第151話 実戦経験を積ませよう
「さて。それで黄昏暁さん。私なんかにどのようなご用が?」
午前の模擬戦と昼の座学を終えた。ナツキ、もとい黄昏暁は円に「今日は調子が良かったから身体をよく休ませろ」と伝えてある。
電気が点いていないジメジメとした職員室。窓からは帰宅している寺子屋の面々が見える。たった一つしかない席に座る秀秋をナツキは見下ろす。
「なに、大したことではない。円のこと……いや、円の母親について知りたい」
「高宮薫さんですか……。良いでしょう。どうです? ついでに昼食をご一緒するのは」
「ああ。構わない」
秀秋に先導される形で職員室を出る。寺子屋から旅館とは反対の方向に二十分ほど歩くと、巨大な武家屋敷に辿り着いた。入口の門には『虚宿』の表札がある。ここが秀秋の住まいであった。
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八畳の和室のど真ん中には横長な木テーブルが置いてある。狐面を外し胡坐をかいているナツキから見て後ろは壁、左右には閉められた襖。そしてテーブルを挟んで向かい側にはにこにこと笑いながら正座している秀秋。
そして秀秋の後ろには床の間がある。向かって左側には掛け軸と生け花が、右側には違い棚があり小さな壺のような焼き物が二、三飾ってあった。
「ここは客間の中でも特別なんですよ。あまり外に聞かれたくない会話や重要な人物との密談にはもってこいの場所です」
二人の目の前には豪勢な懐石料理がところせましと並んでいる。そして秀秋の手元には分厚い資料が。料理を避けるようにそれを手渡した。
「まあ食べながら聞いてください。それは私が個人的に集めていた、高宮薫に関する情報です。といっても、公の報告書の写しがほとんどですけどね。授刀衛の資料アーカイブを漁れば同じのが出てくるはずです」
ページをめくりながら中身を確認するとたしかに文章ばかりだ。日付は十年以上前のものがほとんど。
秀秋は蓮根の煮物を口に運びながら続ける。
「三十五ページを開いてください。その報告書に書かれている事件は今からちょうど二十年前です。まだ高宮薫さんは十代半ば、それこそ今の円さんより若いくらいでしたかね。幼い、と言ってもいいかもしれない。彼女の名前を平安京に轟かせた一大事件なんですよ」
言われるがままナツキは三十五ページを開く。秀秋は今度はお吸い物を啜っていた。正直なところナツキは他人から借りた書物を手にした状態で飯を食うのは気が引けている。汁が飛び散れば紙が汚れるからだ。第一、読みながら食べるのは少々行儀が悪い気がした。
「どれどれ。『京都タワー占領事件』か。『二等級の能力者一名と三等級の能力者四名、その他、低位の能力者が十余名。合計で二十名弱の能力者が非能力者の観光客ら一般人を人質に立てこもった。警察を始めとした通常兵力での対処は困難とされ、授刀衛による能力者派遣が聖皇により決定。犯人勢力を刺激しないため、能力の規模や破壊力よりも隠密性や能力に頼らない戦闘力も含め包括的な評価軸に基づき人員の選考は行われた。その中で高宮薫(十五歳)は剣術の腕は平安京一と謳われており、候補の一人となった』おい、ちょっと待て。二十年前の時点で円の母親が十五歳だと?」
「ええ。もし今も生きておられたら三十五歳。円さんは十七歳ですから、引き算すると薫さんは今の円さんと同い年のときに円さんを授かったことになりますね。いやぁお盛んだ」
焼き魚の白身を箸でほぐしながら秀秋は笑いながらそう言った。円から熱烈に惚れられているナツキとしてはどうも他人事には思えず、頬を引きつらせて苦笑いを浮かべる。
「『結果的に高宮薫は単身で全ての敵性能力者を制圧。その際に一切の能力発動の痕跡は残っておらず、またその後の取り調べにおいてもやはり高宮薫が能力を用いた証言は得られなかった。以上から、高宮薫は剣術のみで二十名以上の能力者に勝利したということになる』か。ククッ、なるほど。こりゃすごい」
以前は同じように剣のみで能力者と戦っていたナツキだからこそ薫の強さを痛感する。尤も、彼女と違ってナツキの場合は能力を使わなかったのではなく使えなかったのだが。
(ただ剣士として戦闘能力や身体能力が高ければいいだけじゃない。自画自賛になるが、対能力者では相手の能力を看破し分析し適切に対処できる頭脳が必要だ。そこに俺とほど近い年齢で到達しているのだから、ククッ、なかなかバケモノじみている)
ナツキは分厚い資料のページを閉じ、白米を頬張っている秀秋に返却しようとした。しかし秀秋は米を租借し嚥下すると『もう私には不要なのでよければ差し上げます』とすげなく言った。どうやら本当にもういらないらしい。
「それよりも黄昏暁さん。私の方からも一つ伺いたいことがあるのですが」
「なんだ」
「実際のところ、これから円さんが最も効率よ成長するにはどのような方法が最適なんですかねえ」
「そうだな……。剣の扱いに関してはさすがというか、基礎ほとんど完成していた。元々ただの剣士としては百点だ。だから昨日の指導は円の剣術の本質を伝えるのが目的だった。疑問ではあったんだよ。どうして母親と同じ剣術を使っているのに寺子屋の連中に歯が立たないのか。剣に関してはもう言うことないから、他の剣士に指導させても意味はないはずだ。だから今後は……」
ナツキは分厚い資料を一旦テーブルの下に置き、新鮮な赤身魚と海老のお造りを味わう。脂身がこってりしておらず、むしろさっぱりとしていて、魚介本来の味を殺していない。醤油やワサビが不要なほど旨味が口の中で大暴れしている。
「うん、美味いなこれ。……それで、今後の円に必要なのは経験だろう。俺の場合は、まあちょっとわけあって異能については造詣が深かった。だが円が母親の、薫だったか、その人と同じレベルに立とうと思ったら、能力者を観る眼が必要になるだろうな。『見る』ではなくて『観る』だ。相手を観察し、わずかな異能の行使から能力を予測し、最適な対応を脳内で組み立てる。いくら剣士として百点でもそれができなきゃ対能力者の剣士としては赤点になる」
「やはりそう思いますか。ですから私としても毎日模擬戦の実施を欠かしたことはないのですがね」
「ククッ、あれは良い取り組みだと思うぞ。一組ずつやり合わせて他の連中を観戦させているのも俺が言った『観る眼』を養うためだろう? だがさすがに寺子屋の三十人ぽっちじゃ互いに相手の能力のタネは割れている。今朝の円が発火能力に対応できたのも、相手が発火能力者だとわかっていたからだ。だからあとは実戦あるのみ。それも初見の能力者を相手にしてな」
「ゆくゆくは薫さんのように二等級すら能力を使うまでもなく屠れるくらいになってほしいものですね」
「そうだな」
「私も教師として力を尽くしましょう」
きゅうりや大根、人参といった漬物の野菜を二人してポリポリと齧りながら、黙々と昼食は続く。