第164話 中二病のユビキタス
田中ナツキは中二病である。
憧れたアニメやゲームのキャラクターに影響を受け、日々理想のために努力する。その頽廃的かつ耽美的な在り様はまさにデカダンス。
しかし、少し考えてみてほしい。中二病は彼だけか?
飲めやしないのにブラックコーヒーを頼む奴も、肝試しで幽霊が見えるフリをする奴も、授業中に襲撃してきたテロリストを撃退する妄想をしている奴も、皆、まごうことなき中二病である。
中二病は遍在する。
時代も場所も関係なく、いつもどこかにそれはいる。
この物語は、言うなれば、そう、
『中二病のユビキタス』
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『今日は一九九九年十二月二十四日。クリスマスイブですね! それでは、世界各国の首都のお天気を見てみましょう。東京は快晴ですが、夜から雪が降るかもしれません。あ、モスクワは相変わらず雪でーす。北京は黄砂で視界がふさがれてしまいますから、自動車の方はワイパーを忘れずに! ワシントンD.C.はしとしとと一日雨が降るでしょう。ロンドンでは……』
このキャスター、喋り方が馬鹿っぽくてムカつく。私が荒々しくリモコンのボタンを押すのを見て母は苦笑いを浮かべていた。
「聖、何もそんなに不機嫌にならなくたって」
「だってお母さん、私が将来あんな頭の悪そうな女に育ったら嫌でしょう!?」
狭い一軒家のリビングにて。私がちゃぶ台に箸を置いて反論すると、母は味噌汁を飲みながら柔らかい表情を浮かべる。
「うーん、そうねぇ。でもお母さんはね、聖が自分らしく生きていてくれさえすれば、それで充分かな。大人になるとね、いろんなことを経験して、いろんなことを諦めて、流されて、振り回されて、自分って何なんだろうって悩んじゃうときがあるものなの。聖にはそうなってほしくない」
「ふうん。そういうものなの?」
「そうね。私はいつだって聖のことが大好きよ。だから聖には聖らしく生きてほしいの。頭が良くなくてもいい。綺麗でなくたって、周りに好かれなくたっていい。何にも流されず、ただあなたらしくいればいい。お母さんの願いはそれだけよ。ほら、さっさと食べちゃってね。お母さん、もう下で開店の準備しないといけないから」
私たち時任一家が住むのは二階建ての一軒家。一階が母の営む花屋で、二階が私たちの居住スペースとなっている。
父は私が幼いときに他界したので顔も知らない。どうやら生前は両親揃って花屋を切り盛りしていたそうで、母は父の死後も店を守り続けているのだ。
尤も、生活は厳しいので母は夕方に閉店すると夜勤のパートに行っている。帰宅するのは早朝だ。
「はぁい」
私が気の抜けた返事をしながら味の薄い焼け鮭を箸でつついているのを見て再び苦笑すると母は一階へと降りていった。
急いで準備しなければ学校に遅刻する。もう二学期もあとわずかだ。私の中学二年生としての日々は半分以上が終わったことになる。
朝食を終え、食器はシンクに運んでおく。さっさとはみがきや洗顔も済ませてしまって、急いで家を出る。
その前に、玄関の姿見で自分の身だしなみを確認した。
セーラー服のよく似合う長い黒髪は姫カットにし、まつ毛は長く、目はぱっちり。我ながら今日もかわいい。
たしか夜から雪の可能性があるとアホキャスターが言っていた。傘立てから朱色の和傘を取り出して中学校へと出発した。
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「聖ちゃん、おはよう」
「クックックッ、今日も良い朝だな、旋律刻む光の御子よ」
「もう、いつも言ってるでしょ。私の名前は律子だってば!」
「すまないな律子。たしかに、みだりに真名を晒すのは良くない。妾の過失じゃ」
教室に着いたばかりの私に微笑んで挨拶をしてくれた親友の律子。地味な見た目だが、笑顔の素敵な女の子だ。すると私の席に他のクラスメイトたちも大勢集まってきた。
「聖ちゃん、また占ってよ」
「あ、時任、俺も頼むよ。今度サッカーの試合なんだ」
「そう急かすでない。妾の身体は一つしかないんじゃぞ。ほれ、まずはそなたからじゃ」
私の席を囲むように、男女問わず人が集まる。私はまずその中の一人を指名した。学生鞄から数珠や八卦羅盤、タロットカード、水晶玉……といった具合で次々と取り出す。
和洋東西入り乱れる占星術のアイテムが狭い学生机いっぱいに広げられ、私はそれらの使い方もわからないまま見よう見真似で使用する。
「クックックッ、妾に星が囁いておるわ。おぬし、隣のクラスに想い人がおるな? やめておけ、凶の星が出ておる。そなたは彼奴と幸福になることはできまい」
「す、すごい! 誰にも言ってないのに時任さんなんでわかったの!? 今日こっそり告白しようと思ってたのに……」
女子生徒の一人が驚くように声を上げると周囲の他の面々もざわざわとし始め、私は少しだけ得意な気分になった。
こんなもの、少し人間観察をしていれば簡単に見当がつく。
この女性生徒は休み時間や移動教室のたびに隣のクラスの教室をチラチラ覗いていた。かといって友人とお喋りしに会いに行っているわけでもない。
さらには彼女のセーラー服にはほつれた毛糸の縮れた繊維が付着している。クリスマスが近いということもふまえると、大方セーターやマフラーを編んでいたといったところか。
よって、この女子生徒は気になる異性が隣のクラスにいるという推論が成り立つ。私は本物の占星術師ではないのでその人物が誰かなんて特定できないし、もしかしたら告白すれば意外と成功するかもしれない。
だけど、私は自分自身の箔をつけるためわざとこのような言い方をした。古来より天のお告げというものは忠告や警告が多い。何かを推奨するのは誰かの利益のための策謀に見えるため俗っぽくなるが、何かを禁止するのはどこか権力的だからだ。
想像してみてほしい。もし巫女さんが『神は饅頭を毎日お供えしろと言っています』とでもお告げを発表したら、この巫女さんや神社が食いたいだけなんじゃないかと疑ってしまう。
逆に『神は食欲や肉欲に溺れるような生活をせず慎ましく生きろと言っています』とお告げを報告したら、なんだか超自然的で荘厳な雰囲気があるだろう。
つまるところ、大衆は馬鹿なのだ。クラスメイトたちもこの程度の平易なトリックで簡単に人心掌握できてしまう。私は世紀の詐欺師か、はたまた本当に天性の占い師なのか。
そんなことはさして重要じゃない。多くのクラスメイトたちが羨望と尊敬のまなざしを私に向けてくる。
これだ。この快感だ。私は『理想的な私自身』という虚像を作り上げ、そんな偽りの私に周囲の人間は心酔していく。それがたまらなく気持ち良いのだ。偽りもいつかは本当になる。私は私の理想を私自身の手で作り上げる。
いつの日か、『理想的な私』が実像になる。
「クックックッ、そう騒ぐでない。あと幾許かで授業が開始するぞ。妾を困らせるな」
この口調も演出の一部だ。とはいえ、別に無理をして仮面を被っているわけじゃない。ただ喋りやすい口調。これが一番私らしい在り方だった、それが偶然うまいこと作用した、ただそれだけ。
昔から古い書物を読むのが好きだった。アニメや漫画では、ミステリアスな美女に憧れた。幸い私は整った容姿で生まれてくることができたので、我ながら板についていると思う。
チャイムが始業を報せる。
母さん、たぶん母さんが思っている以上に私は私らしく生きられてるよ。なんなら頭も良いし綺麗だし周囲に好かれてるよ。
クックックッ、と癖のある笑いをこぼす。これが私の日常だ。