第173話 乗船
その船は、おそらく豪華客船などと世間で呼ばれる類の船だった。全長四〇〇メートルはあるだろうか。幅は五〇メートル程度だと思う。正確には数えきれないが、まるでホテルをそのまま乗せたかのように高層階の建物がくっついている。かなりの大人数がそれなりの生活を送ることを前提としていることが窺える。
純白の城が海に浮いているような、そんな不思議な感覚に襲われた。
甲板にヘリポートを示すHマークがある。操縦席のヒイロは器用にソリ型の着陸脚をマークに合わせて船上に着地した。エンジンが止まり、私、カナタ、ヒイロの順で降り立つ。
「僕たちは単に船としか呼んでないけれど、一応製造元からはスターアーク号と名付けられているらしい。そういうわけで聖ちゃん、ようこそスターアーク号へ」
「クックックッ、星の方舟か。洒落た名前をつけておるのう」
「まったくとんだ皮肉だ。僕たちは最後の人類になる気はないんだけどね」
「そうじゃな。そんな勝手があってたまるか」
思わず苦笑してしまった。潮風が私の長い黒髪をべたつかせる。できればさっさとシャワーを浴びたい。これだけの規模の船ならばその程度の設備はあるだろう。
こっちだよ、というカナタの案内に従い、船内へと足を踏み入れた。
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「ここが聖ちゃんの部屋ね。はいこれ、鍵。まあ僕たちにこんなものが役に立つとは思えないけど心理的な配慮ということで」
カナタは灰色の髪をかき上げながらハハハ、と乾いた笑い声をあげた。たしかにメイオールの首をねじ切った私やヘリコプターを操縦する天才児からすれば、こんなアナログな施錠などいかようにもできてしまうだろう。
とはいえありがたく気遣いは受け取る。
「色々と説明したり他のメンバーを紹介したりしたいんだけど、どうする? 疲れてるなら後でもいいよ」
「いいや構わん。ひとまずシャワーだけ浴びさせてもらおうか。そうじゃな……一時間後を目安に調整してくれると助かる」
「りょーかい。あ、あと着替えは部屋のクローゼットにあるものをテキトーに着ておいて。洗濯室もあるけど……まあそのあたりのことも後で話そう。それじゃ!」
言うだけ言って、バタンと扉が閉められる。とりあえず施錠はしておいて、与えられた個室を見てみることにする。まず手前の部屋が洗面所とシャワー、バスタブ、トイレ。その扉の隣にクローゼットと思しきスライド式のドアがある。
奥には私一人で使うには大きすぎるくらい立派なベッドが置いてある。ダブルとかクイーンとかキングとか、縁がないため詳しくないがそういうサイズなのだろう。
それから、壁に向けられている小机。通常ならばテレビ台の役目も果たすだろうが、そもそもテレビがない。世界があんな状況ではどうせテレビ放送などしていないだろう。部屋まで持ってきた日本刀は机に立て掛けておく。
船内の入口からここに来るまで、まるで映画の世界のようだった。カーペット質の床に鮮やかな装飾が施された壁、下品にならない程度に置かれた花や芸術品。これだけの豪華客船にもし普通に泊まるとしたらいくらかかるのだろうか。私と母の二人で旅行に……。
いけない、と頭を振る。ベッドに飛び込んだ。ふかふかの枕に顔をうずめて、思考の海に身体が溺れていく。
外はもう朝だ。寝る時間ではない。それでも、母を喪い、メイオールと呼ばれるバケモノに襲われ、徹夜で三〇〇人近いメイオールを滅ぼした私の心身は疲労で悲鳴を上げている。それなのに、アドレナリンが収まらず眠るにも眠れない。
身体に鞭を打ち浴室へ向かった。ドライヤーや歯ブラシといった日用品も新品が用意されてあるのは確認済みだ。
その前に、クローゼットからバスタオルとハンドタオルを一枚ずつ手に取り、それから無地の白い下着も上下一セット確保しておく。カナタの言う通り洗濯しなければ数日で尽きてしまうだろう。この船にどれほど滞在する予定なのかはわからないが、そういった部分も念頭に置いておいた方がいいかもしれない。
脱いだセーラー服と下着は畳んで台に置き、浴室へと入る。
〇△〇△〇
身体の水気をふき取りバスローブを纏う。そして洗面所の鏡台の前で髪を乾かす。黒髪ロングの姫カットという髪型は髪の艶が命だ。ドライヤーの風の強さや温度など、一日で最も気を遣う時間である。
「それにしても、なかなか良い色の眼になっておるのう……」
乾かしながら、鏡に映る自分を見つめる。今まで普通に黒かった黒目の部分が血のように真っ赤になっている。カナタに渡された注射器を思い出す。あの液体と同じ鮮やかな赤だ。能力者になった副作用なのだろうか。
別段、眼の色が変わったことは気にしていない。むしろ我ながら似合っているとすら思う。私ははっきりとした目鼻立ちの美人で、肌も白く、唇の赤みがアクセントとなっていて綺麗だと学校ではよく言われていた。赤い両眼も、こうして見ると私の美少女っぷりを際立たせている。かっこいいし、かわいい。
「クックックッ、世が世なら妾は傾国の美女と言われていたじゃろうな」
得意げに笑いながらドライヤーを置き。バスローブを脱いで下着を身に着ける。洗面所を出て再びクローゼットを開け、一体どんな服が用意されているのかと半ば期待しながら確認してみると……。
「なんじゃ、これは」
和服っぽいものが畳んで置いてあり日本人としては馴染み深いため手に取った。黒を基調とした着物だと思っていたが、広げて見てみれば、和服というより和服風ワンピースといった感じだ。
襟はきっちりしていて袖も幅広でヒラヒラしているものの許容範囲内。しかし、帯風の装飾を境に下半身部分はミニスカートになっている。
「伝統への冒涜じゃ……。まあ可愛いのは認めようぞ」
着てみて、鏡の前でキメポーズをする。やはり我ながらよく似合う。金色や赤色、桃色の刺繍で梅や桜を表現している柄も美しい。
ちょうどそのときコンコンとノックする音が聞こえる。時計がないのでわからないが、たしかに体感時間としては一時間経ったかもしれない。カナタが迎えに来たのだろう。
「……時よ止まれ」
時間を停止させ、出入口の扉の前まで移動。
そして能力を解除。時間が動き出す。と同時に、扉を開けた。
「うわ、びっくりした。聖ちゃんずっと扉の前に立ってたの?」
「うむ、まあそんなところじゃ」
カナタからすればノックをしたその直後に私が扉を開けたことになる。勘違いしても無理はない。
時を止める能力はこういうちょっとしたイタズラにも使えるとわかって今は満足だ。
「それにしても聖ちゃん、その服似合ってってるね。選んだのは僕じゃないけど」
「なかなか良いセンスをしておる。妾という最高の素材あってこそではあるがな」
「今から選んだヤツにも会えるよ。さ、行こうか」
個室を施錠し鍵はポケットに入れる。この和服風ワンピース、和服でありながら平然とポケットが両サイドにつけられているのだ。正直この方が便利だと思う。
この船にはカナタやヒイロといった少し変わった人間とは別に、私のように異能の力に覚醒した者もいるという。新たな出会いに期待半分緊張半分、カナタに先導され船内の廊下を進む。
(聖ちゃん、僕を驚かせるためだけに能力を使ったんだろうなぁ……)