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第166話 地球領土放棄宣言

六花(むつのはな) 凍てつく灰の 白き(かな)……クックックッ、妾には句の才能もあったようじゃな」



 しんしんと雪が降る。朱い和傘を傾けて夜空を見上げれば、まるで星空が落ちてくるかのようだ。


 ひとしきりトイレで泣きじゃくった後。授業はばっくれて夕方帰宅した。しかし、どうしても腫れた目元を母には見せたくなかった。心配させてしまうことなど明白だからだ。嘘をつくのは心苦しかったが『友達と遊んで来る』とメールをし、夜になるまで時間を潰したわけである。かくして現在二三時。


 叢雲のかかった満月の、薄ぼんやりとした月明かり。この時間はもう母は二階の家にも一階の花屋にもいない。工場夜勤に行っているためだ。私が住む東京都は世界的に都会だと言われるものの、その裏側には花屋やら工場やら低賃金労働者が大勢いるのだ。


 右手に和傘、左手に総菜の入ったスーパーの買い物袋。夕食も基本的に一人なのでこうして毎晩買いに出ている。寂しいか寂しくないかで言えば、たぶん寂しい。恵まれているかいないかで言えば、恵まれていない。

 しかし、そんな物質的な不足よりも、それを同情されて憐れみの視線を向けられることの方が私は耐え難い。これは静かな怒りだ。青い篝火。私に落伍者の烙印を押し付けるのは世界の勝手な基準である。


 雪が積もった帰路のアスファルトに私の足跡が刻まれる。

 そうだ。私には私の歩いてきた道がある。これから進む道がある。誰かに可哀想だと値踏みされるものではない。ただ私は私らしく在ればよい。その結果として嫉妬されたり友人から裏切られたりするのなら、それもまた『私』なのだろう。


 人前での振舞だって、誰かが馬鹿にして言ってくるようないわゆるキャラ作りとやらではない。これが最も理想的な私らしい私。豪奢にして不敵、妖艶かつミステリアス、大和の国にて星を占う運命の代弁者。それが私だ。



「おぬしもそうは思わんか?」



 自宅とスーパーのちょうど中間にある区役所。敷地内には大きな椿の木々が立ち並んでおり、柵はあるものの歩道にも大部分はみ出ている。私は真っ赤な椿の花にそっと手をかざしながら話しかけた。雪を被っているので払ってやる。



「クックックッ、雪月花じゃな」



 この椿の木々は区役所の依頼を受けて苗木から生育に至るまで母が担当したものだ。椿は木に春と漢字では書くが、春に咲く花ではない。春の訪れを告げる冬の花である。深い茶色の木の幹に光沢のある緑色の葉、そして血潮のように鮮やかな紅い花。冬になると雪化粧をまとい、なおさら鮮烈に写る。


 どさっ、と背後から大きな音がした。少し離れた木で雪の重みに耐えかねた椿の花が歩道に落ちたのだ。椿は他の花々とは異なり、花弁を散らさない。花全体が丸ごと落ちるのだ。古くはその鮮血のような色も相まって人の首が落ちる様を連想させると言われてきた。


 私は椿が好きだ。わざわざ春や夏ではなく厳しい冬に咲くところも、自分らしさを崩さずに生を終えるところも。来た道を少々戻って買い物袋を地面に置きしゃがむ。和傘を器用に肩に引っ掛けて落ちた椿の花を拾い上げ両手で包んだ。手の温度で花を覆っていた雪が解けて水になる。



「すまんのう。妾では世界の重みから全てを救うことはできんようじゃ」



 昔、しおれてしまった花を処分する母を見たことがある。とても悲しい顔をしていた。売り物がだめになったからではない。花が死んだからだ。生物学的な死ではなく、存在の没収。

 花が花として存立できる所以、いわば実存を時の流れによって強制的に剥奪されたのである。残るのは茶色く腐敗した生ごみだけ。きっと今の私もあのときの母と同じ顔をしていることだろう。いつかこの椿の花だってそうなる。


 時間の監獄からは逃れられない。何も雪が降らずとも、春が終わるころには全て自然と落ちるのだから。

 それがたまらなく腹立たしい。怒りの風が私の中で吹き荒れて心の花畑をめちゃくちゃに侵していく。


 自然。摂理。常識。迎合。同調。


 私も、この椿の花も、母も、母の大切な花々も、どこかの誰かが定めた法則に支配されている。水は上から下に流れるし、どんな強者も時間が経てばいつか死ぬ。

 思えば、私が占いなどというものに手を出しているのはそういう規定された道筋への反逆なのかもしれない。間違いなく私が目指していたのは、運命の代弁者などという()()なものではなかったのだ。



「妾を正しく表すならば……運命の破壊者、といったところかのう」



 呟きは雪夜に溶けた。周囲を見渡しながら、通りを横切って数十メートルのところに空き地があるのを思い出す。クリスマスイブの夜遅く、当然ながら誰もいない。車通りはもちろん人通りも皆無。信号無視してさっさと駆けて、空き地に行き、大きな松の木の根元に積もった雪の小山に先ほどの椿を埋葬する。


 花を弔う者など世界中探してもどこにもいない。なぜか。花の死は自然の摂理だからだ。私はそれに抵抗する。


 さあ、帰ろう。しっかり食べてしっかり寝て、私は私を維持しよう。今日はクリスマスイブということは明日は終業式。じきに冬休みとなる。お年玉が貰えるほど裕福ではないけれど、年末年始は母も休んでくれるので一緒に過ごすことができる。それだけで充分だ。


 スーパーの買い物袋を持ち直して、改めて帰路につく。自宅までの最短ルートからは外れたが地元なので地理はきちんと把握している。

 などと考えながら空き地を出て、通りを渡る。そのとき。空き地の向かいにある寂れた電気屋の薄汚いショーウィンドウに展示されたブラウン管テレビの画面が突然ぴしゃりと光を灯した。


 電気屋自体はとっくに閉店時間を過ぎているので店員もいないし室内の電源も落としてある。だが、まるで私に何かを伝えるようにテレビはオンになった。


 街灯や自販機に群がる虫のように、私も電気屋のテレビに吸い寄せられた。


 そこは会見場だった。官房長官が記者の質問をよく受けている部屋。そして見知った顔が出てくる。日本の総理大臣だ。普段は壇上と国旗に一礼してから壇に立つはずなのに、今日に限っては総理大臣はずかずかと踏み入っている。


 マスコミも、雪空の下で画面を眺める私も、総理大臣のどこか異様な様子を不審に感じていた。


 そして総理大臣は、原稿を強く握る手を震えさせ、涙を堪えるように話し始めた。



『こ、国民の皆様……。申し訳ありません。私をはじめ各国首脳は協力して事態に臨みましたが、結果的にどうすることもできませんでした。連中はもうやってきました。我々は地球の領土を放棄いたします。どうか、どうか、愛する方と最後の一日をお過ごしください』

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