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第177話 川は海へ、炎は空へ

 世界が白黒になる。海に飛び込んだ私は静止した爆風の中へと泳ぐ。さっき着替えた黒の和服風ワンピースは随分と水を吸いやすいようで身体が重たい。水をかいてもかいても前に進めない。


 元来、泳ぎは得意でなかった。スイミングスクールに通ったり海に遊びに行ったりする金は我が家にはなかったからだ。母は幼い私を気遣って夏になるたびに海に行こうかと提案してくれたが、家計に負担をかけてしまうことくらい子供ながらにわかっていたので興味ないふりをしてきた。


 でも、もう母はいない。

 泳げない? だからなんだ。今の私には能力がある。止まった世界で無限の時間を使って。辿り着いてやる。セレスは必ず助ける。もう誰も喪いたくない。


 我ながら下手くそな息継ぎだ。海水がごぼっと器官に入ってきて、(むせ)返る。しょっぱい。海水はしょっぱいという当たり前のことすら私は経験がない。それでも。口の中にはセレスがくれたアメの甘酸っぱいブドウの味が残っている。この甘酸っぱい気持ちが私を突き動かす。


 体感にして三十秒も経っていないと思う。時間が動き始めた。おそらくこれが私の能力の限界。爆風は私に対しても衝撃波となって襲い掛かる。

 止まれ! 止まれ! と何度も強く念じるが、すぐには時間停止は発動しない。東京での戦いでも確認したが、私の能力は次の発動までインターバルがあるようだ。連発するには体感時間で同じくらい経過する必要がある。


 そして三十秒程度が経過し再び時間を止められるようになった。きっと犬かきのようにみっともない泳ぎ方だろう。それでもたしかに進んでいる。絶対にセレスを助ける。それだけしか今は考えられない。燃え上がる爆風の黒煙へと入った。それでも水をかく手を止めない。


 また体感三十秒が経ち時間停止が解除される。

 海水だけでなく煙まで吸ってしまって気持ち悪い。肺が痛くて涙が出る。


 ぐっと涙を堪えた。泣いてなるものか。涙は母の亡骸のもとに置いてきた。


 そのとき。たった一回の瞬きだった。


 黒煙が晴れる。目の前には白い大理石の柱が立っていた。



「ちょっと聖、アンタ何してんの」



 上から聞き覚えのある声がする。どこか気怠そうだが、たしかに私を慮る気持ちの籠った声。

 見上げれば、柱のてっぺんでしゃがんでこちらを見下ろす無傷のセレスがいる。



「た、助けに来たに決まっておろう……おぬしが爆ぜ散る風に巻き込まれておったから…………」


「アンタもボロボロになってるじゃん。そんなになってまでアタシを助けるわけ?」


「当たり前じゃ。妾はこれ以上誰も死なせとうない。そのような理不尽な世界の定めなど反逆し乗り越えてみせる」



 大理石の柱が急速に縮む。大理石を水なり空気なりに変換しているのだろう。水面と変わらない高さまで降りてきたセレスが手を伸ばし、それを私が力強く掴む。



「……バカ……でもありがと…………」


「水が耳に入って聞こえづらい。妾に何か言ったか?」


「なんでもない。ほら、一旦船に戻るよ」



 ひょいと海から私を引き上げたセレスは、軽々と私を抱えた。いわゆるお姫様抱っこだ。運動能力や身体機能が劇的に向上している私たちにしてみれば、未成年の女を抱えるくらい造作もないだろう。


 そしてセレスは私を抱いたまま海を走る。正確には、足が海面に着水するたびにその部分だけ水が石に変換されているのだが。数百メートルの疑似的水上歩行の後、私たちは船へと戻ることができるのだった。



〇△〇△〇



「いやぁ随分と無茶したね。聖ちゃんの能力、たぶんそういうのに向いてないでしょ」


「うるさいわ。妾は友が爆ぜているのを黙って見ていられるほど薄情ではない」


「と、友達って……」



 顔を赤くしてツーサイドアップの金髪を指で弄びながらモジモジしているセレスや、びちゃびちゃになった和服風ワンピースのスカートを絞って乾かしている私をよそにカナタは一人で盛り上がっている。



「うん、それにしても良い爆破っぷりだった。槍を刺すことで、槍も大理石の道もその上に散らばった武器も全部を一つの大きな物体として定義。互いに接触してるからね。そして、それらをまとめてアセチレンガスに変換したんでしょ? 僕もたまげたよ。アセチレンは分解爆発っていう性質があって、要は空気さえあれば少しの刺激で大爆発を起こす劇物だからね。僕もあの規模のアセチレンの爆発を生で見るのは初めてだ!」


「阿呆、何を興奮しておる。そなたは危機感のメーターが狂っておるんか!?」


「まあまあお二人とも。まずはセレスちゃんの勝利を喜びましょう?」



 ティアがおろおろと私とカナタの間に割って入った。別に喧嘩をしているわけではないのだが、どうしてもカナタとの会話は漫才のようになってしまう。



「それにしても妙だな。カナタ、爆発が有効ならば軍隊はなぜメイオールに抵抗し得ないんじゃ。各国、爆弾など大小大量に取り揃えておろう。それに自衛隊の銃弾は奴らを害することはできておらんかったぞ」



「うーん、そこが逆にセレスティンちゃんのすごさと言えるかもね。いいかい聖ちゃん。あの何百トンという大質量を、なおかつ奴らの体内にまで侵入するガスという形で送り込んで、そこまでしてやっと殺せたんだ。量と質の両方があって初めて成功するんだよ。核兵器を絨毯爆撃したって両立は叶わない」



 ミリタリーには明るくないが、そういうものなのだろうか。ともあれセレスが無事でよかった。

 するとシリウスも私のもとにやって来て、ポンと肩を叩いた。



「言っただろう。私の愚妹はクレバーな戦い方をすると」



 たちまち、服が乾いた。乾いたというより新品同然だ。海水はもちろん埃のひとつも付着していない。

 肺の傷みも消えている。



「川は海へ。炎は空へ。万物はあるべき場所へと帰着する。それが私の能力。対象をあるべき場所に、あるべき状態に強制的に戻す能力だ」



 言葉を失った。私の服のあるべき姿は新品の状態。私の身体のあるべき姿は私が健康な状態。そう言っているのか。

 対艦ミサイル攻撃を受けた船体が無事だったのは、船のあるべき状態が航行中の姿だからか? では船の速度の件はどうなっている。シリウスの能力とは関係がないように思えるが……。



「普通は燃料がもたないから船は速度を出せない。でもシリウスくんの能力なら、消費して失くなった燃料がまた元の燃料タンクに戻っている。馬鹿みたいな速度を永続的に実現できるってことさ」



 私の心の中の疑問に答えるようにカナタが解説してくれた。

改めて思う。なんて能力だ、と。そんなのなんでもありじゃないか。


 そして、こうも考える。私とは真逆だと。私は理不尽な運命(さだめ)に抵抗するため時間停止という物理法則に反逆する能力を手に入れた。だがシリウスの能力は『かくあるべし』という規定を強制的かつ概念的に押し付ける。

 絶対法則を壊す私と、絶対法則を作るシリウス。見事なまでに正反対だ。



「さあ、航海は続く。その前に東アジアを取り戻そうか」



 シリウスは数百メートル先のユーラシア大陸を見つめる。たしかに、メイオールが二人なわけない。東京でも約三百人だったのだから。


 爆速で陸地へと近づく豪華客船に、そしてシリウスの端正の横顔に、私は少しだけ不気味さを感じてしまった。

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