第159話 あかいろの雨
降りしきる驟雨を雨粒ごと切り裂くようにナツキは黒刀を真横に振るう。秀秋は刃先を真下に向けて身体の横でそれを受け止めた。
「これだから困るんですよ。審美眼を持たない者には私の崇高な価値観は到底理解できない」
秀秋の眼が淡く紫色の光を宿す。彼の三等級の能力は超視覚と超聴覚。通常、こうした自己強化型の能力は目に見えて効果が発露しないため、相手にする際はそれなりの面倒を伴う。しかしナツキは秀秋の反撃で即座に能力の使用を察知した。
(秀秋の刀はまったく濡れていないだと……!?)
普通は大雨の中で刀のような長く平面的なものを振るったら雨水で刃が濡れる。だが秀秋の超視力は高速で降り注ぐ雨粒の一滴一滴を確実に見極め、針穴に糸を通すよりも繊細な剣筋でもってこの雨粒の隙間を縫うようにナツキに突きを放ったのだ。
身体を左に倒し、雨水で泥のようになった砂の地面の上で前転をした。強引な体重移動に頼らなけらばならないほど秀秋の刺突は鋭く、ナツキの隙を的確についてくる。
(ここで秀秋の能力を無力化すること自体は容易い)
現を夢に変える能力はあらゆる異能という目の前の現実をナツキの夢想として格納する能力無効化能力。たしかにそれを使えばあとは刀一本の身体能力勝負になる。
(だがどうしてだろうな)
立ち上がったナツキは再度黒刀を握って秀秋に向かい合った。服や腕に付着した汚れは雨が洗い流してくれている。
(俺はこいつの全てを刀だけで真っ向から否定したいと思ってしまっている)
秀秋の脳天に唐竹割りを繰り出す。が、紙一重で避けられた。秀秋がギリギリで避けたのはわざとだ。より近い位置でカウンターをすればナツキとて回避できない。
ナツキは鳩尾に刃が迫ってくるのを目視するまでもなく前方宙返りで回避し、空中で逆さまの姿勢のまま身体をねじって秀秋の首を斬り飛ばさんと狙う。
それすらも見切った秀秋はナツキの手首を掴み、ナツキが空中にいるのを利用して遠くへ放り投げた。
ザザザッーーーと砂の上を滑りながら停止した瞬間、目の前にはもう秀秋の刀が迫っている。
ギイィィィンッッ
振り下ろされた強烈な一撃に、黒刀を真横にして受け止めるナツキ。ちょうど互いの刀が十文字に交差する。
「こっちは能力を使っていないとはいえ、さすが二十八宿の一家ってところだな。一挙手一投足が正確無比だ」
「なんです? 手加減のつもりですか?」
鍔迫り合いしながら二人の視線が交わる。真剣をその手に握る二人の眼は、いたって真剣。
「違う。……俺がまだ能力を手に入れる前、能力を欲しいと冀っていた頃……それでも俺とずっと一緒にいて、そばで見守ってくれている人がいたんだ…………。その人は教師で、俺の憧れだ。だから、俺は円の教師として道を踏み外したお前をかつての俺で否定する!」
円が母親の剣に理想を見出したように。ナツキもアニメに、漫画に、ゲームに、自分なりの理想を見出した。中二病とはすなわち理想の追求、なりたい自分を目指すプロセス。
(夕華さんは、俺が社会に出て困らないように、学校で友人ができるように、そういう理由で中二病を窘めることは何度もあった。……だが、一度だって笑うことはなかった。どんなときも俺という個人を代わりのいない、かけがえのない存在だと思って愛してくれた)
だが、秀秋は教師としても人としても間違った。薫の代用として娘の円と出会い、結局は円本人のことさえどうでもいいと思っていた。欲しいのはその剣だけだと。
ナツキの中で二つの教師像がぶつかる。相反するものだ。どれだけ惨めで無力でもそんな自分を一人の人間として尊重し愛してくれた夕華と、どれだけ惨めで無力でも最後に薫の剣さえ再現してくれればいいという感情しか円に抱いていなかった秀秋。
だから秀秋を否定したかった。惨めで無力だった頃の自分で。能力なんてなくて、初恋の人を守るのに一生懸命になっていて強さに憧れていた自分で。一人で剣の素振りをし、エアガンやバタフライナイフを買い込み、黒い外套を着て夜の街を駆け抜けた自分で。
徐々に鍔迫り合いをナツキが押し返していく。これ以上の継続は危険だと判断した秀秋は一度後方へ下がり体勢を立て直した。
ナツキが小さくわずかにふぅと息を吐き呼吸を整えたのも束の間。再び秀秋の雨粒すら避けるほどの鋭い刺突がナツキの心臓に迫った。回避が間に合わない。
「ぐっ……がはっ…………」
肺の空気を全て吐き出しながらナツキは二十八衛府の数十メートルはある庭園の端まで吹き飛ばされ、転がりながら敷地を囲う白漆喰の壁の内側に衝突してようやく止まる。
「円さんを剣士として一皮も二皮も剥いた黄昏暁さんといっても、やはり能力なしではこの程度ですか。聖皇陛下が評価されていたのも所詮は能力ありきだった、と。ふむ、円さんの育成にあたって今回の経験はしっかりと活かしましょう。まあ今回の騒動で円さんが薫さんの剣に至ってくれたなら、その必要すらもなくなるんですけどね」
秀秋は終始ナツキのリズムやタイミングを狂わせる攻撃を続けたため、最後にはこのように勝つことができた。
彼の超視力と超聴力は相手の心音や筋肉の収縮、まばたきや歯のくいしばりまで正確に網羅し把握する。人間が生物である限り、そうした肉体の制約には従わざるを得ない。
古くはこうした技術は武術の世界において『呼吸を測る』と漠然と表現されていた。その実態は生理学的な見地に基づいた、人体の運動の限界と選択肢の制限なのだ。
あとは、脳が反応できても肉体が決して動くことのできないタイミングで攻撃をする。ナツキほどの実力があっても秀秋に圧倒されてしまったのはある意味で仕方のないことだった。
「ふう。それじゃあ私は円さんを近くで観察することにしましょうか。鬼宿剛毅と交戦中なのは聴こえていましたし」
そして、能力を解除した秀秋は踵を返す。遠くで倒れているナツキに背を向ける。
「目を、そらしたな」
「は?」
秀秋は背中に刃物を突き立てられる感覚に襲われた。あり得ない。真剣で胸を打ちあれだけ遠くで倒れているナツキが、この距離を埋めて刀で斬りかかるなんでできるわけが……。
よもや先ほどの言葉を違えて何かの能力を使用したのか? だったらいよいよ自分の身も危ういかもしれない、と秀秋は警戒を引き上げる。
しかしそれよりも先に、背中からドロドロと濁った赤褐色の液体がとめどめなく溢れ意識が朦朧としていく。雨が血を洗い流し、砂の庭には真紅の川が流れた。
秀秋の背中に刺さっているのは刀ではない。
「……お前、たしか星詠機関のこと嫌ってたよな……? これは俺が星詠機関に入るための戦いで使ったもんだ」
荒い息遣いでうつ伏せに倒れるナツキは、ナイフが秀樹に命中したのを確認すると、夢を現に変える能力で自身の傷を治癒しひょうひょうと立ち上がる。
「聖皇がくれた和服の懐にバタフライナイフを入れおいてなかったらさっきの刺突で死んでたな」
冷や汗すらも雨が奪い去る。秀秋の背中に突き立ったバタフライナイフはたしかに柄の部分が変形しほとんど砕けてしまっていた。
「それは俺が無力だった頃から愛用していた武器だ。お前を倒すのは夢のような異能力ではなくリアルの武器じゃないとな」
そう呟くとナツキの黒刀は虚空に消えた。そもそもあの黒刀はナツキの夢を現に変える能力によって空想を具現化したものにすぎない。能力を解除すれば消すこともできる。
「さて、円を探すか」
きっと、同じ雨の下にいるだろうから。
しばらく投稿止まってて申し訳ないです。内容をお忘れの方はお手数ですが何話か遡っていただけると幸いです。筆者自身もかなり忘れてました。
今後の予定は活動報告にも書いておきましたが、基本的に毎日投稿を再開します。とはいえまた更新が止まることも考えられますので、ブックマークをしておいていただけると嬉しいです。
今後もよろしくお願いいたします。