみたいに、わざとらしく考える素振りをしながらうろうろしている。
私に耳に引っかかったのは『この星に来た』という言葉だ。それはつまり、この白い女性が地球の存在ではないことを意味する。
「そなたはメイオールの仲間なのか……?」
「メイオール? ……それ、彼も口にしていたわね。うーん……地球の言語体系はこの二人の会話を聞きながら解読して習得できたけど、やっぱり固有名詞はまだわからないなぁ。うん、代名詞の使い方は数学的に理解しやすいんだけどね。そう、この『けど』という逆説も。論理関係の解釈は言語体系に依らないから、異星の言語であっても……」
「妾の問に答えよッ!」
ぴしゃりと私が怒鳴ると、彼女は微笑んだ。正確には微笑んだように見えた。やはり表情がわからない。次の瞬間。今度は彼女の声は私たちの背後から聞こえてくる。
「だから、そのメイオールっていう固有名詞を知らないって言ってるじゃない。ちょっと、私の言葉通じてるわよね? 言語習得を最短化するためにそこで寝てる奴の口調をそのまんまトレースしてるんだけど、大丈夫?」
戦慄した。私たち能力者は異能力だけでなく超人的な身体能力や運動機能を有している。当然、動体視力も並外れている。それなのに一切反応できず私もセレスも背後を取られた。もし彼女が私たちを殺す気でいたら、本当に危なかったかもしれない。
どれほどの効果があるかはわからないが私は左手に持つ日本刀の柄に右手をかけた。すぐに抜けるようにしておく。もちろん時間停止はいつでも発動できる。彼女が妙な動きを見せれば容赦なく時間を止めて斬り伏せる。
「メイオールというのは、この惑星にやって来た黒く醜悪な身なりをしたバケモノじゃ。後頭部が長く、歯を鳴らすクセがある」
「あー、あーあーあー、なるほどね。うんうん納得したわ。そっか。あなたたちは私たちをそう呼ぶのね」
「私たち……じゃと?」
次の瞬間には彼女はシリウスの真正面に立っていた。私たち全体に聞かせるように言い放つ。
「あ、でも一緒にしないでね。醜悪っていうのは同意。力を求めて異能や兵装と交わり、尊厳を捨て、本能が鎧を纏ったようなつまらない存在に成り下がった落伍者だもの。だからこんな辺鄙な星の未来の芽を摘むなんていうつまらない仕事しか任せてもらえないのよ」
両腕を広げて顔をしかめた彼女。私がまばたきをして目を開けた瞬間、一秒に満たない時間で、彼女は今度はシャンデリアの上に座っていた。
「強くなるための努力や創意工夫。それは弱い者がすることなの。私は私の星で生まれつき強者だった。だからあんなに穢れた姿には落ちぶれない。ねえ、私ってとっても美しいわよね。あなたたちの星の感性でもそう思うでしょ?」
ああ、まるで女神が微笑んでいるかのようだ。
アラベスクの幻想的な模様を背にして、シャンデリアの燦々と煌めく光が彼女を包み込んでいる。
私たち六人はそろって冷や汗をかく。彼女はメイオールと同種の『何か』なのだろう。そしてただ一つ言えるのは、彼女が私たちのよく知る黒いメイオールなどよりもはるかに格上であり圧倒的に強者であるという事実だけだった。