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第169話 時よ止まれ

 世界から色が消えた。音が消えた。匂いが消えた。五感全てがモノクロになった世界。


 鎌のように鋭い敵の爪が私の鼻先に触れる直前のところで停止している。ゾッとして数歩後ずさった。


 きょろきょろと辺りを見渡す。一体何が起きているのか。ついさっきまで群衆の叫び声や銃声音、炎の燃えるバチバチという音が聞こえていたのに、今は私の鼓膜は少しも揺れていない。


 それに、さっきまで私の肩や頭に降り積もっていた雪が空中でピタリと静止している。結晶の形まではっきりと見える。その光景で私は確信した。

 

 時が、止まっていると。



「これが、妾の力……?」



 体感、十秒程度。世界に色が戻る。敵の鋭利な爪が路地の地面を抉り取り、アスファルトの破片が雪をまき散らしながら(つぶて)となって弾け飛んだ。



「ならば、もう一回!」



 時よ止まれと念じてみる。たとえ弾丸のように襲い掛かる石礫であっても、時間が止まってしまえば!


 そんな私の期待を裏切るように、無情にも時間は止まらなかった。



「くっ……」



 腕で顔を覆うが、細かいアスファルトの礫や雪の氷片が両頬や額を切り裂き滝のように血が流れる。しかし痛みを感じたのも束の間。傷口は塞がっていった。


 思えば、私は腕も脚も傷だらけで折ったり引きずったりしていた。それなのに止まった世界でバックステップをしたり今だって腕で顔をかばったりしていた。まるで傷も怪我もないかのように。



「きみの身体はもうただの人間じゃない。どんな能力に目覚めたかは僕の知るところではないけれど、身体能力、運動能力、回復力、臓器機能、あらゆるものが既に常人離れしているはずだ」



 空からさっきの男の声が聞こえる。きっとこちらの状況をどこかで見ているのだろう。

 私は自分の掌を眺める。たしかに傷も痛みもない。まるで自分の身体が自分でなくなったような感覚だ。同時に、それは全能感。欲した通りの力を得た。目の前にいる親の仇を叩きのめす力を得た。運命をぶち破る力を得た。



「クックックッ、妾はもはや只人にあらず……。面白いのう。胸の内から湧き上がるこの歓びは一体何なんじゃ。妾にもわからんが、少なくとも貴様を倒すには充分のようじゃな……!」



 積雪を踏みしめて急加速。運動能力云々の話は事実なのだろう。体育の授業でもこんなに速く走ったことはない。何より、距離に対して加速度が高すぎる。そんな私の行動を嘲笑うかのように敵は骸骨顔の口を裂けるほどニンマリと開いた。


 再び腕が振るわれ目前に爪が迫る。得物が自ら仕留められに来た、とでも相手は思っているのだろう。私は精一杯の憎悪でソイツのしたり顔に、何よりこの世界の摂理に、物理法則に反逆する。



「妾が命じる。──世界の時よ、止まれ」



 今度は時間を止められた。体感にして一秒。それだけあれば首を数センチずらすだけでいとも容易く攻撃を避けることができる。すぐさま時間停止を解除し、虫のような黒い複眼に掌底を叩き込む。


 ソイツは数メートルも路地を転がった。起き上がるのは早かったが複眼は潰れて、しぼんだ風船のようになっている。歯がカタカタカタカタカタカタと震えて音を鳴らし、私に対して怒りを抱いていることがノンバーバルに伝わってくる。



「クックックッ、何をそんなに憤っておるのじゃ? 妾のようなか細く美しい少女など、そなたにとっては敵ではなかろう?」



 私が挑発した直後だった。

 ソイツの潰れて歪んだ複眼が、()()()()()()()()()()



「──ァッ!」



 ソイツに声はない。カタカタカタカタカタと機械的な歯ぎしりを小刻みに鳴らすだけ。しかし息んだような気配を感じた。


 ソイツは身体の前に両手を突き出した。次の瞬間、周辺の瓦礫や先ほどのアスファルト片などが集まり、野球ボール大の球を形成する。そしてその球を核としてソイツの足元の雪や空気中の水分が集まり、靄や霧となって纏わりつき、さらに圧縮されてサッカーボール大の氷の球を作り上げた。正確な球形ではなく、いが栗のように表面はギザギザと尖っている。


 両手に収まった氷球をそのまま肘を曲げて腰まで引き、両腕を伸ばしながら私に向けて射出する。空気を切り裂く音が遅れて聞こえてくる。亜音速だ。そして、それを捉える私の動体視力もまたもはや常人のそれではないのだろう。


 心の中でもう一度『時よ止まれ』と念じると、世界は灰色になり音は消えあらゆる運動が停止される。

 まず氷球の射線から退き、肉薄。ソイツの伸ばした腕を踏み台にして二段ジャンプする。そして後頭部だけ後方に一メートルほど引き延ばしたような不気味な骸骨の頭を鷲掴んだ。


 そのタイミングで時間停止が解除される。



「──ッ!?」


「去ね。妾はそなたの生を赦しはせん」



 腕力に任せて首をねじ切った。噴水のように鮮血が吹き出しダラリと伸ばしていた腕を垂らして、ソイツは生命活動を停止した。ソイツの骨格から力が抜けて倒れるのに合わせて私も飛び退く。


 千切った首を見つめる。後頭部が長いことと口元の裂け具合、気色の悪い複眼。その三つを覗けば人間の骸骨そのものだ。触れた感じもどこか骨っぽい。

 それを地面に叩きつける。


 踏みつける。砕く。踏みつける。壊す。踏みつける。粉々にする。踏みつける。地面にこすり付ける。踏みつける。踏みつける。踏みつける。踏みつける。



「……ぅくっ……お母さん…………お母ぁぁぁぁさぁんっっ!!!!!」



 視界が滲む。黒い骨粉が白い積雪と混ざり合う。きちんと踏みつけているかどうかもわからない。見えない。それでも激情の向くままに何度も何度も足で踏み抜く。



「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッッァァァァ!!!!!!!!!!!」



 母子家庭だった。決して裕福ではなかったけれど、私がいなければ幾分かマシな生活ができたと思う。

 昼は花屋で働き、夜は工場労働。いつ寝ていたのかもよく知らない。それでもお母さんは辛そうな顔や苦しそうな顔を私の前では見せなかった。私を、一生懸命に育ててくれた。

 

 そう、お母さんは一生懸命だった。命を懸けて私の一生を想ってくれた。願ってくれた。


 朝の会話を思い出す。


『うーん、そうねぇ。でもお母さんはね、聖が自分らしく生きていてくれさえすれば、それで充分かな。大人になるとね、いろんなことを経験して、いろんなことを諦めて、流されて、振り回されて、自分って何なんだろうって悩んじゃうときがあるものなの。聖にはそうなってほしくない』



 最期の言葉を思い出す。


『ひ、じり……大好きよ……。だから生きて……あなたは、あなたらしく…………』



 喉が焼けるほど叫んだ。その痛みすらも直ちに治癒される自分が恐ろしい。でも私が宿したこの恐ろしいほど強力な異能力と向き合うことで、一つの決心がつく。

 涙を袖で拭って雪降る星空を見上げる。



「よかろう……。……妾は妾らしく生きてやる。世界の摂理に、理不尽な運命に、そなたを殺めたバケモノ共に、反逆する。これは決意表明ではない。妾の前に立ちふさがる全ての者への宣戦布告じゃ……!」



〇△〇△〇



「良いね。やっぱり僕好みの反骨心をしているみたいだ。それにしても、あのメイオールは下っ端じゃなくて能力持ちだったかぁ。そこまでは僕も予期できなかった。もちろん彼女が負けるとは思っていなかったけど」



 倉庫の上で白衣の青年が穏やかな笑みを浮かべている。灰色の髪が夜風に靡く。



「あれはあえて言うなら雲を作る能力、ってところかな。空気中の塵に水分や氷が付着することで生成される点は雲のそれと同様の現象だったからね。雲は通常数トンから数十トンにもなるけど、水の分子量が一八に対して酸素の分子量は三二、窒素の分子量は二八。要は同量ならば比重として空気よりも雲の方が軽くなってしまう。だから圧縮して氷にし、密度を増したわけだ。ま、そんなハズレ能力を使うくらいなら銃でいいんだけどね」



 ハハ、と馬鹿にするように笑う。不健康そうな白い肌は血管が透けて見えそうなほどだ。



「さて、そろそろ僕も彼女と合流しようか。……彼女ならなんとかできそうだ。僕にできないことでもね」

なろうのシステムに疎いのでよくわからないのですが、「いいね機能」というのを解放しました。さっそく数件つけていただいているようで、ありがとうございます!

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