第136話 世襲制ではなくて
「はてさて冗談はここまでにしておくかのう」
(……いや、あの目は本気だったぞ…………)
聖皇の赤い眼が落ち着きを取り戻す。蝋燭の火はゆらゆらと揺れ、襖は風でかたかた鳴り、背後にいる女官たちの息遣いも戻った。
たしかにここまで実のある話はしていない。ナツキは一等級の二等級の二つの能力を持つ世界で最も稀有で強力な能力者だ。だがそれだけで聖皇がわざわざ呼び出すか?
「そうだな。まだ用件を聞いていない。俺なんぞ呼びつけて一体何の用だ」
「おぬし、授刀衛についてどれだけ知っておる?」
聖皇は御簾の向こう側に戻りながら問うた。どこかその背中は拗ねているようにも見える。
「大日本皇国の能力者組織。聖皇の配下。平安京に住んでいる。日本国内で能力者が生まれた場合はこれに接触する。こんなところだな」
美咲は能力に覚醒したとき、京都から訪れた授刀衛の人間から資料をもらったとまで言っていた。業務としてはありきたりでマニュアル化されているのだろう。
「そうじゃな。間違っておらん。では二十八宿については?」
「授刀衛から選ばれた特に強い奴ら。英雄と鬼宿しか該当者は知らんな。二十八宿というからには二十八名いるのか?」
「いいや。おぬしは既にもう二人会っておる」
「二人も?」
馬鹿な、とリアクションしつつも頭の中でそれまで出会った人たちをリストアップし確認していく。しかしまずもって日本人の能力者自体がさほど多くなく、そこから星詠機関関係者を除けば該当者はゼロ。
(いいや、ちょっと待てよ。二十八宿という名称。それから鬼宿の名前。……占星術か?)
中二知識を蓄えた脳内図書館にアクセスする。四天王とか五賢帝とか六歌仙とか十二神将とか、数字にまつわる集団の名称は中二病にとっては必須知識。
……あった。『二十八宿』
天文学や占星術において天球を二十八に分割する思想がある。中国から日本に伝来し、特に江戸時代では暦や易などに応用され広く知られることになった。
二十八に分割された天球はさらに四つに大別される。すなわち東方青龍、西方白虎、南方朱雀、北方玄武。現に英雄が鬼宿を紹介するとき『南方朱雀の』と言っていた。何より、英雄自身が以前『北方玄武の』と名乗っていた。
他に該当する『~宿』の名前があるはずだ。
思い当たったのは、筆記試験の会場で初めて会ったとき意地の悪い態度を取ってきたスーツに眼鏡の男性。
「……牛宿か」
「正解じゃ。まあ読みは牛宿と書いて牛宿じゃがの。あとは斗宿から偽名に変えた北斗ナナがおる」
「ナナさんも?」
「ああ。二十八の家柄から成るのが二十八宿。要は二人とも坊ちゃん嬢ちゃんというわけじゃな」
尤も、二人ともそうした扱いを嫌って京都を離れたのだが。ナツキがナナと出会ったのはつい最近で、夕華から聞ける話も夕華とナナが出会った高校以降。となると必然的にナナの生い立ちを知る機会はない。ナナ本人も別に進んで他人に聞かせるような愉快な話題でもないので特にナツキに話すこともなかったのだ。
「ちょっと待て。家柄、つまり斗星家や鬼宿家、といった具合で存在するのか?」
「ああ。そう言っておろう」
「あり得ない。能力者は後天的になるものだ。そんな都合よく、能力者の家柄だから優れた能力者が生まれてくるなんてことはない」
無能力者から能力者になるまでの苦悩を誰より味わってきたナツキからしたらそんなご都合主義がまかり通ることは考えられない。まして聖皇の直属ということはその歴史は千年を軽く超えてくる。その間、途切れずに能力者の子孫を輩出し続けるなど現実的に不可能。
それこそ、グリーナーの研究のように人為的な能力者化という話の方が現実的だ。
「そりゃあそうよ。だから基本的には養子じゃ。二十八宿の当主となった者は死ぬまでに跡継とする優れた年若い能力者を選抜する。ほとんどは授刀衛から選ぶが、結城英雄のようにまったくの外部から引っ張って来る例もあるのう」
だから英雄はお金の目途がついたと以前話していたのか。要は立派な家柄の養子縁組に入ったことで莫大な資産の相続権を得たことになる。
西日本と東日本、授刀衛の二十八宿と星詠機関日本支部の支部長。二重生活はハードかもしれないが、なるほどたしかに英雄の立場や経済状況を鑑みれば今まで通りの生活とはいくまい。
「仕組みは理解した。世襲制ではなく実力主義というわけだな。で、それが俺に何の関係がある?」
「牛宿家と斗星家は先の二人の出奔によって跡継がいない状況にある。戦死や病死で席が空くことは昔から頻繁にあって、いつも十年ほどは新しい跡継を探す猶予を与えてきたんじゃ。実際に斗星家は結城英雄という逸材を引き抜いてきたしのう」
(たしかに英雄が授刀衛とやらに入ったと聞かされたのは突然のことだったな)
音無透ことアクロマ・ネバードーンとの戦闘はナツキにとっても記憶に新しい。そのとき窮地を救ってくれたのが英雄だ。そしてナツキは記憶を失っているが、グリーナーによって能力者にされた直後、闇雲に能力を振り回していた英雄と比べて小刀を使ったり能力を応用した技術を用いたり、戦闘の質も上がっていた。
戦いを知る何者かが英雄の指導者になっているのだろうな、という想像はナツキ自身抱いていた。そして二十八宿という由緒ある能力者の集団ともなればその道のプロなど大勢いるはず。英雄の戦い方が劇的に変化したことにも得心がいく。
「じゃが牛宿家、あそこはだめじゃ。十年以上も跡継探しに難航しておる。あの阿呆当主め、慎重も行き過ぎれば優柔不断。いくら妾とはいえもう待てん。そこで授刀衛の年若い者の中から優秀者を一名選ぶことにした。おぬしにはその選抜の手伝いをしてほしいんじゃ」
「手伝いだと? 俺に何のメリットがある」
「そうかそうか。異能と刀剣の競演を体験してみたくはないのか。黄昏暁もまだまだじゃのう」
「なっ……」
カチンときた。中二病にとって異能力とソードアクションは憧れだ。ナツキが木刀の素振りを続けていたのも、星詠機関から支給される武器に持ち運び可能な日本刀を選んだのも、全ては刀への愛。刀剣が嫌いな中二なんていない。
「授刀衛はその名の通り帯刀する能力者集団じゃ。であれば、最も優れた人物を見抜き、そして選抜する上でおぬしほど最適な人材もおるまい?」
「ククッ、俺のことをわかっているじゃないか。いいだろう。その提案、乗ってやる」
「よう言った。おい、黄昏暁に例の物を」
すると二人の女官はそれぞれ木箱を持ってきた。一人は小さい木箱を。もう一人は大きい木箱を。
女官が膝をつき献上するようにナツキに差し出してきたので大小の順で受領した。綺麗な白色に、樹木の歴史を創造させる木目、さらにはどこか温もりのある質感。おそらく材木は桐だろう。箱だけでもかなりの一品であることが窺える。
小さい方の木箱を開けると中には狐の面が入っていた。白い顔に黒墨と朱墨を用いて目や紋様が描かれている。
「おぬしのような特異な能力者にその両眼を晒しながら平安京を歩かれては騒ぎになる。同じ京都でも外と違って平安京は全員が能力者について知識を持っておるからのう。窮屈かもしれんが、そういうの好きじゃろう?」
「ククッ、ああ。日本刀と狐面はセットみたいなものだからな。本当にお前はよく理解っている」
「もう一つの箱には和服が入っておる。妾と同じ黒の和服じゃ。おぞろじゃぞ? 嬉しいか? 嬉しいじゃろう。そうじゃろうそうじゃろう」
御簾の向こうできっとあの整った顔を破顔させているのだろう。だがナツキはそんなことよりも、今すぐにでも着替えたかった。
(中二病には二種類ある。洋風と和風だ。俺みたいな邪眼系は洋風が多いが、ククッ、やはり和風もいいな)
日本刀、和服、狐面。これが和風中二病の基本三点セットだ。そして好きな言葉は朧月夜とか叢雲とか鬼灯とか花鳥風月とか。
赤と青のオッドアイを隠しながら、同時にナツキは最高にカッコいいと自分で思える格好ができる。その上、この後は刀を使う能力者たちに会いに行ける。
聖皇の提案に乗ってよかった。存外悪い気がしないナツキは、聖皇を無視して意気揚々と狐面をつける。