第187話 最初の晩餐
レストランルームには細長いテーブルがあり、既に私とカナタを除く四名は席についている。白いクロスの敷かれたテーブル。各人の前には主食のライスにローストビーフ、コールスローサラダとコンソメスープ。
濃厚なほど凝縮されたローストビーフの生々しい肉の香りとスープの甘酸っぱく温かい湯気が食欲をそそる。
「いやーシリウスくん遅れてゴメンね! 聖ちゃんとの会話盛り上がっちゃってさぁ」
「盛り上がってなどおらんわ」
軽くカナタの脇腹を小突いたがひょいと避けられた。身体能力は普通の人間のくせにこういう敏捷性はあるみたいだ。
そんな私たちに着席するよう促すシリウス。お誕生日席にリーダーのシリウスが。私の右隣がセレスで、セレスの正面はヒイロ。ヒイロの右隣、つまり私の向かって正面はティア。ティアの右隣にカナタ、といった席順だ。
そういえば、この船にやって来て初めてのまともな食事かもしれない。ずっと食欲がなかったのだ。それが能力者の身体になったからなのか、或いはメイオールを殺しまくっているせいでそういう気分になれなかったからなのか。
私の気持ちを汲み取ったのか、シリウスは滔々と話し始めた。他のメンバーも静かに聞いている。
「食事の目的は栄養の摂取。それが自然界の常識だ。でも私はそうは思わない。素晴らしい料理を味わう。美しい色彩を楽しむ。友と同じ卓を囲み時間を共有する。こういった点は我々人間にだけ認められた特権だ。食事に空腹以外の理由があったっていい。そうは思わないかい?」
「そうじゃな」
「でもバカ兄貴、だったらアタシの物質変換で作り出された不気味な料理なんかよりも人の手できちんと調理されたナチュラルな料理の方がいいんじゃないの」
なるほど、これらの料理は食材を調理したのではなくてセレスが能力で生み出したらしい。物質変換は便利だ。海水だろうが布だろうが石だろうが、任意の物質に変換できる。悪用すればいくつかの産業を壊滅させることもできるだろう。
テーブルの上の温かそうな料理を見つめる。湯気が立っている。つまり、セレスの能力には温度のバロメーターも含まれているのだろう。熱とは運動の激しさの尺度で、物質の三態はその熱で決まる。
セレスが普段生み出す金属の武器はドロドロに溶けていない。カチカチの固体の金属だ。でないと武器として使えない。ということは温度への干渉もできるということなのかもしれない。
そう考えると、セレスの能力を介しているとはいえ元はとても食べられたものではない物質なのだろう。あくまで物質変換された何か。ただしいホカホカ。
「私の愚妹はおかしなことを言う。物質が素粒子単位で実際の食料と同じなのだろう? だったら自然に生育されたか能力で生み出されたかに差異は存在しない」
「そうですよセレスちゃん、せっかくの立派な能力を卑下しちゃいけません!」
「……僕も同意」
シリウスの意見にティアとヒイロも続いた。そうだ、思い出した。私とセレス以外の四人はばりばりの理系だった。ミクロな視点にもドライな考えを持っている。科学的に同じものは元が何であれ同じものなのだ。
そうは言うものの私とて別に気になりはしない。シリウスとは似ているようで違う意見なのかもしれないが、実際問題、目の前に手作りの料理とセレスが能力で生成した料理の二皿が並んでいても私はどうせ区別がつかない。だったら違いなんてないのと一緒だ。
それに、大切な友人の能力で生み出されたものを気持ち悪がるなんて私にはできない。
「クックックッ、セレスよ。礼を言おう。妾の家は不合ふなれば、これほどまでに大層な肉を食すことはなかった。ありがとう」
貧乏だった私は安売りの魚ばかり食べていたのでローストビーフなんてドラマや小説の世界でしか見たことがなかった。その意味でもセレスに対しては本当に感謝している。
「ま、まあ聖がそこまで言うなら、アタシも能力使った甲斐があったかなぁ……」
顔を赤くしてそっぽを向くセレス。かわいい。
「それに妾はいつも夕食は独りじゃった。父はおらず母は夜勤に行っておったからのう。故に、こうして大勢で食卓を囲むのは楽しい」
「そっか」
「聖ちゃん……」
セレスやティアが優しい微笑みを向けてくる。その表情は私への同情では決してない。親愛や友愛、或いは慈愛。
シリウスが両手を合わせると、それに従って私たちも手を合わせた。
「いただきます」
〇△〇△〇
テーブルマナーは見よう見真似。私はこういう高級な場での食事の経験はないし、普段から和服なだけあって洋風な料理には馴染みがない。
「ところで聖ってどんな能力なの?」
前菜のサラダを食べているとセレスが尋ねてきた。たしかにセレスの能力は説明を受けたことはあったが、逆に私の能力を話したことはない。
「妾の能力は時間停止じゃ」
「やっぱり。瞬間移動か時間停止かどっちかだろうなって思ってた。今日の模擬戦、アタシ翻弄されっぱなしだったもん」
「もぐ……ちょっと待ってちょっと待って。聖ちゃん、本当に能力は時間停止なの!?」
ライスを頬張ったカナタが眼を見開いてそう言った。何をそんなに驚くことがあるのだろう。セレスだってシリウスだって随分めちゃくちゃな能力じゃないか。
「何をそこまで驚くことがある。実際に止めておるのだから確かじゃろう」
「……いいや。時間停止は原理的にあり得ないんだ」
「そんなことはなかろう。のう、皆」
「あり得ないと思います」
「……あり得ない」
「あり得ないね」
ティア、ヒイロ、シリウスにもすげなく返されてしまった。科学者である四人がそう言うのだから本当にあり得ないのかもしれない。セレスは興味深そうに私たちの話を聞いている。
「あり得ないと言われても、現に妾は時間を止めておるぞ」
「聖ちゃん、時間が止まるとどうなる?」
「あらゆる物体の動きが止まる。音も、熱も、そして時間経過すらも」
「うん、そうだね。時間停止の定義を全世界的な物体の運動の停止とするならたしかにそうなる。でもおかしいんだ。時間が停止された世界では、空気に含まれるあらゆる物質の原子も空中で停止しているってことになって、聖ちゃんはその場から動けない」
「さらに言えばエネルギーの余剰がどこに逃げているのかも気になりますね。聖ちゃんが時間停止した世界で歩いたとして、その運動エネルギーは完全に運動エネルギーとして行使されるわけではありません。地面を擦れる音、わずかな摩擦で生じる熱、それらのエネルギーは形を変えて移動します。伝播したエネルギーによって、動かないはずの世界が動いてしまうことになるんです」
カナタとティアの説明でわかったようなわからないような。とにかく時間停止は現実ではあり得ないらしい。漫画やアニメでは頻繁に目にするのだが。
「……単なる高速移動、それも光速か亜光速っていう可能性もある。それか超光速かも」
ヒイロがコールスローサラダの細かく刻まれたニンジンをフォークでよけながら呟いた。小さいうちの好き嫌いはよくない。母の教えだ。
シリウスがヒイロにちゃんと食べなさい、と小さく言うと、先ほどの発言に付け加えた。
「もう一つの可能性としては、私と同じタイプだ。すなわち、新たな法則の創造と行使。世界の法則を塗り替えて概念そのものに対し形而上から任意の干渉を行う能力」
「……なるほどね。物理系じゃなくて概念系ってわけか。ヒイロくんとシリウスくんの二人の意見は両方ともあり得るね。僕としては聖ちゃんの強さは信頼しているからどっちでもいいんだけど。今度検証してみよう。もしヒイロくんの方の説が正しければ僕たちでも観測は可能なはずだからね」
カナタが総括をすると他の科学者勢も異論がないようで、特に捕捉も反論もなかった。セレスだけがよくわからない顔で『ふぅーん』と漏らしている。かわいい。
私は主菜のローストビーフに手を付けた。薄くスライスされ赤身が鮮やかな肉をナイフで折り畳み、小さく畳まれた状態でフォークを突き刺す。
「それさ、アタシらの故郷のなんというか……伝統というか、ほら、あるじゃん、そういうの」
「郷土料理だろう、愚妹」
シリウスがセレスに助け船を出した。意外だ。ローストビーフってイギリスの料理なのか。てっきりフレンチかイタリアンだと思っていた。というかよく知らない西洋風の料理は私の中では大体フレンチかイタリアンだ。
「サンデーローストって言って、もう二、三百年くらい続いてるらしいよ」
「愚妹の説明が粗雑極まりないので私が捕捉しよう。元々ローストビーフ自体は二千年前の古代ローマまで遡る。ローマ軍がイギリスを侵略した際に遺した食文化がそのまま地域に根付いたという形だね。それ以降は貴族を中心に定番の主菜となり、聖の出身である日本には江戸末期から明治初期に伝わったと言われている。たしかラスト・ショーグンのヨシノブ・トクガワだったかな。彼が欧米諸国の大使たちに振る舞ったことでも有名なはずだ。そしてサンデーローストという我が国の伝統的文化は産業革命に由来を持ち、そもそも金曜日にパン屋が……」
「シリウスさん、そんなに喋ってたらせっかくの美味しいローストビーフが冷めちゃいますよ。イギリスの自慢の料理なんですから、聖ちゃんにはベストな状態で食べてほしいとは思いませんか?」
「……すまないね。食のこととなるとつい私は饒舌になってしまうんだ」
ティアに諭され、目を細めて笑いながら謝るシリウス。意外だった。アステリズムのリーダーとして個性的な私たち五人をまとめるクールな性格だと思っていたのだが。
この間のお茶会の時のティアもそうだったが、私は皆の個性や好きなものをもっとたくさん知りたい。もっと知って、仲良くなりたい。
そんな温かい感情が胸を打っている。だから、シリウスが初めて面白おかしい言動を私の前で見せてくれたのもとても嬉しかった。まるで私をこの船の一員として、アステリズムの仲間として迎え入れてもらったようで。身内として扱ってもらっているようで。
そういえばイギリスは食事がマズいことで有名だったっけ。そんな話をテレビ番組で見た記憶がある。コンプレックスがあるからこそ祖国の食の魅力をシリウスが伝えたかったのかもしれない。その伝えたい相手に私はなれたのかな。なれたのだろう。やっぱり嬉しい。
一口サイズに畳んだ牛肉を口に放り込む。肉汁が口の中に広がり、蒸し焼きにされた肉の香ばしい匂いが鼻から抜ける。
「うむ、とても美味しい! ……そなたらの故郷には素晴らしい料理があるのだな」
いつもツンケンしているセレスが、いつも冷静沈着なシリウスが、兄妹揃って嬉しそうに破顔した。
さすが兄妹だ。笑顔もよく似ている。釣られるように私たちもついつい笑顔になってしまうのだった。