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第161話 約束を果たす

 羽になったみたいに身体が軽い。さっきまで鉛のようだったのが嘘のようだ。

 痛みはきっとあるのだろう。でもまったく気にならない。今の(まどか)には初恋の人の応援がある。セロトニンが、ドーパミンが、ノルアドレナリンが脳で溢れて痛みなど幸福の彼方に吹き飛ばしているのだ。


 自分がこんなにも素早く動けるなんて、と円自身が驚いた。姿勢を低くし駆けだして剛毅に高速で接近。胴体を斜めに斬り上げるも、剛毅の眼が淡く青い光を灯し呆気なく円の刀はすり抜けた。



「さっきよりも速ぇな。いよいよお前の母親によく似てきたぜ」



 剛毅はにやりと笑いつつも手加減はしない。すり抜けていった刀を握っている円の手首を刀の(かしら)──(つか)の先端──でトンと叩く。

思わず刀を手放してしまった円。頭上から剛毅の野太刀が振り下ろされる。仮に峰打ちであっても巨大な金属の塊である以上、全身の粉砕骨折はまぬかれない。



「随分と良い動きだが……これで終いにしようぜッ!」



 ブォォォォォオンッと空気を裂きながら目前に迫る。それでも円は一切臆さない。

 少しでも野太刀の到達を遅らせるため、その場で背を地面につけて寝ころぶ。そして、ついさっき手放して地面に向かって落下している刀を空中で拾い上げ、剛毅の刀の側面を全力で叩きつけた。


 真正面からぶつかって力比べをする必要はない。現に、剛毅の野太刀はほんの数ミリ軌道をズラされただけ。だが、その反作用で一度距離を取るには充分だった。円は地面を転がりながら剛毅の射程圏内から離脱する。


 そして立ち上がるや否や、石畳の地面にできた水溜まりに刃先を落とし、ゴルフのような動作で剛毅の顔めがけて水飛沫を飛ばす。古来より用いられる典型的な目つぶしだ。砂や小石、ときには水など、刀を使って相手の視界を奪うのだ。



(透過の能力が自動ではなく任意なら、目潰しをしてそもそも私の剣を見えなくすることで透過発動のタイミングをわからなくさせることができるはず!)


「チッ、小賢しいところもそっくりだッ!」



 しかし剛毅は能力を発動し、そもそも水飛沫自体を透過させた。水飛沫は顔を通り抜けていく。

 牽制が無力化されたというのに円の顔に悲壮はない。そこにあるのはむしろ驚愕、あるいは発見の喜び。



(この大雨の中、服も体はたしかに降雨で濡れている。それなのに私が放った水飛沫は透過させた……。もしオートで発動しているなら、雨水も透過していないとおかしい!)



 さらに観察眼は重要な情報をもたらす。



(水飛沫を透過させた瞬間、股下の地面で雨水が跳ねていたように見えた。ということは、目元での透過と同時に身体全体の透過も発動していて、部分的な発動はできていない)



 円は暗い雨天を見上げた。重苦しい空の割に今は非常に晴れやかな気持ちだ。とても負ける気がしない。

 きっと母がはるかに格上の相手を屠ったときもこんな気持ちであったに違いない。どうしようもない万能感。やりどころに困るほどの溢れる力。今までにないほど頭はクールになり観察眼は冴えわたる。

 そしてそれらを支えているのは、愛と憧憬。


 惚れた男の前でなら、女は誰よりも強くなれる。



(ナツキ、どうか見ていてくれ)



 第一歩から弾丸のような速度だった。止めどなく降り注ぐ雨滴が宙で静止していると錯覚するほどだ。

 身体が熱い。心の臓から燃えるように火照っている。その熱が全神経と全筋肉を励起させる。天にも昇るほどの想いの奔流が刀を振るう力をくれる。



「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!!!」



 空を舞い飛び回る鳥のように腕を広げて大地を駆ける。伸ばした手に握られた刀は篠突く雨を斬り裂きながら突き進む。


 剛毅もまた、短時間での円の変化をしかと認めた。この一刀を斬り結ぶことで決着がつくと確信めいた思いを抱く。腰を落とし野太刀を両腕で構え、全身全霊で迎え撃つ。


 透過能力は部分的な発動はなく、すなわち防御のために透過をしている間は剛毅は相手に攻撃を当てることもすり抜けてしまうからできない。ならば。



(たしかに私の剣は透過されるかもしれない。でも、その間は同時に相手の剣も透過してしまって私には当たらない!)


(おそらく俺の能力のカラクリは暴かれちまってるな。透過を繰り返せば負けはしねぇ。絶対にだ。だが、そりゃ同時に俺が()()()()ってことも意味しちまう。カッ、許せねえなあ。許せねえよ。俺の方が強ぇ。俺が誰より一番強ぇッ!)



 互いの刀が互いの首を狙う。首の左側、頸動脈を。



(早すぎても遅すぎてもダメ。透過の能力が使われないタイミング、つまり相手の刃が私の首を取るのとまったく同じ瞬間を狙う)



 円の首に剛毅の刀が触れるということは透過は行われていない。そのタイミングだけは確実に円の刀も剛毅の身体に届く。



(なおかつ、相討ちにならねぇために、その極僅かな須臾で紙一重だけ俺より早く剣を届かせようとしてくるはずだ)



 お互いに相手の狙いをわかった上で。それを洗練された剣技のみで乗り越えんとする。

 お互いに刀を右手で大外から振って首の左を狙うので、刃が交差することなく、空から見れば銀色の円を描いている。

 お互いに自分は負けないと確信している。最後は思いの強い方が競り勝つはずだ。


 そして──。



〇△〇△〇



「そこまでだ」



 狐の面を被った黒い和服の男が二人の間に立ち二本の刀を両手で握り受け止める。刃を握りしめる両掌からは血が滝のように垂れ、石畳にしたたった。激しい雨が綺麗に洗い流していく。


 ナツキは二人のそれぞれの首を見やる。



「決着はついた。異論はないな?」


「ああ。……俺の負けだ」



 剛毅の野太刀は円の首にピタリと添えられている。しかし一流の剣士であるがゆえにわかってしまった。紙一重なのだ。本当に、和紙一枚分の厚さほどの距離。剛毅の刀は円の首に届いていない。


 他方、剛毅の首からはわずかに出血があり、円の刀の刃を伝って鍔へと流れている。こちらも、ほんの薄皮一枚分。わずかに剛毅の首を斬っていた。



「お前が止めてくれなきゃ二人して首が飛んでたな。だが……それは俺が先になっていた。間違いねぇよ」



 そう言って剛毅は潔く引き下がる。だが、円は動けない。

 ナツキは寺子屋に潜入するにあたり、声音を少し変えていた。おかげで実際に今まで円は温泉で出会った田中ナツキと寺子屋で会う黄昏暁を同一人物だとは露も思わなかった。


 そして現在。ナツキは声音を作っていない。いつも通りの声で喋っている。黄昏暁の姿で、田中ナツキの声で。



「そんな……ナツキ、なのか……? 黄昏暁……お前が…………」



 ナツキは面を外す。赤と青のオッドアイで円を射抜くように見つめた。



「ああ」


「黄昏暁……母上の剣を穢し、私を騙し陥れた張本人…………それが……私の……初恋の…………」



 虚ろの目になった円は『うあぁぁぁぁぁぁッ』と叫びながらわけもわからずナツキに斬りかかった。半狂乱の粗雑な攻撃。ナツキは避けることも反撃することもせずその一刀を受け入れる。肩がざっくりと千切れ、腕がだらんと垂れ、傷は胸骨に達するほど深い。

 どくどくと血が溢れる中で、ナツキは刀を握る円の手を包む。



「なんで……避けなかった。私に歩法を指導したほどのお前が……どうして」



 血まみれになった手で円の指を一本ずつほどくと、力なく刀を落とす。そしてナツキは失血で文字通り血の気が引く中、それでも力なく微笑んだ。



「満月の晩、夜桜の下でした約束。円が憧れに辿り着いて一流の剣士になったら、俺の顔を見せるってな……」


「そ、そんな、だったらなんで私を陥れるような真似を……」


「俺じゃない」



 円は能力を発動した。ナツキの否定が嘘なら、『嘘』と脳内に満ちるはずなのに。

 一切その兆候ない。ナツキは嘘をついていない。本当に、円を陥れ薫の剣を穢したのはナツキではない。



「じゃあ、最初からナツキは私のために……?」


「お前の剣は綺麗だ。努力は綺麗だ。手にできた血豆も、女とは思えんほどの握力も、厳しい性格も、全部全部、心から綺麗だと思った。だから手伝ったんだ。事情があったとはいえ顔を見せなかったことも黄昏暁の名で別人として会ったことも……本当にすまない」



 血で熱いナツキの手。円の手を包む大きな手。能力はたしかに発動状態なのに、ひとつも『嘘』という言葉が出てこない。綺麗だと思っているのも謝罪の気持ちも全部真実だと否応なく理解させられる。



「剛毅、もう円は一流の剣士だと言って問題ないな? 円の母親……高宮薫に追いついていると」


「おう。なんせこの俺を追い詰めたんだからな。薫に追いついたどころか、半歩分くらい追い抜いてんじゃねぇか?」



 剛毅のいまだ自信あふれる発言にナツキは思わず苦笑しながら、改めて正面から円を見つめて言った。円の手を包む力がぐっと強くなる。



「おめでとう円。お前の夢は現になったぞ。他の誰でもない。円自身の力でな」



 それだけ言うと失血で意識が朦朧していたナツキは全身の力が抜け、円からも手を離して倒れた。意識はもうない。それでも笑っていた。大切な人が理想を実現したのだから。それはとても喜ばしいことだ。祝福すべきことだ。


 理想を追い求める姿勢。それこそが、中二病なのだから。


 円の『ナツキ! ナツキ逝くなナツキぃぃぃぃ!!!』という絶叫が遠のくを感じながらナツキは意識を完全に手放した。



〇△〇△〇



 鴨長明は方丈記で次のように書き記している。


『ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』


 つまり、どんな川も時間経過とともに流れているので、一秒たりとも同じ状態の瞬間はないということだ。

 それは雨とて同じこと。バケツをひっくり返したような大雨は、絶えず石畳を叩くように降り続けている。


 そのはずなのに。


 音がない。石畳を叩く雨音がない。

 音がない。円の叫ぶ声がない。

 音がない。世界の全ての音がない。


 雨粒は重力による自由落下運動を停止し、宙に留まっている。

 カン、カン、と下駄が石畳を叩く。



「まったく、世話の焼ける男じゃ」



 今にも地面に顔をぶつける、というところで停止しているナツキの和服の裾を引っ張った。



「クックックッ、それでも期待通りじゃったよ。理想を追い求める者にしか円は導けんかったからのう。全てを諦めてしまった今の妾には決して成し得ぬことじゃ」



 黒い着物が濡れることは一切なく。美しい黒の長髪をゆらゆらさせ、聖皇はナツキを引っ張ったまま紫宸殿への帰って行った。

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