第179話 ランドリープロミス
「あーあ。アタシが一番最後じゃん」
ふてぶてしい顔でパーティールームに入って来たのはセレスだ。元々船に残っていたカナタ、ティア、ヒイロはもちろん私とシリウスも既に帰投している。カナタがすかさずフォローを入れる。
「その分セレスティンちゃんにはメイオールの密度の濃そうな場所を担当してもらったからね。差し引きゼロだよ」
「ふぅん。まあいいや」
納得した様子でセレスは定位置のソファへと座った。たしかに、私やシリウスの能力はどちらも強力だが破壊力には乏しい。時間を止める能力自体は攻撃ではなく、結局カナタからもらった日本刀頼り。
シリウスに関しては能力の概要を聞いたもののそれを用いてどうやって戦っているのか見当もつかない。
「して、もう上海は用済みか?」
「そうだねえ。ヒイロはどう思う?」
「……人口分布、経済成長率、地理条件、メイオールの運動能力……それらに基づいて統計的に考えるとユーラシアの内陸部にもかなりの数のメイオールがいると思う。つまり、東アジアで生き残ってる人間はもう数少ないはず。でも深追いするよりは今は固まっている地域を順に叩く方が長期的な視点で効率的だ」
「そうだね。僕も同意見だ。ティアは?」
「私も異論ありません」
頭脳労働担当の三人の意見がまとまった。たしかシリウスによればこのまま南下するらしい。頭の中で世界地図を描きながら航海ルートに思いを馳せる。
「……航行プログラムの微調整してくる」
本を閉じたヒイロがパーティールームを出ようとしたとき背後からセレスが声をかけて呼び止めた。そしてピンク色の紙パックを放る。あたふたと手の中で転がしてしまったが落とさずになんとかキャッチ。
「頭脳労働には糖分いるでしょ。飲みなよ」
「……いちごミルク? 別にいらない」
「……そ。じゃあそこ置いといて」
テーブルにいちごミルクのパックを置いてヒイロは今度こそ部屋を出た。セレスが帰投してから買っているのを見た覚えはないのでおそらく彼女が能力によって自ら作り出したものだろう。
セレスの気遣いを無碍にしたヒイロのそっけない態度にティアは苦笑いしている。カナタも小さく溜息をついた。
「はぁ。いやぁヒイロくんってちょっと協調性に欠けるよね。この船に乗ってくれている以上は対メイオールの理念への共感はあるんだろうけど。シリウスくん、ホワイティアちゃん、きみたちエリア五一で一緒に働いてたんだろう? 彼ってずっとあんな感じ?」
「そうですねえ。私やシリウスさんは他の方々と年齢が近かったために馴染むことができましたけど、やっぱりヒイロくんは一人だけ子供でしたから……。カナタくんも知っての通り、彼も『天才』です。周囲からも不気味がられてましたね」
そういえばセレスを乗せてイギリスから出発したこの船はアメリカでヒイロとシリウスとティアの三人を拾ってから日本に向かったと言っていたっけ。私の知らない人間関係があるのだろう。そもそも、どうやってこのアステリズム……星詠機関なる集団が組織されたのか。その経緯を私は知らない。
ソファを立ったセレスは少しだけ悲しそうな顔をしながらテーブルの上のいちごミルクを手に取った。それをぐしゃりと潰したかと思えば、しかし中身はぶちまけられることなくセレスの手の中でダーツに姿を変えている。物質変換の便利さは近くで目の当たりにすると一層強く感じる。
「セレスよ。気にかけておるんじゃろう?」
「なにが?」
「ヒイロのことじゃ。ここにいる六人の中でもあやつは少々浮いておる。齢も一人だけ幼い。打ち解けてもらいたくて声をかけたのではないか?」
「っ……。知らない」
図星だったのだろう。ぷいとそっぽを向いたセレスは再びソファに腰をかけダーツを始めた。派手な見た目の割に世話焼きな面が強いらしい。
私もヒイロのことは気にかけてやろう。ついでに不器用なセレスのことも。
私はバケモノどもとの戦いに身を投じた。それなのに一緒に戦う仲間たちのことはまだよく知らない。でも、構わないとも思う。だってこれからもっと色々なことを知っていくことができる気がするから。
〇△〇△〇
小さな洗濯機がマス目のようにぎっしりと天井まで詰まれている部屋がある。船のランドリー室だ。縦に三台。それが部屋の奥まで数十列はあるだろうか。中には洗剤を入れる棚や乾燥機、手洗い用の水道もある。
「聖ちゃーん、洗濯終わりましたよ。私がしっかりアイロンもかけておきました!」
洗濯機の前でふんす、と大きな胸を張るティア。白銀の長髪にスタイル抜群の身体という人間離れした美しさなのに、言動は非常に人間らしい。
彼女の両手には私のセーラー服がある。埃や汚れがなくなっているのはもちろん、スカートのプリッツもパリッとしている。
「すまぬ。任せてしまったな」
「いいんですよ。私たちは戦場には立てませんから、これくらいしないと」
てへへ、と笑ってみせたティアに思わず私も破顔する。上海に降り立ってメイオールの殲滅戦を行う直前にティアの方から提案があり私が最初着ていた制服の洗濯を頼んでいたのだ。
綺麗に畳まれた制服を受け取ると柔軟剤の甘くて爽やかな香りがふわりと舞い上がり、鼻腔を包む。乾かしたばかりなのか生地も温かい。
「本当はシリウスさんに頼んでもらってもいいんですけど……。ほら、女の子としては男の人に自分の服を触られるのってちょっと抵抗ありますよね。まして下着だって替えないといけませんし」
「ふむ、なるほどな。あるべき姿に強制的に戻す能力ならば、服の汚れや匂いを消し去ることも容易というわけか」
「ええ。カナタくんとヒイロくんは洗濯を面倒くさがってシリウスさんの能力に任せっきりみたいですねぇ。聖ちゃん、これからもお洗濯は私にやらせてもらえませんか?」
「それは妾としても助かるが……本当によいのか?」
「大丈夫ですよ! どーんとこいです。私たちは未来を選ぶ力はあってもメイオールを叩きのめす力はありません。能力者の御三方にはせめて船内にいるときくらい休んでもらわないと」
「未来を選ぶ力、じゃと……?」
聞き覚えのない言葉だ。この船の六人のうち、私とシリウスとセレスの三人は能力者。そしてカナタとティアとヒイロは非能力者。そしてカナタはその三人をくくって『天才』と称していた。
私はそれを単に頭の良い人たちを指す誇張表現だと思っていたが、彼らはどうも時折引っかかることを口にしている。
知らないことはたくさんある。それでもいい。知らないなら知ればいい。
「ティア、妾はおぬしたちが如何なる特異な者なのかを知らない。能力者たる妾たちとは異なる何かであることは知っておるが……。嫌でなければ、話を聞かせてはもらえぬか?」
「もう! カナタくんったら聖ちゃんになーんにも説明してなかったんですね。だったら、今からお茶会しませんか? お話はお菓子でも食べながら、ね?」
ただ笑うだけで華がある。宝石のような美しさで太陽のような明るさの持っていると、同性の私でも素直にそう感じる。
私は是非とも参加したいという意味を込めて鷹揚と頷いた。