第176話 質量保存の法則に従う限り
ヒイロを除いた私たちは甲板に出ていた。セレスが『アンタも来なよ』と声をかけていたが、本人は屋内での読書をやめる気はないらしい。とはいえヘリコプターで私たちを迎えに来てくれたあたり、その業務が必要かどうかで合理的に判断しているのだろう。
さて、甲板は豪華客船だけあって文字通りに豪華だ。プールにヘリポートにテニスコートに……と施設を凝縮させたような場所で、随分と広い。陽当たりも良好。
まだ昼前なので太陽の位置はそう高くないが外はすっかり明るい。そしてキラキラと光を反射する美しい海面からは潮の香りが漂い、数羽の海鳥が鳴きながら頭上を飛び回っている。
「ふーん。あそこにいるやつらか」
セレスの視線の先を追いかけると数百メートルほど先に陸地が見える。私が能力者になったときカナタは言っていた。運動能力や身体機能までも常人離れしているはずだ、と。あんなに遥か遠い陸地なのに、まるで双眼鏡を使っているかのようにハッキリと視認できる。
軽トラックのような車両の荷台にロケットの発射台のようなものがあり、そのすぐ横にはメイオールが二人いる。危うく頭に血が上りそうになるのを理性でぐっと堪えた。
その二人のメイオールが発射台を操作すると、ミサイルが爆炎を吹かしながらこちらに向かって飛んで来た。的であるこの船自体が非常に大きいので難なく船体に命中した。再びの強い揺れで、全員がその場でまたよろめいた。遠い陸地で歯をカタカタカタと鳴らしながら嬉しそうに両手を叩いているのが見える。
「大丈夫だ、船に問題はない」
シリウスが自信ありげに言っているので実際問題ないのだろう。現に特に船が沈んだり傾いたりする様子はない。
「あれは対艦兵器か? 連中はなぜそんなものを持っておる。地球外からやった来たのであろう?」
「聖ちゃんだって自衛隊がやられているのを見たでしょ。中国軍も似たような状況だよ。そして、兵器だけ接収されてしまった。言ったと思うけど相手は地球よりも遥かに進んだ文明だからね。地球の兵器くらいならオモチャみたいに扱えてもなんらおかしくない」
「ということは、日本だけでなく中国も……」
「よく映画やアニメで『エネルギー反応を検知!』って表現見かけない? 現在の僕たち人類の技術じゃ熱源反応が精々だけど、メイオールの技術レベルなら他のエネルギーを検知探索できておかしくない」
「もっとわかりやすく言えんのか」
こっちはまだ十四歳で理科の授業なんて植物しか習っていないというのに。真剣な表情で話すカナタの言葉はどこか難しい。私の得意とするオカルトや占星、神話や宗教や習俗といった部分なら知識量で負ける気はしないが、如何せん科学には疎い。
「宇宙から見た地球の写真ってあるだろう? 世界的な都会は夜でも明るい。そこには光エネルギーが多いってわけだね。交通網が発達し自動車や鉄道が盛んになれば運動エネルギーが増える。高層ビルを建てれば位置エネルギーが増える。原発や核兵器があれば核エネルギーもある。人が多いところは熱エネルギーも電気エネルギーも言うまでもなくたくさんある。こんな感じで奴らはピンポイントに襲来をしてるんじゃないかっていうのが僕の予想」
「クックックッ、話が見えたぞ。なるほど。東京、ニューヨーク、そして上海。今のところ妾が耳にしたメイオール襲来の土地はどこも都会じゃ。政治的に首都であるかどうか関係ないということか」
「ザッツライト。聖ちゃん冴えてるね」
満面の笑みを浮かべたカナタが私の頭を撫でてきた。顔が熱くなる。不愉快なのですぐに手で払った。
すると、セレスは背中まであるツーサイドアップの金髪を潮風に揺らしながら私に近づいてくる。いつの間に用意したのかまたもやアメを咥えていて、セレスはそれを口から抜くと強引に私の口の中に突っ込んできた。ブドウの甘酸っぱい風味が広がる。
「そんなアホじゃなくてアタシを見ててよ、聖」
「う、うむ、そうじゃな……」
私もセレスも互いに妙に照れくさく目を逸らしあった。
セレスはそそくさと後ろを向いてしまう。そして一度咳払いし、甲板の手すりに飛び乗り仁王立ちした。強風でスカートがバサバサと揺れている。パンツは黒だった。
腰に手を当て水平線の先にあるメイオールたちを睨みながらセレスは囁く。
「万物は、流転する」
青い両眼が淡く光った。
〇△〇△〇
手すりから海へと十メートル近い高さをダイブする。着水の瞬間。
海面に、道ができた。モーセのような海割りではない。まるで最初から細長い陸地がそこにあるかのようだ。セレスが着地──着水ではなくなった──したのは白い大理石のような道。さざ波が大理石の道に押しては返し押しては返しと打ち付けている。
姿勢を低くしたセレスは弾丸のように白い道を駆け抜ける。道は陸にまで届いているので、メイオールたちも逆側から迎え撃つため走って来た。尻尾を水平に立て、まるで人間が恐竜の真似事をしているかのような走り方だ。気持ち悪い。
「──ッァッッ!!!!」
メイオールのうちの一人が言葉にならない呻き声のような音を腹の底から吐き出す。そして骸骨顔に埋め込まれた虫のような複眼が黄色に光る。
空間に何千何万という本数の針が出現しセレスへと射出された。
「つまんないことすんなッ!」
急停止したセレスがしゃがんで即席の大理石の道に手を触れると、道から壁が生える。道とは違い金属の壁だ。
針はセレスに届くことなく壁に阻まれ道にぽろぽろと落ちた。
もう一人のメイオールは眼が紫色に光る。次の瞬間、セレスの背後にメイオールが現れる。数十メートルの距離が一瞬で縮められた。
「壁が生えたのにセレスの背後を取るか……。高速移動ではなく空間転移か?」
私の問いかけに、隣にいたティアが頷く。
「そうですね。ただ即座にこちらに攻め込まないということは距離に制限があるみたいですけどね」
「ところで聖ちゃんはセレスティンちゃんの能力わかった?」
カナタが私に尋ねたと同時に、空間転移してきたメイオールは鋭い爪をセレスに振るった。私の母を殺めたあの爪だ。背後を狙う狡猾さは気分が悪い。
だが、セレスは死なない。片膝をついて道に手をついた状態から立ち上がると同時に背後へと振り返る。その手には槍が握られていた。柄と刃が同じ金属で一体化されている槍だ。色は青い。メタリックブルーの槍がメイオールの爪を受け止める。
「セレスの能力は物体の生成か?」
海に道を作ったり、壁や槍がいきなり出てきたり、アメがダーツに変わったり。状況証拠ばかりだが想像できるのは物体を自在に生成する能力だ。
「うん、まあほぼ合ってるかな。聖ちゃんやっぱり良いセンスしてるよ。ちなみに正解は物質変換ね。質量保存の法則に従って、物質を同質量の別の物質に変換する。その際に形状は問わない。海水を大理石にしたり、大理石を鋼鉄にしたり、なんならダーツをアメっていう食べ物にしてみせたりね。彼女がいる限りこの船は食糧問題とは無縁ってわけ!」
「セレスちゃんの能力はすごいんですよ。化学式の構造変化を介さないので、セレスちゃんのイメージ通りに生成できちゃうんです!」
ティアの捕捉を聞いてもあまり想像がつかない。それを見兼ねたシリウスが助け船を出した。
「普通は材料を用意してもレシピ通りに調理しなけば料理にはならない。だが愚妹の場合、材料さえあればあとはその料理を作りたいと願ったら料理が出来上がるんだ。詳細なレシピも調理の過程も必要ない」
「ふむ。シリウスの解説の方がわかりやすいな」
『そんなぁ』と涙目になりながら漏らしたティアをよそにセレスの戦闘は続く。メイオールは絶え間なくセレスの死角へと空間転移し、セレスはそれを器用に捌く。
青い槍を突き立てることで回避行動を強制させたり、或いは大理石の道に触れて別の武器を生成したり。
加えて、カナタの言葉通りは私たち能力者は運動能力も向上している。セレスも同様だ。槍での突きだけでなく基本的な動体視力や反射神経も曲芸じみている。
転移したメイオールが爪を横薙ぎに振るえばその場でしゃがみ、足元を狙われたら大きくバックステップをして距離を取る。転移で距離を詰められたら大小様々な刃物を生成して逆に肉薄、至近距離での白兵戦もバク宙しながら蹴りを顔面に打ち込むなど舞のように美しい。
白い大理石の道には剣、矛、槍、棍棒、ナイフなど多種多様な武器が散らばっており、武器を重さやリーチに応じてスイッチしながら戦えるセレスの器用さが窺える。
「ちょっと、いい加減うざいんだけど。もう死んでくんない?」
とはいえ、それは決着までが長引くことも意味する。面倒くさそうにセレスが呟くも、メイオールは両眼を紫色に光らせたままカタカタと歯を鳴らすだけだ。むしろ嘲笑い煽っているようにさえ見える。
「なにそれ、自分たちの方が地球人より優れてるって余裕? そういうのマジキモいよ」
セレスが再び距離を取るとカタカタカタカタと歯を鳴らすメイオールはセレスの左手側に転移した。青い槍を持っているのは右手。つまり左手には武器がない。
「シリウスよ、材料さえあればどんな料理も作る。そう言っておったな。しかし材料すらないのではどうすることもできないということの裏返しでもあろう?」
おそるおそる尋ねた。現にセレスは、能力発動時に常に手で触れていた。アメを手の中で握りつぶしてダーツに変換し、大理石の道に手をついて壁や武器を生み出した。海面に道を作ったときだって、手すりから飛び降りて着水した瞬間に道が出来上がった。
つまり、物質変換は触れていることが条件だと考えられる。そうでなければ遠くから念じるだけで相手を消滅させることが可能になってしまう。
このままではセレスの左手はどこにも触れることができず、畢竟、物質変換を発動できず、相手の攻撃をもろに喰らってしまう。
「まあ見てなよ、セレスティンちゃんはなかなかに優秀だよ」
代わりにカナタが答えた。私としては折角仲良くなれそうな同世代の少女がメイオールに殺されてしまいそうで気が気でない。もし本当に危なければ時間停止して駆けつける心の準備はできている。
左手側から鋭利な爪が迫る。あと一歩でセレスの身体がズタズタに切り裂かれる。母の最期がフラッシュバックする。ああ、ダメだ。我慢できない。助けに入ろう。そう決めたのと同時。
「死ねよ異星人」
左手で中指を立てるセレス。
右手の槍を大理石の地面に突き立てる。
そして、メイオールの爪はセレスに届かなかった。なぜか。メイオールが爆散したからだ。メイオールだけでない。海面に生成した大理石の道も、散らばった武器たちも。全てが爆発となって消えた。
針を飛ばす能力を持つ黄色い眼のメイオールはもちろん、空間転移の能力を持っている紫色の眼のメイオールも爆発に巻き込まれている。無理もない。戦闘を眺めているなかで空間転移の射程は私でもなんとなく把握できているが、ヤツの空間転移ではこの爆発範囲から抜け出せないからだ。
間違いなく二人のメイオールは死んだ。
だがしかし。
大爆発の内側には、セレスもいる。
私は青ざめながら時間を止め、大理石の道がなくなりただの水となった海へと飛び込んだ。