第143話 模擬戦をしてみよう
朝陽が窓から差し込み、蝉の鳴き声が木造の校舎に反響し吸い込まれる。廊下にポツンと立ちすくんでいるのはナツキだ。英雄はいない。二十八宿の業務や会合があるからとナツキよりも早く旅館を発ったのだ。
地元では二人ともただの中学生だというのに、平安京にいるときは片や二十八宿正規メンバーの一人、片や聖皇直々の来賓。互いに随分と忙しい身の上になってしまっている。
「さて。皆さん、今日は寺子屋に新しい仲間が加わります。何人かの人は昨日会ったようですが……」
扉の隙間から漏れ聞こえた虚宿秀秋の言葉を合図にナツキは教室へと足を踏み入れた。
ガラガラと扉を開いた瞬間に教室中の視線が集中する。
高校生くらいの男女がざっと三十名。
男子はまるで祭りのときに着てくる浴衣のようにゆったりとした緩い和服姿の者が半分。黒や紺の剣道の胴着のような者を着ているのが半分。
対して女子はほとんどが袴でさながら大学の卒業式の様相を呈している。そして共通しているのは皆が皆、様々な色をした眼を持ち、机の横には日本刀を立てかけている点だろう。
ナツキは昨日と同じで黒い和服に白地赤柄の狐面という出で立ちだ。その不気味さを気味悪がる者、興味深そうに眺めている者、こてんぱんにやられたことを思い出して苦虫を潰すような顔をする者。或いは、目を逸らす黒髪ポニーテールの少女。様々なリアクションの歓迎を受けたナツキは彼らの前に立ち、ほんの少しだけいつもより声を低くして喋り始めた。
「……俺の名は黄昏暁。わずかな期間だがこの寺子屋でともに学ぶこととなった。よろしく頼む」
シンと静まり返っている。質問もなければ拍手もない。ブーイングがないだけマシか、と思いながらナツキは一か所だけ空いている席へと向かった。
ここまでの手筈は昨日のうちに秀秋と打ち合わせてある。一番後ろの窓際から二番目の席だ。ちなみに一番後ろの窓際、つまりナツキの隣の席は件の少女、高宮円である。
教室内の重苦しい空気を切り替えるように秀秋はぱちんと手を叩いた。
「さあ! みなさん。早速朝から模擬戦ですよ! 気合を入れていきましょう」
寺子屋は能力者育成のための学校だ。ただし、勉学はほとんど行わない。戦術の座学や戦闘で役立つ科学知識解説、日本刀の成分解説など、まったくないわけではないのでホームルーム用の教室が一応はこうして用意されているが、基本的には実戦を通して日本を防衛し戦える人材を作るのが最優先だ。
そのため日のほとんどを昨日のように寺子屋の外か、或いは校舎の大部分を占める巨大な武道場で過ごすことになる。
秀秋の呼びかけに従って寺子屋の生徒たちは机に立てかけていた刀を持ちぞろぞろと武道場へと向かった。特段行先を指示せずとも武道場へと向かうのはそれだけ頻繁に実施されていることの証左。
教室内の人がまばらになったときだった。『おい』と隣の席から声をかけられる。
「黄昏暁、と言ったか。……昨日は助太刀してもらって感謝する。あと、これ。ありがとう」
ナツキは昨日の温泉での出来事を思い出し狐面の下で赤面していた。だが円の方はまさか田中ナツキと黄昏暁が同一人物だとは思っていないので、どこか剣呑で抜き身の刀のように鋭いオーラを漂わせたままナツキに話しかけてきている。
だが、途中からほんの少しだけそれが和らいだ。凛とした声色はそのままに本心から礼を言い、そして手提げ鞄からはナツキの黒い洋服を取り出したのだ。洗濯はもちろんアイロンがけまでしてあるようでシワ一つなくかっちりと丁寧に畳まれている。
てっきり剣一筋で生きているとばかり思っていたので、そのあたりに細やかさや家庭的な様子が見て取れて少しだけ驚く。もちろん表情は狐面に隠れているのだが。
「ああ。問題ない」
できるだけ突き放すようにそれだけ言ってナツキは自身の洋服を受領した。あまり会話をしてしまうと田中ナツキであることがバレて面倒だ。別に能力を知られたわけではないので大きな騒ぎにはならないだろうが。
円の方も慣れ合うつもりはないようで、用事が済むと他の者たちと同じように武道場へと向かった。ナツキもクラスメイトたちを追いかけるようにして教室を出る。
〇△〇△〇
武道場はいたって平凡だった。しいて特徴を上げるとすれば普通の学校の体育館ほどの広さがある点だが、それでも木の床や壁も見たところ普通の素材だ。部屋の中心部にはマットが正方形型に敷かれており、立ち合いは基本的にそこで行うのだろう。
三十人余りの真剣を帯刀した人間が集っているだけあって物々しい空気感が漂っている。その中で一人の男子生徒が手を挙げた。竜輝だ。
「虚宿センセー、新入りの力を見せてもらいましょうよ」
竜輝は不敵な笑みを浮かべながら提案した。昨日の敗戦はまだ記憶に新しい。しかし彼には多少の自信があった。
三等級の中でも特に凶悪な能力を持つ自分が勝てなかったのは、狐面男が珍妙な黒い刀を取り出したから。その点、武道場で行う模擬戦は木刀を使うのでタネも仕掛けもない。
この考えが竜輝の背中を押したのだ。秀秋はどうすべきかと尋ねる視線をナツキに向けた。潜入は任務だが、寺子屋内で目立つのは任務にない。だから無理強いはしないし、秀秋としてもナツキに余計な負担をかけたくはない。むしろ昨日の今日で竜輝をこのように暴走させるのは秀秋の監督責任になる。
それらを丸ごとひっくるめて理解した上で、ナツキはただゆっくりと頷いた。表情は狐面に隠れていて不気味だ。他の生徒たちもナツキがどのような戦いを見せてくれるのかと期待した様子で見ている。
「……わかりました。本人の了承もありますから、今日の模擬戦は黄昏くんから始めましょう。相手はどうしますか?」
「だったら俺っちが」
そう言って一歩前に出たのは昨日の竜輝対円を観戦していた取り巻きの男子の一人だ。こうなることは事前に竜輝から聞かされていたのだろう。
「わかりました。では黄昏暁くんと佐竹康太くんの模擬戦を承認します。両者は開始線についてください」
秀秋の言葉を受け、竜輝の取り巻きの一人──佐竹康太と言うらしい──とナツキ以外の面々は武道場の中心から離れ、壁際へと寄った。
〇△〇△〇
「そっちが選べよ。細工を疑われても嫌だからな」
佐竹は武道場の隅にある筒状の入れ物から二本の木刀を取り出し、その両方の柄をナツキに差し出した。
適当に選んだナツキは重さや長さを確かめるように上から斜め下へと切り払う動作を左右に二、三回繰り返す。
秀秋は二人が開始線についたのを確認してから武道館中に響くほど大きな声で叫んだ。
「模擬戦、開始ッ!」
まず佐竹が加速し急接近する。剣術や剣道に見られるような脇を締めた構えではない。鉄パイプを振り回す不良のように大振りで隙だらけ。
(そのあたりの雑さはさすがは竜輝の取り巻きといったところか。回避するくらいわけないが俺としてはどんな戦い方をするのか興味がある。能力もわからないしな。だからここは、あえて……)
受けて立つ。
粗暴に振り下ろされた佐竹の木刀。ナツキは顔の前で木刀を真横に構えて受け止める姿勢だ。
そのときだった。佐竹の緑色の両眼が淡く光る。緑色の瞳は五等級の能力者であることの証明。
あぐらをかいて座り武道場の壁に寄り掛かっている竜輝がニヤリと笑うのを、秀秋は視界の端で捉えていた。
「……どうして俺があいつを選んだのか。それをお前に教えてやるよ。黄昏暁よォ」
バキイィィィッッッッという音ともに、佐竹の攻勢を受け止めたナツキの木刀は根本から力ずくでへし折られた。
夕方にも投稿をする予定でいます。よろしくお願いします。