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第140話 若女将は……

 濃紺の空を見上げながら腕組みをし、とぼとぼ歩を進める。狐面には小さな穴が開いているので前が見えないわけではないが視野は狭い。余計な情報が邪魔しない分、考え事をするにはいいかもしれないが。


 そんな調子でも道に迷うことはない。旅館に向かう直前、英雄にはスマートフォンに平安京の簡易地図を送ってもらった。寺子屋から旅館までは直線距離こそさほど離れていないものの角はいくつか曲がるのでやや複雑なのだが、地図情報は一目見て脳内にインプットしてある。能力ではない。ただの知能。ハルカが言うところの人類の理論値、天性の頭脳である。


 並行して、ナツキの脳裏では秀秋の別れ際の言葉がリフレインしていた。ちょうど五杯目の茶を飲み終えたときのことだった。



『黄昏暁様、あなたには生徒として寺子屋に潜入してもらうよう陛下からは言いつけられております。もちろん牛宿家の跡継を選ぶという任務は重々承知しております。ですからこのような厚かましいことを頼むのは気が引けるのですが、しかし恥を忍んで言わせてください。……(まどか)さんを助けてやってほしい。非力な私よりも、最強の座に立つあなたにしか届けられない言葉があると思うのです』



 整理するとナツキのミッションは二つ。

 その一、なかなか後継を見つけてこない牛宿家に有望な若手能力者を推薦する。

 その二、能力者として苦悩を抱える円の助けになる。


 その上で思う。前者はナツキである必然性がない。それこそ秀秋のように直接現場を見てきた者に選ばせる方がはるかに推薦人として信頼できるはずだからだ。加えて、秀秋は二十八宿の一つである虚宿(とみてぼし)家の後継。どのような素養が要求されるか、どのような強さを指標とすべきか、他の誰より精通している。


 他方、後者についてはなるほどたしかにナツキのバックボーンが円の役に立つだろう。最近まで無能力者でありながら能力者と渡り合ってきた。そして現在は最強と他人から言われるほどの能力者となった。

 まさに円の現状であり、円の目指すべき場所。それらに合致する。ダメ押しに、ナツキは日本刀にまつわる剣術の造詣も深い。



「ククッ、女狐か。言い得て妙じゃないか」



 聖皇がどちらのミッションを本命としてナツキを呼び寄せたのかはわからない。だが結果的にナツキは今この平安京という街にいて、能力者しかいないこの街を面白がり、円を助けることも吝かではないと思っている。

 別にきな臭いとまで言う気はない。ナツキに不利益や迷惑があるわけではないし、内裏で聖皇が言っていたように刀を併用する能力者に興味があるのは事実。デメリットは存在せず、メリットのみが提示されている。だからこそ誘導されている気がしてならない。


 さすがは長年この国を導き他国と渡り合ってきた女だ。人心の掌握、それすなわち行動の掌握。

 心が納得したならば、行動も伴わざるを得ない。腹立たしい。


 ナツキは自分を睨んできた円の瞳を思い出す。その瞳に憎しみはなかった。怒りすらもなかった。ただ強さに焦がれ、気ばかりが急いている。こもっていたのは焦燥感。その気持ちにはつい最近ナツキ自身覚えがある。

 このように心が円を助けたいと思ってしまったが最後、自分は円を助けるための行動に出るのだろうな、という予感があった。放っておけないと思ってしまったのだ。



「ククッ、和服は通気性に優れているんだな」



 夏のうだるような重苦しい熱風が背中から吹き抜けていった。汗も少しかいている。だが不快感はない。気化熱が体温と一緒に憂懼まで奪っていくようだった。



〇△〇△〇



「ここが英雄の言っていた旅館か」



 灯籠が暗い夜の足元を照らす。鹿威しの音が響く庭の中を石畳の道に沿って抜けると、入口に辿り着いた。

 横開きの扉を開け、広々とした玄関に入る。それに気が付いた着物の女性が奥から出てきて三つ指をする。



「ようこそおいでくださいました、黄昏暁様。女将の橘恭子と申します」



 三十代前半ほどだろうか。ぴんと延びた背筋や座っていても大きく感じられる存在感は女将らしさを感じるが、薄化粧ながらシミ一つ見えない肌や肉付きの良い身体は若々しさに満ち溢れている。ナツキと一緒に街を歩いても姉弟で通るだろう。



「陛下から事情は窺っておりますので、当旅館では面は外していただいて結構ですよ」


「ククッ、ということは実質貸し切りか? 聖皇も俺に対して随分と金払いがいいらしい」


「ええ。部屋はいくつも余っておりますけれど、本日からしばらくは黄昏暁様と結城英雄様の二名様になりますね。それではお部屋にご案内したします」



 秀秋が言っていた。平安京内で授刀衛の男女から産まれた子供は、能力者ではないが能力者の存在を解している。故に平安京における交通インフラや生活インフラの仕事に従事すると。

 恭子は眼の色から考えて無能力者。しかしナツキの事情を把握しているし、そもそも平安京という能力者の街で旅館を営んでいるのだからその存在も大いに理解しているだろう。


 支部を高層ビルで作る星詠機関(アステリズム)が縦の伸びであるのに対して、街を作り人間の営為を能力者と非能力者で協力して形成する様はいわば横の伸び。

 もちろん星詠機関(アステリズム)にも事務や財務などの非戦闘業務で非能力者を雇っているから状況は類似しているのかもしれない。しかしもっと人間らしい生活に根付いているのは授刀衛の平安京なのかもしれないな、とナツキは感じていた。単に日本人として平安京の街並みや風土習俗に愛着や親しみがあるだけかもしれないが。そう内心補足しつつ。


 恭子で先導され廊下を歩く。木板の廊下はくすみ一つなく電気の明かりが照り返しており、掃除が隅々まで行き届いていることを窺わせる。ちょうど松の間と書かれた部屋の前で恭子は立ち止まった。



「結城様からは黄昏様と同室にするように言いつけられております。夜餉の用意はできておりますからいつでもお申し付けください。それでは」



 淀みないお辞儀とたおやかな笑顔とともに恭子は立ち去った。ナツキは部屋をノックする。返事はない。英雄はいないのだろうか。

 戸に手をかけると鍵はかかっていなかった。部屋に入れば英雄が運んでくれたナツキの木箱が畳の上に二つ置いてあったので、やはり英雄と自分の部屋なのだと確認できる。それにしても英雄はどこに行ったのかと訝しみ、狐面をテーブルに置いて再び廊下に出た。


 すると、目の前を小さな影が駆けてきた。あわやナツキとぶつかりそうになるも、急ブレーキをかけてその人影は立ち止まる。ところがその拍子に、人影は転んでしまった。『あわわわ』という声からさほど間をあけずにどしんと尻もちの音が鳴る。



「いたたた……なのです」


「すまない、大丈夫か?」



 小さなおかっぱの女の子だった。中学生のナツキよりもずっと背が低いから小学生だろうか。女の子はナツキに気が付くと尻もちの姿勢から瞬時にその場で正座し頭を下げる。



「お、お客様の前で恥ずかしいところを見せてしまったのです……。ようこそおいでくださいました。わたくち……(わたくし)は当旅館若女将の橘桔梗と申します。お怪我はありませんでしょうか」



 噛んだな。思ってもわざわざ指摘するほど野暮ではない。名前と役職からして女将の恭子の親戚筋だろうか。ナツキたちの足元にはゴロゴロとナスやキュウリ、トマト、ジャガイモが転がっている。仕入れた食材を運ぶところだったのだろう。



「こちらこそ不注意だった。すまない」


「い、いいえいいえ! 大丈夫なのです!」



 小さな女の子を委縮させているようできまりが悪い。とはいえまだ幼いし、その割に若女将の職は重たいのできっといつもこの調子なのだろう。

 廊下に転がった野菜を拾うため桔梗が立ち上がろうとしたときだった。



「痛っ」



 桔梗が手で押さえている足首を見ると紫色に変色していた。捻挫だ。転んだ拍子に捻ったのだろう。桔梗は涙目になりながら、咄嗟にそれをナツキに見られないように隠す。



(怪我を客である俺に知られたら、俺に責任を感じさせてしまうと思ったわけか。ククッ、なかなかどうしていじらしい)



 幼いうちから客を第一に慮る行動が染みついているのは大したものだ。桔梗の年齢ならばこれだけの怪我、その場で泣きじゃくってもおかしくはない。

 ナツキはしゃがんで桔梗に目線を合わせ、頭を撫でながら『大丈夫だ』と言い、足首の上に手を乗せる。


 赤い右眼が淡い光を灯す。



「アスクレピオスの杖」



 青白くうっすら発光している蛇が突如現出し、桔梗の足首にかぷりと噛みつく。すると青紫に変色していた足首はたちまち元の肌色に戻っていった。



「痛みはないか?」


「治ったのです! お兄さんすごい! ありがとうなのです!」



 客に対して『お兄さん』と呼んでしまったことにすぐさま気が付いた桔梗は顔を赤くする。ナツキがもう一度頭を撫でると桔梗は気持ちよさそうに目を細めた。猫のようだ。



「これを運んでいたんだろう? 俺も手伝おう。恭子さんのところでいいか?」


「ありがとうなのです! ママは……女将はこの時間は厨房で明日の朝餉の仕込みの手伝いをしてるのです」


「わかった。案内してくれるか?」


「はい!」



 ダンボール箱に詰め直した野菜を運ぶ。ナツキが二個で桔梗が一個。つまり、ナツキにぶつかったとき桔梗は三個ものダンボール箱を抱えていたことになる。前が見えずぶつかるのも納得だ。分けて運べばいいのだろうが、せっかくの新鮮な夏野菜を急いで母親──女将のもとへ届けたかったのだろうと想像するとかわいらしい。物心ついた頃には両親がいなかったナツキにとっては、少しだけ憧れる感情だ。


 厨房に到着すると、案の定と言うべきか、『お客様に手伝わせるなんて何を考えているの!』と恭子は桔梗を叱りつけた。その注意は女将として正しいが、母としては娘を叱りつけるばかりなのは嫌なはず。だがナツキ──客の前で甘やかす姿を見せるわけにはいかない。

 そう察知したナツキは叱られてまたもや涙目になっている桔梗の頭を撫でながら『一生懸命に頑張っていたぞ』とだけ恭子に伝えてすぐに厨房を立ち去った。あとは母娘(おやこ)の時間だ。

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