第191話 ドバイ観光
照り付ける太陽が皮膚を焦げ付かすような錯覚をもたらす。だというのに日本の夏のようなジメジメとした不快感はなく、からっと乾いた風がセーラー服の中を抜けていき汗をたちまち吹き飛ばしてしまう。
ここは中東最大の都市、ドバイ。高層ビル群はもはや見る影もない。そのあたりは東京や上海と同じだ。
元はセレブ向けの美しいビーチだったであろう白い砂浜に船をつけ、私たちは上陸した。木々は薙ぎ倒され、周辺の建物は倒壊し、いたるところに腐敗した遺体が散らばっている。
シリウスはカナタ、ティア、ヒイロの三人を船に残しておくのは危険だと判断した。アルコルを追い詰めたメイオール以外の正体不明の敵がいる場合は船に残しておく方がむしろ危険。私たち能力者の手の届くところにカナタたちにはいてもらった方が多少は安全だというシリウスの判断だ。今回の目的はメイオールの殲滅ではなくアルコルの救出なので私とセレスとシリウスが三手に分かれる必要もないし。
それに、今は情報がほしい。彼らの天才的な頭脳は絶対に役に立つ。
かくして私たち六人はドバイの街へと入っていった。
「酷い有様じゃ……」
アラビア文字やアルファベットが看板に飛び交う、異国情緒漂う景色。様々なイスラム圏の国はもちろん、他の国々からも観光で多くの人が訪れる。オイルマネーによって急速に発展したが、それ以前から真珠の産地として有名であり地中海を通ってヨーロッパとの関わりも強く、アラブの交易都市としての歴史も持つ。そのおかげもあってまるで文化の坩堝。きっと活気の溢れる街だったに違いない。
しかし、やはりと言うべきか人影はまったく見当たらない。そればかりか大小様々な建物は全てズタズタに打ち壊されている。まるで竜巻にでもあったかのようだ。ビーチと同じ。メイオールが破壊と殺戮の限りを尽くしたのだろう。
上海でヤツらが対艦武器を使っていたときなど、私たちの船に当てて喜んでいた。カナタもヤツらは知能が高いと言っていた。もしかしたら、娯楽的に街を壊したり人類を殺して回っていたりしていたのかもしれない。
そんな残酷な想像をしなければならないほど凄絶な光景だ。
路上には遺体が散らばり腐敗臭を放っている。店の壁や看板には乾いた血痕が赤黒く付着していて惨状の悲惨さを伝えている。
東京も、上海も、私は夥しい数の死人を見てきた。あれは単なる人死にの匂いじゃない。街が、都市が死ぬ匂いだ。ただ大勢の人間が生命活動を停止するというシンプルな現象では決してない。
建物が壊され、街の象徴のようなタワーが折られ、昨日まで楽しく子供たちが遊んでいた公園は炎の燃え上がる戦場になる。
文化、そして人の営為の死だ。人の手を離れた施設は適切に管理されず煙はオイルを垂れ流し、砕けたコンクリートが足の踏み場もないほど散らばっている。人が培い積み重ねてきた事物の崩壊。
そして死に直面した人間は、他者を押しのけてでも生きようとする。社会的生物としても死亡し、ただの自然動物に成り下がる。
メイオールの襲来は日本時間でクリスマスイブの深夜からクリスマスにかけて。時差を考慮したとしてもまだ二、三日しか経っていないというのに、そんな生々しい死の匂いを突き付けられる。母が殺されたときと同じ匂いで吐き気を催す。
そのときだった。
「────ァッ!」
バリィン! というガラスの割れる音とともに醜い呻き声が空気を揺らす。上部が八割ほど折れて崩れている高層ビルの辛うじて残った三階から、窓を突き破って黒光りするメイオールが飛び降りて来たのだ。
「聖ッ!」
「わかっておる!」
シリウスの指示を待つまでもなく、私は時間停止を行使。さらに膝を軽く曲げて勢いをつけ、ジャンプ。空中で抜刀して力技でメイオールの首を叩き切った。
今の私の身体能力ならば地上三階、十メートルくらい軽々と跳べてしまう。それに、銃弾が効かないほどのメイオールの身体も強引に引き千切れてしまう。
メイオールと同じ、バケモノじみた力。美しい異国の街並みをボロボロに引き裂きこれだけ大勢の人々を殺戮したメイオールと同じ腕力。恨めしくなる気持ちを吐き気とともに飲み込む。この力があるから、今の私はここにいる。誰かを救うための選択ができている。弱かったら、選択することもできやしない。
時間停止、解除。
「ふう~さすが聖ちゃん。時間停止……かどうかはわからないけどスゴい能力だよね」
ぼとり、と地面に落下したメイオールの首。後頭部だけが長い骸骨のような黒い頭だ。それを踏み砕いた私をカナタは茶化すように褒めた。努めて明るく振る舞っているのだろう。やはり、死体の山というのは気分の良いものではない。特にティアは今にも吐きそうにしている。
「……さて、シリウス。アルコルの居場所に心当たりはついておるか? 最短の道筋を行かねば、このままでは結局アラビア半島中のメイオールを殺し尽くしながら進むことになるぞ」
「ティアたちを同行させた理由の一つだよ」
瞑目したシリウスは溜息とともに呟いた。彼としては戦場にティアたちを連れてくるのは不本意だったようだ。どれだけ優れた知能を持っていても能力者ではない以上メイオールが軽く腕を振っただけであっさりと死んでしまう。
もちろんカナタもティアもヒイロもそれくらいの覚悟はできているだろう。地球を救う勝利の美酒の対価には命を張るという強烈なリスクがある。これは表裏一体だ。
「私たちのバタフライ・エフェクトは三次元の物理世界のおける因果関係という時間軸の現象、すなわち四つ目の次元を精緻に俯瞰するまなざしです。人間がどこかの場所へと移動するのにも、逆に移動しないのにも、因果関係があるはず……。たとえば、聖ちゃんの故郷である日本の鶴岡八幡宮。あそこは段葛といって、宮に近づくほど道を狭くすることで近づいているのに遠くに見えるという遠近トリックを施しています。卑近な例では飲食店が看板に赤や黄色をよく使うとか、わざと椅子を硬くしてお客さんの回転率を上げるとかですね」
「僕たちは異様に発達した頭脳はいわばコンピューターってわけだね。そういったあらゆる情報を入力すれば、自ずと答えが出力される。原因と結果。この四次元的な流れは常にセットで、原因を入力すれば当然結果が出力される。逆に、結果を観ることでたった一つの、たったワンセットの原因を逆算できる」
「……それは誰でもやってること。花瓶が倒れているという結果があれば、誰かが倒したという原因は凡人でも想像できる。窓が開いていれば風が倒したと考えるのが自然で、そこに肉球の足跡があれば窓から入ったネコのせいだと考える。花瓶の近くにマタタビが置いてあればネコの行動の原因はマタタビを置いた人間にあるとわかる。こんな風に、凡人だって結果の情報を打ち込むほどより正確な原因を逆算できる。……僕たちはその規模が膨大かつ広範というだけのこと」
ティアも、カナタも、ヒイロも、私たちのような後天的な異能とは違う尊い才を持っている。時間の前後関係からの解放。その苦しみを、孤独を、恐怖を、私は理解できない。でも彼らだからこそできることがある。彼らにしかできないことがある。
メイオールたちの悪意によって染め上げられたドス黒く血生臭いドバイの街で、アルコルの足取りを探す。直接的にアルコルに関わることでなくてもよいのだろう。さながら名探偵が推理して過去の出来事を解き明かすかのように、この街の、或いはもっと広くこのアラブという地域の現状を入力することで彼らはきっとアルコルの行動の論理を暴いてくれるはずだ。
思えば、私が空き地で椿を葬ったとき閉店している電気屋でテレビが勝手についた。あれもカナタのバタフライ・エフェクトなのだろう。
私があそこにいたのは椿を弔うため。椿を弔ったのは雪の重みに耐えかねて落ちたから。雪の重みは雪が降ったから……。そんな風に辿って考えれば、カナタは最初からあの時間のあの場所に私が向かうことを知っていたということになる。秒単位で設定した未来に対し、事前準備を行ったというわけだ。
そんな先天的に特異な彼らの本気。本領を発揮させるには、まずはきちんと現在時点の情報が入力されなければならない。
倒壊しているビルの路地の影から一人のメイオールが歯をカタカタカタカタと鳴らしながら姿を現す。
「わかった。つまり話はまったく単純明快というわけじゃな。妾たちがメイオールを退けながら、おぬしたちがその先天的な異常性でもってアルコルの行方を探る、と。クックックッ、適材適所じゃ」
勢いよく飛び出そうとした私をセレスが手で制す。彼女は地面に両手を突き、砂や小石を物質変換の能力で置換し青い槍を生成した。
陸上の槍投げ選手よろしく、大きく振りかぶってぶん投げる。膂力にものを言わせた力任せな投擲。
矢のように風切り直進する青槍が、メイオールの首を貫いた。そして槍を放つと同時に駆けだしていたセレスはメイオールに接近して目の前で地面に手を突き、地面の砂や小石が今度は水に変化する。槍を首に刺されて狼狽えていたメイオールは足を奪われその場で尻もちをついた。
その隙にセレスは刺さっている槍の端に手を触れる。槍は形を崩し、水となって首からメイオールの体内へと入っていった。
「身体の表面は丈夫みたいだけど中はどうかな」
「────ァァァァァァ!!!!」
声にならない叫び声を上げながらジタバタと悶えるメイオール。黒い姿も相まってひっくり返った人型のゴキブリみたいだ。
そして、メイオールは口や虫の複眼のような両眼から白い煙を上げて、ついに動かなくなった。
「うわぁセレスティンちゃんエグいことするねぇ。鋼鉄でできていた槍を王水に変換したんだ。首に刺さっていた槍だから、そのまま食道や喉に流れ込んだんだね。その上、足場を水にされて倒れていたもんだから頭の方まで流れていっちゃったみたいだ。脳みそどろっどろに溶けてるよきっと」
「王水とはなんじゃ」
「大抵のものは溶かせるヤバい物質だよ。濃硝酸と濃塩酸を一対三の比率で化合させたらできる」
なぜか楽し気にニコニコで話すカナタ。私の知識ではよくわからないが、セレスはメイオールを殺すために随分と過激なことをしたらしい。
「メイオールならアタシたちがどけるからさ。三人はアルコルちゃんと見つけてよ」
メイオールの身体を踏みつけながら私たちの方へ振り返ってそう告げるセレスの姿はとてもかっこよくて、かわいくて。同性の私も少しだけ魅了されてしまった。