第181話 ロジックの積み重ね
「……すまぬ。妾にもわかるように言ってくれぬか。つまりはおぬしたち『天才』の持つ『才能』とやらは何ができる?」
「そうですね……。セレスちゃん、紙とペンって作れますか?」
「いいよ」
席を立ったセレスは部屋内をややキョロキョロ探り、遮光カーテンにそっと触れた。彼女の青い両眼が淡く光った。カーテンはまるで下半分をザクザクと千切ったかのように消失し、代わりに手の中に画用紙と黒の油性ペンが現れる。物質変換の能力だ。
セレスに手渡されたティアは一言礼を言うとするすると絵を描き始めた。歪な円から四本の毛が生えている。
「たとえば、ここに男の子がいますよね」
「お、男の子……?」
言われてみれば円が顔で四本の線が手足にも見えないこともないかもしれない。どうやらティアは絶望的に画力がないようだ。これがいわゆる画伯か……。
「じゃあこの男の子はマイケルくんって名前をつけましょうか。そして、こっち側にはリンゴがあります」
画用紙の端に金平糖のようなものが描かれた。ティア画伯によるとリンゴらしい。
そしてティアはクッキーを一枚取ってマイケルくんとリンゴの間に置いた。
「さて、聖ちゃん。マイケルくんはリンゴを手に入れることができません。どうしてだと思いますか?」
「それは、間にクッキーがあるからであろう」
「マイケルくんの気持ちになってみてください」
「どういうことじゃ。クッキーはクッキーであろう」
「いいえ。平面の世界にいるマイケルくんはクッキーという厚みのある物体を認識できません。ただそこには謎の茶色い円があるだけです」
「二次元の住人は三次元を知ることはない、と?」
「ええ。その通りです。マイケルくんは二次元の生命体なので一生クッキーを知ることはできません。そして一生その向こう側にあるリンゴを手に入れられません。でも聖ちゃんはマイケルくんを手助けすることが出来ますよね」
「クッキーをどけてやればいい」
「どけてもいいです。ハンマーで砕いてもいいです。なんなら食べちゃってもいいんです。聖ちゃんは三次元の生命体なのでそれを自由に選択できます」
要領を得ない。ティアの説明自体はわかった。つまり二次元は三次元を認知できない。二次元は二次元しか、三次元は三次元しか知ることはできない。ただ、それがティアたちと何の関係があるのかという最も重要な部分と結びつかない。
「よくわからないって顔してますね。今の話、つまり二次元のマイケルくんと三次元の聖ちゃんという対応関係を、三次元の聖ちゃんと四次元の私という関係性にしてみてください」
「……妾たち三次元の普通の人間が認識すらできない世界をティアやカナタやヒイロは見ている、のか……?」
「そうです。三次元の聖ちゃんがクッキーを俯瞰で観察できるように、私たちは四次元的に俯瞰ができます。つまり時間です。因果関係の連続集合体。風が吹けば桶屋が儲かるっていう言葉がありますよね。普通の人は風が吹いたらどうなるかわかりません。因果律というクッキーが邪魔するからです。でも私たちは、桶屋が儲かるという結果から逆算して風を吹かせればいいと原因を選べるんです。それが自由な未来の選択と創造、というわけですね」
江戸時代のことわざだ。私でも国語の時間に耳にしたことがある。
風が吹けば砂嵐が起きる。砂が眼に入って視力を失う人が増える。視力を失った者は、江戸時代では三味線弾きになる。三味線にはネコの皮を使う。ネコの数が減ると逆にネズミの数は増える。それによってネズミが桶をかじって穴を作ってしまう機会が増える。そのため、最終的には買い替え需要によって桶屋が儲かる、という話だ。
我々の認識のおよばないところでも因果関係は連綿と続いていることを示すことわざ。ある意味で人間の限界を突き付ける意味合いのあることわざなのだが、ティアによればむしろそれを容易く乗り越えるのが『天才』の『才能』ということなのか。
「四次元的俯瞰と言っても、所詮は論理の積み重ねと確度の高い推論って言えるかもしれませんけどね。聖ちゃん、このティーカップを床に落としたらどうなりますか?」
「割れるじゃろう」
「そう。直接目にしていない未来のことなのに割れるってわかりますよね。普通の人は一手先、数秒先の因果関係は把握できます。でも優れた知能があれば何十、何百、何千何万何億手も先までわかる、ということです。私たちの『才能』、すなわちバタフライ・エフェクトという先天的異能は、因果関係による世界分岐を選択することである程度の未来創造が可能という仕組みになります」
「世界や未来の創造……。妾たち能力者よりも超常を扱っておらんか?」
「そんなことありませんよ。不可能なものは不可能ですし。不可能を可能にするのが聖ちゃんたち能力者なら、私たちは可能なものを極限まで突き詰めているだけです」
たしかにカナタもパラレルワールドは並行世界であって平行世界ではないと言っていたような気がする。つまり自由闊達な因果構築といっても自由に世界を書き換えられるわけではないということだろう。
「ときにティアよ。おぬしたちはいつも白衣を纏っているが研究者か何かなのか?」
「私は理論物理学者で、ヒイロくんは量子力学者です。カナタくんは……フリーターというかニートというか、まあ個人研究者ですね。ちなみにシリウスさんは私たちと同類ではないですけど、天体物理学者です」
オブラートに包み気遣って言っているが、カナタはどうもプー太郎らしい。名前からして日本人なのだろう。育ちも日本なのだろうか。年齢的に高校生のはずなのだが、高校にも通っていないと思われる。
うん、ニートだ。
「中学校の理科しかわからん妾には遠い世界じゃ。ティアは普段どんな研究をしておる?」
「聖ちゃんも超弦理論って知ってますよね? 素粒子は原子よりも小っちゃくて、大きさの存在しない『ゼロ次元の点』として扱います。この点を『一次元のひも』と考えるのが超弦理論です。私たちが生きる三次元の空間は上位の次元に埋め込まれた膜でしかないんです。言うなれば私たちが生きているのは本来は高次元のバルク空間であり、この世界は高次元の空間の膜であるということです! 私たちは膜に住んでるってことですねぇ。そして、さっき言ったひもというのは振動のしかたで素粒子を十七種類に分けられるんですけど、ひもが閉じちゃってると重力子にしかなれません。でも開いていたら、ひもの両端ってどこかにくっついてないとダメですよね。それが膜、つまりこの世界そのものなんです! この理論のおかげで十一次元のうちの余剰次元が」
「す、すまぬ。ティアよ、妾の頭ではおぬしの言っていることはさっぱりわからん」
「大丈夫だよ聖。アタシもわかってないから」
しれーっとマイケルとリンゴの間にあったクッキーを食べるセレス。ティアは眼を輝かせながらぐいぐいと私に迫るように説明をするが、正直ただの中学生である私には一単語も理解できない。
「あ、ごめんなさい……私ついこういう話になると熱くなっちゃって」
「いや、構わん。ティアの新しい一面を知ることができた」
「でもさ、わかんないからってアタシや聖にも関係ないってわけでもないんでしょ? どうしてアステリズムなんて組織を、ティアやヒイロやバカ兄貴みたいな科学者たちが作ったのか。カナタみたいなフラフラしていた『天才』が聖に力を授けたのか」
「……そうです。聖ちゃん、カナタくんはどうやってあなたを見つけたんですか? どうやってあなたの位置を知り、或いはあなたを誘導し、あなたを能力者にしたのですか? それだけじゃありません……どうして私たちはメイオールなんていう遠い別の銀河の住人の襲来を知ることができたと思いますか?」
「それが、おぬしたちの『才能』の賜物であると?」
「はい。私たちは時間や因果関係の前後を無視できます。だからこそ、本来は私たちの『才能』に不具合が生じてはならないんです。でもある日、見えない領域が増えた……。私たちの『才能』は所詮四次元の眼差しを先天的に持っているにすぎません。つまりそれより上位の次元からの干渉は受けます。その折、私たちはバルク空間を通して何者かから高次暗号メッセージを取得しました」
ティアはティーカップに残った紅茶を飲み干して言った。
「メイオールという遥か遠くの銀河から侵略者が訪れること、その日付、そして彼らの身体基礎データや、特異な能力の仕組み」
「では、妾たちの異能力や劇的な身体能力の向上は……」
「そのメッセージを受信、分析した世界各地の『天才』がメイオールを基に作り上げた薬品、といったところですかね。高次元生命体である送り主がどなたかは存じ上げませんが、そのメッセージがなければ私たちやシリウスさんはアステリズムなんて組織は作りませんでしたし、とっくにメイオールに滅ぼされていますよ」
金〇のガ〇シ〇のア〇サー〇ー〇ーとか、f〇t〇シリーズの千〇眼とか、進〇の巨〇の始〇の巨〇の力とか、ワ〇ピ〇スの見〇色の〇気とか……。
通常の異能力とは異なる体系として存在する、特異な概念って数多くありますよね。それをできるだけ科学的、論理的に自分なりに解釈して現実的にあり得そうな感じで本作では採用しています。作中の説明わかりにくくてすいません。