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第158話 曇のち雨

今朝と昼過ぎにも投稿しております。未読の方はそちらからよろしくお願いいたします。

「そのあとは昨日渡した資料に書いてあった通りです。その男は一般人まで巻き込んでタワーに立てこもったというのに、たった一人の幼い天才剣士の少女に──高宮薫さんに壊滅させられた。それはそれは美しい剣でした。大勢の能力者たちによって全方向から火が、水が、槍が、矢が降り注ぐというのに、ただの一つも当たることはありませんでした」



 秀秋は恍惚とした表情で白砂の川や波紋を見つめている。そして胡坐を解き岩の上で足をぷらんぷらんと垂らしている。ナツキの倍ほどの年齢だというのに、目の輝きはどこか少年のようだ。

 二十年前の話をしながら秀秋自身が二十年前の心に染め上げられている。ナツキは廊下に立って離れたところからそれを眺め、秀秋がひどく歪に見えていた。



「まるで京都タワーでの高宮薫を直接見たかのような物言いだな。薫が単騎で乗り込んだ以上、授刀衛側の人間は彼女の活躍を目にすることはないはずだが?」



 ナツキの問いかけに対して顔を向けた秀秋はにっこりと笑った。いたって真面目な好青年の面持ち。

 だからこそ怖かった。秀秋の返答があまりに支離滅裂で。



「そう、あのときの薫さんはちょうど今のあなたに年も背丈も近かったですね。懐かしいなあ」


「だから、どうしてお前はそのときのことを」


「知ってますか? 優れた剣士って剣を使わなくても強いんです。サッカーやバスケットボールで言うところのアンクルブレイクってやつですね。体捌きや足捌きで動きを相手に誤認させ、重心移動を狂わせる。頭は左に行けと命令しているのに体はもう右に動いてしまっている。頭では前に詰めた方が有効だとわかっているのに、攻撃されると勘違いしてつい体は後ろに引いてしまっている。これを繰り返すと触ることなく敵に尻もちをつかせることもできるんですよ」


「……」


「私、それはもうびっくりしちゃって。ああ、自分ってなんて薄情者なんだ、ってね。親不孝者です。だったね、目の前で事件の首魁だった父が薫さんに斬られているのに、私、その剣筋に魅了されちゃって。そうそう、この眼鏡ですよ。レンズに父の血がべったりついたんです。でも父のことなんてどうでもよかった。というか、京都タワーの一般観光客も、聖皇も、この国も、幼い私には全部全部どうでもよかったんです。ただあの美しい剣を私だけのものにしたかった。そう、これは初恋です。愛です。愛、わかりますか? 愛! 愛! 愛ッッ!!」



 秀秋は眼鏡を外し、大きく両腕を広げる。手からこぼれた眼鏡が白砂の川に落ちた。同心円状の砂の模様が偶然にも本当に眼鏡が波紋を作ったかのような様相だ。



「じゃあお前は、京都タワー占領事件の犯人の息子……」


「みんなみーんな捕まりました。でも主犯の息子だった幼い私は巻き込まれただけ、そう見做されて無罪放免。それからというもの薫さんの剣をひたすら追いかけました。身体の一挙手一投足、言葉の一言一句、あまることなく記憶に保存し、紙に書き写し、この愛を形にするのに躍起になりました。能力も剣の腕もその副産物でしかない。私にとって一番大事なのは、薫さんへの剣の愛ッ! それなのに……」


「高宮薫は亡くなった、か」


「二回目です。自分で自分に驚いたのは。一度目は父がやられても何も思わなかったとき。二回目は、薫さんが死んでも何も思わなかったとき。私が愛したのは彼女ではない。彼女の剣だ。ああああ、今でも思い出すと全身がよじれるほど興奮してきます! あの美しい剣術を振るうのが薫さんかどうかんて私には関係ない。薫さんが私の知らないところで知らない男と交わり子を成していてもまったく興味がない! 薫さんが私の知らないところで知らない敵に殺されてもまったく興味がない! あの剣です! あの剣さえ残ればいいんです!!」


「……お前は教師だ。俺は秀秋が本気で円のことを心配して俺に任せてくれたのかと思っていた。違うのか?」


「なに言ってるんですか? 円さんが薫さんの剣術を会得する上で効率が良いと思ったからに過ぎないですよ。寺子屋の模擬戦のシステムもそうです。全部円さんがあの剣に届くため。だから座学も当然円さんメインで組んでいましたし、おそらく世界で一番強いあなたに円さんを託したんです。結果的にうまくいきましたね。拙いながらに円さんの剣は薫さんに近づいています!」


「じゃあ、たとえば高宮薫の剣を完璧に再現できるヤツがいたとしたら円のことなんてどうでもいいとでも言うのか……ッ!?」


「ええ。どうぞどこかで野垂れ死んでもらって。ああ、そんな怖い顔をしないでください。現状薫さんの剣に一番近いのは円さんですから、私も精一杯彼女が薫さんに届くお手伝いをさせてもらってますよ」



「……お前、それ本気で言ってるのか…………?」



「ええ、本気の愛です。黄昏暁さん、あなたも昨日言っていたでしょう? 円さんに必要なのは実戦経験だって。それも二等級クラスとの、強烈な経験。だから私、頑張ったんですよ。まず虚宿(とみてぼし)の地位を利用して鬼宿(たまほめぼし)の当主に嘘の密告をしました。高宮円は罪を犯している、と。そしてあの五重塔に幽閉させる。その上で適当なシナリオを吹き込んで脱獄させる。そうすると必然的に嫌でも二等級の能力者と戦うことになる!!」



 ガキィィン!!


 と金属のぶつかる音が響いた。

 ナツキの黒い刀が秀秋を襲ったのだ。秀秋は普段から佩いていた細い日本刀を抜いてこれを軽々と受け止めている。腐っても二十八宿の一つ、虚宿家において後継として養子に迎えられただけのことはある。普段のなよなよした様子からは想像もつかないほど素早い抜刀でもって応戦してみせた。


 めりっ、と秀秋の座る岩全体が枯山水の砂の庭に沈む。成人男性ほどの高さのある巨大岩を沈み込ませたナツキの膂力に秀秋も目を見張る。交差する二人の剣。秀秋はナツキの赤く光る右眼を見つめながら心の底から純粋そうに尋ねた。



「何をそんなに怒っているんです?」


「……それが……それが教師のやることかァァァ!!!!」



 今朝、円は来なかった。剛毅は友人の娘を捕らえたと言っていた。秀秋の言葉を裏付ける事象がいくつも並んでいる。

 この虚宿秀秋という男は自身の欲求のために円を陥れた正真正銘の外道。円のことなんて本当は何とも思っていないイカれ野郎。その狂気の実態が顕わになった。そして、ナツキの逆鱗に触れた。ナツキにとって円はもう『大切な人』になっていたから。


 ポツリ、と白砂に黒いシミが一つできた。それが二つ、三つ、と増えていく。砂が湿っていっているのだ。

 それは天の嘆き。雨。空はさらに曇りものの数秒で加速度的に膨れ上がる。ナツキと秀秋の二人を殴るような暴力的な水滴が降り注ぐのだった。



〇△〇△〇



「ま、今のは縮地って技術だ。手品だな」



 奇しくも、剛毅が使った加速の技術はナツキが以前英雄に見せたものと同じ。前傾姿勢から急激な体重移動をし、相手の脳の認識のズレを利用した歩法だ。

 それでも仕組みを知らない円からしたら脅威。その上あの破壊力だ。かすっただけでも戦闘の継続は困難かもしれない。



「それでも私は……!」



 母の名誉と誇りのためにも、自分の気持ちの整理のためにも、冤罪から逃れるためにも、戦わないといけない。まず一歩。距離にすればわずかな踏み込みだが、彼女の中でははるか格上の相手と戦う勇気の一歩だ。


 鋭い突きが剛毅の心臓を狙い放たれた。



「おう、そうだ、この速度だ。本当にあんときのアイツを見ている気分になる」



 刀の側面を叩くことで突きを軽くいなす。しかし円の身体には連続攻撃の型が染みついている。弾かれた勢いを利用し、身体をバネのように捩じって横薙ぎの回転斬り。剛毅は身軽にもその場でジャンプして円の平面的な攻撃を回避する。


 さらに身体を回した勢いをそのままに、着地する瞬間を狙って剛毅に斬りかかる。勢いが助走となり刀の速度は音すらも超えていた。円の日本刀を追いかけるようにビュゥゥンと空気のしなる音が鳴る。

 剛毅は超人じみた反射神経により空中で体勢を変え咄嗟に円の攻勢を受けた。宙にいるので踏ん張ることができず、白漆喰の二十八衛府の外壁に衝突した。



「そんな、鬼宿様が……」


「よし、少しでも助太刀できるように俺の能力を……」



 風使い、火使い、液使い、雷使い、土使いの五人が遠くから円を不意打ちしようと能力の発動を試みた瞬間。



「邪魔ァするなァァァァァ!!!!」



 剛毅の猛獣のような叫びが空気を震わせた。その獰猛は視線は文字通りに猛獣のそれと言って差し支えないだろう。

 たかが声。されど声。五人組は完全に委縮しきり、甲冑を着こんだ大の男がその場で情けなくへたりこむ。



「今のは能力か?」


「抜かせ、まだ使うまでもねえよ」



 円の問に笑いながら応じた剛毅は白漆喰の壁から身を起こす。壁は完全に砕け、穴が開いている。それだけ先ほどの円の一振りが強烈だったということだ。速度はそのまま威力に直結する。



「こりゃ修理費バカになんねえぞ。ま、算盤仕事は俺の管轄外だしいいんだけどな。俺の仕事は……こっちだ!」



 円の袈裟斬りを片腕で受け止めながら剛毅は吠える。そして腕力だけで円を跳ね返した。

 今までだったら腕力の差を感じた円は頭に血が上っていただろう。だが、既に彼女の中で戦い方は確立されている。母の剣術が形になっている。

 たかだか刀という金属の板で強靭な能力者たちを倒すには、馬鹿のひとつ覚えみたいにパワー比べをしても仕方ない。肝要なのはむしろ手数と対応力。当意即妙な攻撃を嵐のように繰り返し、能力すらも封殺する。反撃を受けても足捌きによって柳のように受け流す。


 跳ね返された円は宙を舞い、近くの木の幹をタンと蹴って再びの急加速、急接近を試みる。

 平面的な攻撃がダメなら立体的に。空間的に。あらゆる攻撃の手段を講じる。

 

 上から降ってきた円の刀に対して、剛毅はただ笑ってみせた。



「空中じゃあ避けらんねえぞ!」



 そう、たしかに上からの攻撃は重力の分だけ速度も威力も上がっているが、得意の足捌きは使えない。なにせ地面から足が離れているのだから。

 剛毅が外側から抉るような軌道で野太刀を振るい円の脇腹を狙った。


 黒髪のポニーテールを揺らしながら円は力強く剛毅を見据える。言葉にするまでもない。その瞳には「そんなことわかっている」という意思が籠っている。

 視界の端から迫り来る太く大きな野太刀に対して咄嗟に側面に刀を添え、力を受け流す。落下の速度と剛毅の剣速の相対速度を利用して、剛毅の野太刀をなぞるように回転しながら接近する。


 カーペットを引っ張ると、人や物は転ぶ。テーブルクロス引きでもいい。あの『転倒』の正体は力のモーメント、すなわち回転エネルギーの発生だ。

 円はそれを利用し空中で独楽のように回転しながら剛毅に迫った。


 今度こそ、届く。

 円の刀が剛毅の腕を裂く。

 これは確信だ。当たり前の物理的摂理。



「凄まじいな。どんなに強い敵にも臆せず立ち向かい、軽やかに戦う姿はまるで蝶。つくづくお前はアイツに……薫にそっくりだ」



 円の刀が剛毅に触れた。間違いなく、皮膚を斬った。

 次の瞬間。

 すり抜けた。円の刃は、まるで幽霊やホログラムに触れたときのように通り抜けてしまったのだ。



「天晴だぜ。その年齢で大したもんだ。俺が能力を使ったのはいつ以来だかな。誇れ、高宮円。お前はこの瞬間、高宮薫に追いついた!」



 呆ける円の鳩尾に剛毅の野太刀が振り抜かれる。もちろん峰打ち、(はらわた)がこぼれるようなものではない。だが地面にクレーターを作るほどの膂力。円の肋骨は砕け、十メートルほど吹き飛ばされた。



「カハッ……」



 腹の空気が全て吐き出され、地面をごろごろと転がって止まる。

 意識はある。辛うじてだが刀の柄も握れている。

 だが立てない。勝てない。あんな能力に日本刀(こんなもの)で勝てるわけがない。


 石畳の上で仰向けに倒れている円の顔にポツ、ポツ、ポツと水滴が当たる。それは徐々に勢いを増していき、たちまち大雨となった。円は虚ろな瞳で曇天を……否、雨天を見上げることしかできない。

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