第160話 嘘
夢を、見た。幼い日の淡く褪せた記憶。
厳しい母だった……のだと思う。他人の家と比較したことはないのでわからない。でも、きっと世間一般とはかけ離れていたのだろう。
この平安京という街には日本中の能力に目覚めた者が集い、お国を守るための組織に入り日夜たくさんの外国の勢力や悪い人たちと戦っているのだという。母もその例に漏れない。
「わたしにはなにも能力はないよ?」
幼い私がそう言うと、母は腰に佩いていた刀を和服の帯から抜き、片膝をついて私に目線を合わせた。
「持ってみなさい」
ズシン、と地面へ引っ張られる。両手で持ったというのに重さを受け止めきることができなかったのだ。
「それが命の重さよ。能力者っていってもね、結局は人間なの。斬れば死ぬし、愛し合えば生を宿す。円もそうやって産まれてきたのよ」
難しい内容にキョトンとする私は、一生懸命に母の言葉を意味を汲み取ろうとする。母は苦笑すると私の頭に手を置いた。
「能力の有無なんて、武器の種類に過ぎないってこと。優れた一の剣は、凡庸な百の異能力にも勝る」
両腕でなんとか抱えることのできた日本刀を私はまじまじと眺めた。母がお国を守るためにこの剣を振るっていることは子供ながらに知っていた。
「いつか円も大きくなったら……その剣を振るいなさい。敵の能力者なんてばったばったと斬り捨てて、好きな男の子ができたら意地でも奪い取るの。女は強く、そして美しくないといけない。わかった?」
「うん!」
あんまりわかっていなかった。でも、母のような女性になりたいと思った。
刀を返すと母は美しい型を見せてくれた。命を奪い取る剣術の型。それなのに、踊り子の舞のように綺麗で子供ながらに憧れた。
日本の能力者が集結し跋扈する街、平安京。無能力者な私の人生は、そんな特殊な環境でスタートした。
あるとき、母が死んだと聞かされた。母の同僚を名乗る人たちが家へ訪れ、葬式も開いてくれた。
今にして思えば、参列してくれた人たちは自国防衛の重鎮、日本が誇る能力者たちだったのだろう。いろいろな人がいた。本気で悲しんでくれる人、私を心配する言葉をかけてくれる人、そして、醜く笑っている人。
遺体のない葬式だ、死人に口なし耳もなし。だからその人たちは影で喜んだ。
私は見てしまった。彼らが葬式場の外の喫煙所で話しているところを。
「高宮薫が死んだってな。任務中で、遺体もありゃしねぇってさ」
「ざまあ見ろ。昔は天才少女だ天才剣士だってぶいぶい言わせてたみたいだが、所詮は等級の低い授刀衛の下っ端ってこった」
「そうそう。実績だけはすげえから二十八宿に推薦する声も上がってたみたいだが、あいつはガキンチョの頃から生意気だったからなぁ。敵も多くてそういう出世話は全部握りつぶされてたらしいぜ」
「俺も初めて見かけたのはアイツがまだ成人もしてなかった頃だけど、おっかなかったぜ? 周りの大人たち睨みつけててよ。でもよ、ガキ産んでからは良い身体つきになったよな。死ぬくらいなら最後に一回くらいヤらせろってんだ」
「違ぇねえ!」
品のない笑い声を聞いた私は怖くて悔しくて悲しくて、泣きながら葬式場に戻った。
親族は棺桶に最も近い席を与えられる。父の顔は一度も見たことがなく、つまり私が唯一の親族。参列者が順々に線香を上げ、私に声をかけて次の人の番になる。
そして、先ほど母を悪しざまに言っていた連中の番になった。私は彼らに線香を上げてほしくなくて、思わず立ち上がりその腕を掴んだ。
「……やめてください。その汚い手で、私の母上を弔うふりをしないでください!」
「円ちゃん、だったね。おじさんたちも悲しんでいるんだ。だから線香をあげさせてくれないかな?」
周囲の目もあるため取り繕ったように彼らは嘘にまみれた言葉を吐く。
そのときだった。私の眼は橙色の淡い光を宿す。
『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』……。
頭の中を嘘の文字が侵食しいっぱいになる。やはり彼らは嘘をついている。腕を離すと『嘘』の文字は脳内から消えていった。
「……だったら好きにしてください。でも、もし引き下がらないなら私はいつかあなたたちを斬ります。男だろうが大人だろうが、等級が高かろうが関係ない。私は母上みたいな偉大な剣士になります。そのときは、あの世で母上に謝罪してくださいね」
私の大きな声は葬式場全体に響き、体裁が悪くなったのか彼らはそそくさとその場を立ち去った。
その日から、さらに身をいれて鍛錬を重ねた。母が遺してくれた型が日課になり、陽が落ちるまで剣を振り、手には血豆ができた。血豆ができて、血豆が潰れて、また血豆ができた。
十五歳になり寺子屋に入った。自分と同年代の能力者が大勢いる。私は片っ端から勝負を挑んだ。そして……。
敗北を重ねる中で、狐の面を被った不思議な男がやって来た。旅館では、生まれて初めての恋をした。
二つの出会いは私の中で大きなものになっていた。
〇△〇△〇
うっすらと目を開けた円の視界には暗い灰色の空が広がっている。涙のような土砂降りが、仰向けに倒れる彼女の全身を叩きつけるように打つ。ザーザーと絶え間なく降りしきる雨音がわずかな思考の余力も奪い去る。
鈍い痛みが走った。剛毅に腹を斬られたことを思い出す。内臓がこぼれる感覚はないので峰打ちだったのだろう。手加減をされた。勝てなかった。
(私の剣は……届かなかった)
徐々に記憶がフラッシュバックする。渾身の一撃は剛毅の身体をすり抜けた。あれがおそらく彼の能力なのだろうとあたりをつける。
(物理的な接触を透過する能力なんて、いくら私が剣術を極めても勝てるはずないじゃないか……)
諦観に身を任せてからは楽だった。
ああよかった、間違いなく勝てるわけない相手だ。心おきなく敗北を認められる。自分は敗者だ。負け犬だ。
(母上だったら、勝てたのかな)
そんなつまらないことを想像する。もう会えない相手なのに。
(でももう負けることにも慣れた。寺子屋でだって、散々負け続けて……)
本当に? 寺子屋の模擬戦でも勝てるようになったじゃないか。黄昏暁のせいで。
黄昏暁への怒りに突き動かされて脱獄をしてきたが、こうしてあっさりと負けてしまって諦めがついた。剛毅に勝てない自分はきっと黄昏暁にも勝てやしない。
負けた。負けた。負けるべくして負けた。少しも悔しくない。
『嘘』
自分は負け犬だ。納得の敗戦。受け入れよう。
『嘘』
いくら剣術を極めてもあまりに強大な能力には勝てやしない。常識だ。
『嘘』
だって……。
『嘘』
『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』『嘘』……。
『嘘』ッ!
橙色の瞳がはっきりと見開かれる。眼球を濡らす雨粒にも負けない輝きで橙色の火が灯る。
「ぐッ……痛い……でも…………負けない──ッ!!」
円は刀を杖にして立ち上がった。足は震え、身体は鉛のように重く、剛毅の刀に撃ち抜かれた腹は鈍痛が響き今にも千切れそう気分だ。
円を牢屋に戻すよう部下に命令しに行った剛毅は、背後で立ち昇る気配に足を止める。
「まさか……あの一撃をくらって立ち上がれるわけがねぇ!」
「まだ……勝負はついていない!」
立ち上がった。でもそれだけ。剛毅はフラつきながら息も絶え絶えで立っている円を見て嘆息する。
「無理すんな。やめとけ。そんな身体じゃ刀を握るのが精いっぱいだろ」
剛毅とて馬鹿にしているわけではない。親しかった同僚の娘という目をかけている相手だからこそ、最大限の敬意とともに慮って言っているのだ。
余裕のある剛毅と死にかけの円。二人の間の緊張した空気を、第三者の声が打ち破る。
「円ぁぁぁぁぁ頑張れぇぇぇぇぇえええ!!!!!!!」
降りしきる雨を振動させ吹き飛ばすほどの大声援が、どこかから響く。
円はその声をよく知っていた。いいや、声だけを知っていた。顔もわからないその人物に、恋をした。
「ナツキ……!」
「ったく、アイツぁ来たばっかなのにどうしてこうも顔が広いのやら」
円はその声を田中ナツキだと判断し、剛毅は黄昏暁だと理解し。剛毅はただ苦笑いをする。
一方、特に円の変化は絶大だった。
どこまでもどこからも力が湧いてくる。頭もクリアになり全身の疲労は消え去って真っすぐな姿勢で立てる。
(あのとき母上が言っていたのはこういう感覚のことだったんだな)
──だって
(愛した男が見ているんだ。相手がどんなに強い能力者でも絶対に負ける気がしないっ!)
円は刀の柄を強く握る。潰れた血豆の痕が痛い。その痛みすらも気持ちが良い。
(彼が綺麗だって言ってくれた血豆。こんな私でも剣を握る度に思い出す。自分が何を目指していて、何に憧れて、何に恋をしたのか)
中段に構えた円は切っ先を剛毅に向ける。勝負はこれからだ。
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