第146話 模擬戦、座学、放課後ベントータイム
今朝も投稿しておりますので、未読の方は前話から読んでいただけると幸いです。
「このように、遠距離からの攻撃への対処の手段は必須です。皆さん自身の能力でも構いませんし、それが難しいならば相性の良い別の能力者とツーマンセルを組むのも良いでしょうね」
秀秋が銀色の指し棒で黒板の図を強調するようにカンカンと叩く。そこにはチョークで描かれた丸が二つ並んでいて、丸と丸の間には矢印が引かれて『nメートル』と書き込まれている。
その横には実寸大の日本刀のスケッチ絵が同じくチョークで描かれていて、その日本刀のすぐ下に数直線のような括弧とともに『約一メートル』と書かれている。
午前中は武道場で模擬戦を一人につき一回。それが終わると全員教室に戻り、秀秋が全体に対して総括の話をする。その後、軽く座学の講義が行われる。能力者としての兵法、心構え、武器の特性、などなど。これが三十分から一時間くらい。
「間合いは剣士にとって戦闘中最も意識すべきものです。明日は銃火器のような近代遠距離武器への対策を中心に話していきます。はい、今日はここまでです。解散!」
以上で終了。秀秋は教室を出た。きっと寺子屋にも職員室のような教員専用の部屋があるのだろう。
時計を見ると短針は一を指している。基本的に寺子屋の授業は昼過ぎまで。給食は存在せず午後はほとんどが自由な放課後だ。普通の中学生だったナツキには少し短く感じる。秀秋曰く、その後どのように活動するかは生徒たちに任せているらしい。
能力に覚醒する前は平安京の外で普通に学生をしていた者がほとんどなので、中には独学で勉学を続けて高卒認定試験を受けようと考えている者もいる。他にも授刀衛の先輩に剣の稽古や能力を使った実戦的な訓練をつけてもらう者もいる。
そして中には、昨日の円と竜輝のように寺子屋の生徒同士が自主的に切磋琢磨する例もある、というわけだ。
ナツキが隣を見ると頬杖をついた円は黒板から視線を逸らすように窓の外の方を向いている。
(秀秋が今の講義、明らかに円の模擬戦をふまえてのものだもんな……)
さきほどの間合いがどうこうという話。大半の能力者は能力をうまく使えば遠距離から攻撃したり、或いは近距離状態から一度離脱したりと自由自在だろう。ナツキが知る限り、どの能力者もそうした応用力を有している。六等級という貧弱な能力である夏馬誠司の黒煙ですら相手を撒いて戦線離脱するのに有効だ。
その点、剣一本で全ての事象を対処せねばならない円は苦しい。能力はまったく戦闘向きではなく、その上本人は強いこだわりから母と同じく剣術のみで能力者を倒せるくらいになろうとしている。
つい最近まで星詠機関に所属しながら刀だけで能力者と戦っていた元無能力者のナツキとしてはその難しさや辛さには思うところがあった。
円は手提げ鞄からアルミ製の小さな弁当を取り出す。どうやら彼女の昼食は弁当らしい。
さて、自分も一度旅館に戻って恭子に昼食を作ってもらおう、そう思って席を立とうとしたときだった。
「ねえねえ、あの子ってなんで能力を使わないのに授刀衛にいるんだろうね。無能力者でも平安京内での仕事はあるんだから、そっちの道にすすめばいいのに」
「能力使わずにあたしたち能力者に勝とうなんて頭悪いんじゃない?」
「能力も知能も全部おっぱいに持ってかれちゃったんだよ」
秀秋に解散を告げられ、飯屋に行くため走って寺子屋を出る者もいれば友人知人で集まって駄弁っている者もいる。円に限らず弁当を用意している者も少なくない。
そんなザワザワと騒々しい教室。その中で女子の三人組がヒソヒソと陰口を叩いていた。視線がチラチラと円の方に向いている。隣の席にいるが故にナツキは敏感にそれを感じ取っていた。発言の内容からしてナツキではなく円を指していることは明白だ。
円は弁当箱の蓋を開き箸でおかずを取ろうとしているところだった。箸を持つ右手は止まり、左手は袴を強く握っている。スカートのように細かい袴のプリーツがぐしゃりと歪んだ。
「でもお母さんは有名人らしいよ? なんだっけ、高宮薫さんっていう人で、すっごく強かったんだってさ。二十年前、京都でテロを起こした二等級の能力者相手に能力を使わずに剣技だけで鎮圧したんだってさ。それもたった一人で! ま、もう亡くなってるらしいけどね」
「ふーん。それじゃあ娘の方は出涸らしってわけか。かわいそ、きっと天国でお母さん泣いてるよね」
「たしかに!」
母の話題。それが円の逆鱗に触れてしまった。
円は机の横に立てかけていた日本刀を掴み、その机の上に身軽にもひょいと飛び乗った。
そして教室の窓際最後列から前方の列にいる三人組へと助走をつけて鬼の形相で肉薄する。
ひとっ跳びしながら、空中で凄まじい速度で抜刀しているのをナツキは見逃さなかった。さすがは秀秋に『能力を用いず剣術だけで競わせたら寺子屋で一番』と言わせるだけのことはある。
円の席の机は助走で蹴られた衝撃で後ろに倒れ、弁当の中身が床にぶちまけられる。
女子三人組の中の一人が黄色の両眼を淡く光らせる。ナツキは午前中の模擬戦で全員の戦闘を一回ずつは目を通しているので、彼女が発動する能力も記憶に残っていた。
(たしかあの女子生徒の能力は発火、パイロキネシスだったはずだ。等級が低いから精々小さな火球を手の中に生み出すくらいだったが、円があのまま突進してぶつかったら袴に燃え移るか、そうでなくともどこかを火傷しかねない。だったら……!)
ナツキの一等級能力、夢を現に変える能力を用いれば火傷も怪我も一瞬で失くせてしまう。だが怪我をした瞬間の痛みや恐怖まで失くせるわけではない。だから事前に止めることにした。
狐面の下で左眼が青く光る。まず二等級能力、現を夢に変える能力によって、相手の女子生徒の発火能力を消した。突然能力が使えなくなって困惑する彼女をよそに、今度はナツキも円を追うようにジャンプして跳び、円と女子生徒の間に先回っておく。追いつくどころか追い抜いたのはただの身体能力の差だ。
そして円が着地し真剣のギラリと光る刃で女子生徒を斬り裂く前に手首を掴み上げた。
「邪魔をするな! 黄昏暁! こいつは私の母を愚弄したッ!」
「……ククッ、お前の剣はそんな低俗な相手を斬るためのものではないだろう?」
ハッとした表情になった円は身体から力を抜き、刀を持っていた右手もだらりと垂れる。
三人組は不気味そうに、或いは気持ち悪そうに、また或いはムッとした表情で、三者三様ナツキを見つめている。一人が『ま、また高宮さんに喧嘩売られても面倒だし、もう帰ろ帰ろ』と言うと残りの二人も追随するように教室を出て行った。
昨日は竜輝が『何度も挑まれて面倒だ』と円に言っていた。そして今の女子生徒の発言。どうやら円はクラスメイトたちに片っ端から戦うよう求めているようだ。それも一度や二度ではなく。寺子屋に来てからのおよそ一年と半年間、ずっと。
「……もういいだろう。手を離せ」
ナツキの目、正確には狐面を見ながら円は力なくそう言った、睨むでも怒るでもなく、本当にただただ亡霊のように。
その胸の内には母を侮辱され逆上したことで燃え上がった激情が依然としてくすぶっている。同時に、母の剣術を穢したくないという誇りが心の暴走を堰き止めてもいる。
大きな正の感情と大きな負の感情。それらがビッグバンのように衝突しあい、膨れ上がり、そして円の中で無情なまでに絶対的な虚無が訪れた。プラスマイナスゼロ。怒りが収まったというよりも打ち消されたと表現する方が正しい。
それを一目で見抜いたナツキは円の手首を離さずに言い放つ。
「強くなりたいのだろう?」
反応するように円の腕がピクリと動く。橙色の両眼を淡く光らせながら円は返答する。
「ああ。なりたい」
「ククッ、結構だ。俺はこの寺子屋で一番強い。そんな俺がお前に剣の稽古をつけてやろう」
放課後もすぐに外に行かず教室に残り弁当を食べたり談笑したりしていて、円の暴走を野次馬のように少し離れて眺めていた一部の寺子屋の面々。
だがナツキの発言は聞き捨てならないとばかりにシンとしていた空気が一気に重たくなり、尖った視線が四方八方からナツキに集中する。
ただ一人。ナツキの発言を信じている者がいた。
触れている相手が嘘を言っているかどうかを見抜くことのできる能力者、すなわち高宮円。言われた張本人である。