第180話 クリスマスのお茶会
普段私たちが集まっているパーティールームの隣には、そこよりも一回り小さい談話室がある。高級ホテルを思わせる客室やパーティールームと比較するとシックな木目調の地味な部屋だ。天井ではシーリングファンが絶え間なく回っている。
部屋の色調を乱さないようにカーテンは控えめな茶色だ。中央に大きなラウンドテーブルが一つあるのみで、その上に置いてあるポットからはハーブの香りのする湯気が立ち昇っている。
「なんでアタシまで……」
「いいじゃないですかセレスちゃんも一緒にお茶しましょ?」
一旦私室に戻ってシャワーを浴び洗濯してもらったセーラー服に着替えた私が部屋に訪れると、そこにはティアだけでなくセレスも席についていた。金髪の美少女と白銀の美女がいちゃいちゃと絡み合っている光景は絵画のようだ。
「クックックッ、セレスよ、妾からも頼む。妾は乗船したばかりでおぬしらのことをよく知らぬ。皆のことをもっと知りたい。しばし時間をもらうことはできんか?」
「ま、まあ聖がそこまで言うなら」
しぶしぶといった態度だが満更でもなさそうだ。席につくと白に金色の装飾があしらわれたティーカップとソーサーが置かれている。そして小皿には様々な模様のクッキー。
「もう日も落ちてきましたから、コーヒーじゃなくて紅茶を用意させていただきました」
徹夜で東京での殲滅戦を行い、朝を迎え、船に乗り、上海に着いてまた殲滅戦を行い、休むことなくここまできた。たしかに心身に疲労が溜まっておりカフェインを摂取する気にはなれない。自律神経を整えて今晩はゆっくりと休むためにも紅茶は良いだろう。
ダージリンなどはカフェインが多いと言われているが、基本的にハーブティーの特徴としてノンカフェインであることはよく知られている。
ティアが私とセレスのティーカップに注いでいく。淡い琥珀色とリンゴのような甘い香りがふわりと部屋いっぱいに広がる。
「ジャーマンカモミールです。安眠効果や肌荒れ対策によく効くんですよ。それに女性ホルモンも整えてくれますから、女の子の日の痛みも軽減してくれます。……メリークリスマス。さぁ、どうぞ」
激動の一日だったので忘れていたが、昨晩はクリスマスイブだったか。ということは今晩はクリスマス。
クリスマスプレゼントはティアの紅茶。私とセレスはまず香りを楽しみ、続いて軽く冷ましながら口に含む。
たった一口。ほんのそれだけで私もセレスも表情が緩み明るくなった。ハーブの独特のキツさは少なく、程よい風味が温水と混ざることで純度の高い自然の甘味を染み渡らせる。目を閉じればカモミールの花畑が瞼の裏に浮かんできそうだ。
身体の奥底から温まり全身が安らぐのを感じる。
「おいしい……ティア、これすごい美味しいよ!」
「そうじゃな。妾もこんなに美味しい茶を飲むのは初めてじゃ」
「ふふ、ありがとうございます。そう言ってもらえると私も用意した甲斐がありました。淹れるのに意外とコツがあるんです。今度二人にも教えてあげますね」
興奮気味の私たちを見て一層笑顔になるティア。彼女の笑顔を見ていると心まで温かくなる。これも一種の人徳というか、ある意味で能力の一つなのだろう。
「上海を出発して南シナ海を抜けたあたりでしょうから、もうすぐインドですね。メイオールがいなければインドの茶葉が手に入るんですけど……」
「インドは紅茶が有名なのか? 妾はてっきりイギリスが有名だと思っておったのだが」
「インドはイギリスの植民地だったから。アッサムもダージリンも北インド」
セレスは教えてくれたが少々ばつが悪そうだ。たしかに自分の祖国が植民支配していた話を嬉々として語りたくはないだろう。これは聞いてしまった私のミスだ。中学二年の社会科では習ってない。もちろんそんな言い訳をするつもりもないが。
「セレスはイギリスの出身と言っておったが、シリウスは一緒に住んでおらんかったのか?」
私とカナタを東京に迎えに来るまで船がどういう航路を辿ったかはシリウスから聞いた。シリウスはティアやヒイロと同じくアメリカのエリア五一で働いていたというから、イギリスにいたセレスとは離れていたことになる。
「バカ兄貴はバカだけどバカじゃなかったから、早いうちから引き抜かれて渡米してたんだ。アタシの家、手前味噌だけどそこそこ裕福で寂しかったり困ったりすることはなかったかな」
「ネバードーン家、じゃったか」
「そ。一応この船もアタシたちのプライベートクルーザーだしね」
てっきりクルージング事業でも営んでいるのかと思っていた。私用だったのか。セレスは謙遜して『そこそこ』と言っているが、明らかに大富豪である。
これだけの規模の船だ、おそらく同じような上流の家の者たちとの社交の意味合いもあるのだろう。それを今は私たち六人で独占している。贅沢な話だ。
「シリウスさんは本当に優秀な方ですよ。私やヒイロくんと違って『天才』ではありませんけど、普通の人間としてたどり着ける限界にいると思います。知能指数も運動能力も」
「そうじゃ、思い出した。ティアにはその『天才』なるものを聞こうと思っておったんじゃ。カナタの奴は初めて会ったときからどこか胡散臭かったからのう。そういう話はティアから聞きたい」
「あ、そうでした。そうでした」
クッキーを手に取りながらセレスも静かに聞いている。彼女はチョコ味が気に入っているようで、濃茶色のばかりをずっと食べている。私とティアが逆にベーシックなクリーム色のクッキー。
「聖ちゃんは天才って聞くと何を思い浮かべます?」
「頭が良い、スポーツが得意、音楽や芸術で類まれな作品を作り上げる、こんなところじゃろう」
「はい。一般名詞としての天才はそんな感じですね。シリウスさんも間違いなくそこに属すると思います。でも私やカナタくん、ヒイロくんが言う『天才』っていうのは少し違うんです。『天才』がもつ『才能』は先天的なある種の異能。因果関係を俯瞰し、時間の連続性に関係なく出来事を知り、起こす力。私たちはカオス理論すら掌握してローレンツが提唱したバタフライ・エフェクトを行使することができるんです」