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第147話 七日目の蝉

 縁側に腰をかけ茶を啜る。昼下がりの太陽が南の空で燃える炎のように照っており、白んだ光が庭の地面を差して陽炎(かげろう)が駆けるように激しく揺れている。

 

 暑い日に飲む熱い緑茶も乙なものだな。ナツキはそんなつまらないことを考えながら、(まどか)の型の演舞を興味深そうに、そしてつぶさに観察していた。もちろん狐面越しに。


 日本刀の閃きの連続が空気を裂く。円の周りだけ不自然に陽炎が立ち上らないのは剣筋の鋭さのためだ。

 抜刀から一秒の間も空けることなく、鞘で加速された刃で真一文字に横方向に薙ぎ払い、勢いをそのまま全身に伝達させ振り向くように反転しながら真後ろに袈裟斬り。振り下ろされた刀の切っ先を持ち上げるように低い姿勢から刺突を放ち、そこから足捌きと重心移動だけで竜巻のように斬り上げる。


 目を瞑っていても同じ動きができる。円には確信があった。

 母の在りし日は母から教わり、母の死後はこの型演舞こそが弔いの儀式であるかのように毎日繰り返した。それは身体に染みつき、本能や無意識に浸透し、同じ剣士相手にはもちろんのことたとえ能力者が相手であれ母の遺したこの剣術が再現される。考えるよりも先にこの型の動きが実行されるのだ。


 ふぅ、ふぅ、と肩で息をするのに合わせて円の黒いポニーテールも上下に揺れている。

 息を整えると、ギロリとナツキを睨みながら凛とした声で言った。



「指導は受ける。助言も聞こう。だが私は私の……母の剣術を変えるつもりはない。大切な人にもそう言われたからな。憧れを見失うな、と」


「た、大切な人?」


「ああ。お前よりもずっと優しく、思いやりがあり、可愛らしい男の子だ」


「そ、そうか。そんな相手がいるのに男の俺を自宅に上げてもよかったのか? 男はケダモノだぞ」



 そう。ここは円の自宅。今しがた剣を振るっていたのも彼女の家の庭だ。ナツキが現在進行形で飲んでいる茶も、彼女が棚から取り出し、彼女が湯を沸かし、彼女が淹れた、彼女の家の物。

 円はビュンッと刀を一振りしてから納刀した。鞘と鍔がぶつかるときキンと小気味良い鈴のような金属音が鳴る。



「黄昏暁。お前がもしも寺子屋で最も強いなら、いや実際にお前は強いのだろうな。わざわざここで襲わずとも好きなところで私を押し倒すことができたはずだ。それに昨日私が竜輝に辱められていたのを助けるはずもない。だからある程度は信頼している。それに……」


「それに?」



 円は袴の帯のあたりでモジモジと指を絡め始めた。視線が泳ぎ、身体はわずかにうねうねと動いている。顔が赤いのは暑さのせいだけではないだろう。



「ま、まだ私と彼とは……田中ナツキとは、そういう関係ではない……でもできるなら、その……ナツキとは夫婦(めおと)になりたいというか……彼の伴侶として比翼のようにともに手を取り合って同じ人生を歩みたいというか……。……ナツキは私の一目惚れの相手なんだ。嘘偽りない言葉に触れたのは母以来だったから……」


「そ、そそそそうか」



 狐面をつけていて良かった。このときばかりはナツキも心の底から聖皇に感謝した。なにせ、今のナツキは動揺が全て表情に現れているのだから。



(円は俺を田中ナツキではなく黄昏暁だと思っている。だから俺はここでは知らんぷりで通さなければならない)



 円は田中ナツキの能力を治癒だと思っている。桔梗の足の捻挫を治したと桔梗本人から聞いたからだ。

 そして、黄昏暁の戦闘を彼女は二回目撃している。一度目は昨日、竜輝と戦うとき。黒い刀を生み出していた。二度目は午前中の模擬戦。赤い氷を刀にしていた。総合すると、物質生成系の能力だと推測するのはそう難しいことではない。


 つまり、能力からして田中ナツキと黄昏暁は別人なのだ。円にとってこの二人が同一人物だと判断する術はない。



(だとしても、あのとき温泉にいた俺と今この瞬間の俺が同一人物であることに変わりはない。つまりだ。俺が円の想いに向き合わなければならないこともまた変わりはない……)


「よ、よし。そうだな。だったらなおのこと厳しくこの黄昏暁がお前を指導してやる。その田中ナツキという男にカッコ悪いところを見せたくはないだろう?」


「……ああ。ああ! そうだ! 私はナツキと同じように憧れを実現できる者になりたい。だったらこんなところでくじけているわけにはいかない! ビシバシ稽古をつけてくれ!」



 田中ナツキの名前を出した途端、今朝からの尖った態度が嘘のように晴れていく。黄昏暁に対して「よろしく頼む」と頭を下げる始末だ。そんな光景、想像すらしていなかった。



『おいおい、モテモテじゃないか田中ナツキくん』


(な……どっちかというと田中ナツキはお前の方だろう! 俺は黄昏暁だ!)



 視界の端で幼いナツキがプカプカと浮かんでいる。足を組み、頭の後ろで手を組み、まるでハンモックで寝ているかのような姿勢でリラックスするようにニタニタ嫌らしく笑いながらナツキを見てくる。



『それは違う。田中ナツキも黄昏暁も等しく(きみ)だよ。(ぼく)(きみ)だけど、今や(きみ)(ぼく)じゃない。(きみ)だけが、(きみ)こそが(きみ)なのさ』


(今はそんな存在論(オントロジー)を話している場合じゃないッ! 俺には夕華さんという恋人がいるんだぞ! あんな幸せそうな顔で将来を語る円をどうすればいい!?)


『ひゅ~贅沢な悩みだね。両手に花でもいいんじゃない? 英雄色を好む、なんて名言を生み出したのは福沢諭吉だったかな。良い言葉だよね。それにさ、(きみ)は鈍感が過ぎる。(きみ)が直面する恋と愛の問題は円だけじゃない。前も言っただろう? (きみ)は存外、人間的魅力に優れてるってさ』


(それはどういう──)


『さあね。(きみ)自身で考えなよ』



 そう言って幼いナツキの幻影は消え去った。目の前には、気合充分とばかりにもう鞘に手をかけている円。

 さっさと稽古を始めるぞと言わんばかりの気迫にナツキは飲み込まれそうになる。なぜならその先には円の原点であり強い憧れでもある彼女の母だけでなく、違う意味で()()の相手の田中ナツキも存在するからだ。


 嘲笑うような蝉の鳴き声がうるさい。嗚呼、いっそ自分も七日で現状から逃げられたらいいのに! 意味のない現実逃避を頭から振り払い、今は目の前の円という女性の剣と想いの二つに応えるべく茶の残りを飲み干して縁側から立ち上がった。

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