第144話 折れた木刀
今朝も投稿しておりますので、未読の方は前話からお願いいたします。
物体と物体がぶつかったとしよう。強度がまったく同じ場合、同じだけの力が加わり互いに破壊される。
では強度が同じではなかったら?
(どうなっている!?)
ナツキの木刀の刃部分は柄から四分目のあたりでボッキリと折れてしまった。勢いそのままに佐竹の剣閃が目前まで迫ってくる。
歩法のみで身体を九十度急旋回させ、狐面に届くギリギリ、薄皮一枚のところで躱した。ナツキに当たらなかった佐竹の木刀が武道場の床を砕く。
「実戦において武器は役に立つ。だが無尽蔵ってわけじゃない」
竜輝の呟きに、模擬戦から目を離さない秀秋や腕を組んで壁に寄り掛かっている円をはじめクラスメイトの面々も耳を欹てている。
「銃は誰でも手軽に強靭な肉体の持ち主を殺せるが、弾が尽きたら無力だ。じゃあ剣や槍のような近接武器を使うか? それも武器が折れたらおしまいだ。……だったら折れなければいい。武器が壊れなければ体力の限り戦い続けられるし、アイツにとっちゃ刀だけと言わず手近なモンは全部武器になる。そう、あらゆるものを硬化させる能力ならな」
主人公が手にする刀剣は決して折れてはならない。この鉄則は世界各地の神話に見られる。言い換えれば、武器が折れることは敗北だけでなく天運や神々からも見捨てられることを示唆するのだ。
たとえば北欧神話においてシグルドの愛剣で有名な魔剣グラム。これは元々はシグルドの父シグムントの愛剣だった。主神オーディンからグラムを賜ったシグムントはいくつもの戦争に勝ち、国を取り戻し、姫君と結婚した。しかし最終的にグラムが折れたことで自らが天に見放されたことを自覚し、戦死した。
(木刀の破壊力じゃないぞ!?)
ナツキのリアクションは正鵠を射ている。まさに佐竹の握る木刀は木の硬度にあらず。彼の手にかかれば新聞紙を筒状に丸めたものですら鋼鉄の真剣と剣戟を交わすことが可能だ。
折れてしまった木刀はもはや使い物にならない。苦しい体勢からナツキは一度牽制の意味を込めて佐竹に足払いを試みた。佐竹の木刀は床にめり込んでいて、今なら防御は間に合わないはず。そう見込んでの戦略だ。
だが佐竹の緑色の両眼が再び淡く光る。
「効かねえんだよ~!」
足の甲に返ってきたのは岩を蹴ったような感覚。そのとき、佐竹の余裕に満ちた表情も含めてナツキは理解した。相手は木刀だけでなく自分自身の肉体すらも硬質化させたのだと。
鋼鉄のごとき武器に鋼鉄のごとき身体。畢竟、たとえ真剣を持ち出したとしても今の佐竹に刃を通すことは叶わない。
佐竹は床から引き抜いた木刀の柄を順手ではなく逆手で掴む。ちょうど杖をつくときのような持ち方だ。
足払いをするため床すれすれまで姿勢を落としていたナツキに突き刺すようにその木刀の先を落とした。斬るというより叩きつける。鈍器としての側面も持つ日本刀としては実はベーシックな戦法だ。
床を転がる。避けるにはそれしかなかった。顔の横に木刀が突き刺さり、さすがのナツキも肝が冷えた。身体を回転させた勢いで佐竹から距離を取り立ち上がる。
再度木刀を床から引き抜いた佐竹は木刀を肩に担ぎニタニタと嫌らしい視線を送ってくる。
「昨日は竜輝さんの調子が悪かっただけだ。俺っちがかたき討ちしてやんよ!」
勝利を確信した様子の佐竹。それは観戦している竜輝も同じだ。満足げに頷いている。そして他の面々も『新入りはこんなものか』と失望したような目で見ている。その事実がより一層竜輝たち一味を得意にさせた。
ナツキの手に握られた木刀は見るも無残な姿になっており、折れた断面はギザギザとささくれ立っている。皮膚に刺されば痛そうだが佐竹の硬化した皮膚にはまったく通用しないだろう。
狐面越しに己が木刀をしばらく見つめる。ほんの数秒。柄だけになった木刀を力強く握り直し、ナツキは腰を低く落として急加速した。
まさか折れた武器をそのままに近接戦闘に持ち込んでくるとは思っていなかった佐竹はわずかにいたじろぐが、すぐに首を振る。殴る蹴るのような物理的接触ならば硬質化した自分には無意味!
ナツキは刃のない木刀を振り上げ、袈裟斬りをした。
「そんな折れた木刀で一体何ができるっていうん……なっ!?」
「──玉屑の風花」
それは雪を意味する言葉。同時に、ナツキが赤い氷をイメージし、夢を現へと変える想像の補助をするトリガー。
フリーハンドよりも定規を使った方が真っすぐで綺麗な線を引けるように、言葉を用いることで自身のイメージをより正確に現実へと表出する。
ナツキの折れた木刀の断面から真っ赤な刃が生える。
違う。そうではない。赤い氷が木刀の欠損部分を補うように現出し刃の代わりとなっているのだ。
(だ、だからなんだ! 昨日の黒い刀といい今回の氷といい、コイツの能力は物質生成系だ! 俺っちの硬化した身体を貫くことなんてできっこないぜ!)
腹部へと迫る赤き氷刃の木刀を前にしても、佐竹は硬化の能力への自信があった。氷だろうが鋼鉄だろうが関係ない。どんな素材が襲い掛かろうとも、武器も身体も傷一つつかないに決まっている。
氷刃が佐竹の脇腹に当たる。だがそれだけ。刃は受け止められ、脇腹に添えられたまま止まってしまった。
やはり傷どころか痛みすらない。佐竹からしてみればナツキの狐面は表情がわからず不気味だが、所詮はここまで。仮に氷の木刀ではなく真剣を持っていたとしても、いいやアサルトライフルを持っていたとしても、勝利は揺るがない。
「大したことねえな! 黄昏あかつブハァァッッ!!??」
瞬間、言い終えることができないまま佐竹の身体は武道場の壁に向かって吹き飛んだ。他の寺子屋の面々は咄嗟に避けたが、座っていた竜輝は間に合わない。二人とも丸ごと壁に衝突した。
竜輝がクッションになってくれた分だけ佐竹の方がマシかもしれない。しかし壁から剥がれて床に倒れたとき、二人そろって白目をむいていた。いずれにしろ意識は刈り取られていたということだ。
「寸勁。あるいは発勁とも呼ばれる。ククッ、中国武術だけでなく空手にも存在する技術だ。古今東西、武術はいかにして鎧や甲冑の上から敵にダメージを当てるか試行錯誤してきた。理屈は簡単だ。拳であれ、掌であれ、そして刀であれ、相手に触れて止まった状態から衝撃波の振動だけを身体の内側へと叩き込む。どれだけ大層な硬さを誇っていようと身体の中の芯が破壊され揺さぶられたら容易く吹き飛ばすことができるというわけだ」
狐面から赤く淡い光がかすかに漏れ出ているのを秀秋だけは気が付いていた。
完全に遊んでいる。
秀秋は二十八宿の当主ではない。つまり正規メンバーではないのだが、後継という立場から聖皇を目にしたことは一度や二度ではない。一等級の能力者の恐ろしさは身をもって知っている。
だからわかってしまうのだ。その聖皇と同じステージに立つナツキにしてみれば、木刀を氷で補って修復するなどと回りくどいことをせずとも佐竹を倒すくらいいとも簡単だということを。
「勝者、黄昏暁!」
模擬戦の一試合目はナツキが勝った。秀秋は教師として審判として、武道場に響き渡る大きな声でこれを宣言するのだった。