表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
135/377

第135話 聖なる女皇

 建礼門を通ったナツキの目の前に広がったのは桜の木々だった。季節は夏だというのに狂い咲いた桜がピンク色の花弁を揺らしている。

 入口の真正面にあるの紫宸殿(ししんでん)という内裏最大の正殿。建礼門から紫宸殿までの数メートルを彩るように道の左右には桜の大木が並んでいる。


 桜並木が日影を作っているのでとても涼しい。吹き抜ける風は春の余韻を残していた。

 紫宸殿の扉の前には二人の女性が立ってナツキを見ている。彼女たちが着ている十二単の女房装束は浅葱色、萌葱色、薄色と色とりどりで、黒いロングヘア―は後ろに垂らし眉は丸っこく短い。


 まるで平安時代にタイムスリップしたようだ。日本史の知識や古典文学の知識も人並外れてもっているナツキはそれらの自分の知識と現実を比べながら現代にまでそんな風景が残っていることに感動すら覚えていた。

 二人の女官は十二単が乱れぬようにゆっくりとお辞儀をし、またゆっくりと頭を上げて言う。



「お待ちしておりました。黄昏暁様。陛下が中でお待ちです」



 ナツキは靴を脱いで紫宸殿に足を踏み入れる。



〇△〇△〇



 暗い場所だった。

 ただ目の前にいる人物の力強さだけは見えなくともひしひしと感じる。まるで巨木を前にしたような感覚。

 灯りはいくつも並んだ蝋燭の火だけ。御簾がかけられていて、相手の姿は一切見えないが火が影を作りシルエットだけはわかる。練香が焚いてあるのか部屋いっぱいに清涼感のある甘い匂いが充満していた。

 外の桜吹雪は舞い散り続け、部屋の(ふすま)をかたかたと揺らしている。



「よく来たな。黄昏暁。妾が誰かわかるか?」


「ククッ、これだけのオーラを持った人間がそうそういてたまるか」



 ざっくばらんで敬意の見られない口調は咎められやしないかと内心恐れていたが、背後で控えている二名の女官が怒っている様子はない。



「面白き答えじゃ。よい。ならば名乗ろう。妾こそが聖皇。この日ノ本を統べる女よ」



〇△〇△〇



「まさか聖皇が女だったとはな」


「そうじゃったな。市井には妾の情報はほとんど流れておらんかったか」


「ああ。性別不詳、年齢不詳、血筋不詳。歴史学の世界では、時の聖皇が何代目なのかというのは常に謎とされてきた。ただ間違いないないのは建国の母にして国家の主権。政治、経済、軍事、外交、あらゆる意思決定の最終判断を下す人物。俺たち民間人が知っているのはその程度のものだ」


「クックックッ、妾についてよく知っておるではないか」



 声から読み取れる範囲では年齢はかなり若い。シルエットも含め決して子供ではないだろうが、落ち着き払い威厳がある声色は二十代ほどに感じる。



「あまり女性の年齢を詮索するでない」


「……心を読むのがお前の能力か?」


「まさか。ただの女の勘ってところかの。それに、知っておろう? 妾の能力は」



 その瞬間。違和感が肌を突き刺し、本能が警鐘を鳴らす。

 まず襖の音が止んだ。それだけなら外の風が落ち着いただけの可能性もある。

 ところが次に蝋燭の炎のゆらめきが一斉に止まった。そもそも蝋燭の火が揺れるのは風のせいではない。蝋の内側にある芯はたくさんの繊維をねじって作っているので、ねじれ具合にムラが生じることで燃え方も不均一になり火が揺れるのだ。


 そして何より、ナツキの青い左眼が熱い。無意識に「現を夢に変える能力」を発動している。



「さすがじゃな。妾の能力を前にして動いていられるのはおぬしで三人目じゃ」


「ククッ、まさか死ぬまでにお目にかかれるとは思っていなかったぞ。……()()()()()()()()…………!!」



 シルエットが動く。そして御簾が徐にめくられた。

 現れたのは黒い着物姿の若く美しい女性。年齢は声に相応しく二十代ほどだろうか。髪型はいわゆる姫カット。黒のロングヘア―の前髪をまっすぐに切り、顔の両サイドに垂れる髪も口元にかかるくらいの長さでぱっつんにしている。


 その女性が聖皇であることに疑いはない。もちろん彼女の両眼が()()から、それもある。ただ何よりも、歴戦の女傑しか(たた)えることのできない愛情と智慧と暴力のオーラが凄絶なプレッシャーとなってナツキを襲っていたからだ。


 時を止める能力とは別に、聖皇本人そのものの『強さ』が心理的に圧迫感を与えてくる。人類最高の肉体や頭脳をもっているナツキでも生きた時間は普通の中学生と大差ない。精神力はまだまだ未熟な部分が多く、一歩ずつ近寄って来る妖艶な聖皇に咄嗟の対処もできやしない。



「お、おい! 着物がはだけているぞ……」


「それが何じゃ? 時が止まった世界では誰も見てはおらん。それともおぬしに困ることでもあるのか?」


「やめろ! 近づくな!」


「ふむ……綺麗な眼をしておる。覚醒した最強の能力者という看板に偽りはないようじゃな。そして初心なところもかわいらしい」



 花魁と見まごうほどに胸元がはだけた黒い着物。白い帯との対比が美しく、牡丹の花が金色の刺繍であしらわれている。着物は表面こそ艶やかな黒だが裏地は朱い。女性としての奥ゆかしい深みと華々しい絢爛さとが両立している。

 

 聖皇はナツキの顎を指でなぞりながら、顔のラインに沿って目元まで到達すると顔全体を手で包み込んだ。そして顔をぐっと引き寄せて赤と青の両眼を覗き込む。肌と肌が触れ合いそうになるほどの至近距離。互いの息遣いや心臓の音まで聞こえてくる。



「それにまだ清い身体をしておる。食べてしまいたいくらいかわいいのう。夕華とハルカには悪いがここでおぬしの純潔を……」


「ちょっと待て」



 よく知る名前が出たところでナツキはハッとした。聖皇を突き飛ばす。たたらを踏んだ聖皇はにんまり笑いながら問う。



「妾に対してそんな態度を取ってよいのか? おぬしやおぬしの大切な者たちを不敬罪で処刑することなど造作もないんじゃぞ?」


「ククッ、危うくお前に引き込まれて抜け出せなくなるところだった。だが生憎、俺は俺の大切な人のためならこの星、この世界、この宇宙すらも敵に回す覚悟なんでな。お前がその気なら俺は構わない。かかってこい」



 ナツキは左眼に加えて、赤い右眼にも光を灯らせる。日本生まれ日本育ちのナツキにとっては自国の長に対する宣戦布告。

 夕華の名前が効いた。篭絡されかけていたナツキの頭はたちまち冷ややかなものになり、聖皇を敵と判断するのが間に合ったのだ。



「クックックッ、大きく出たな。しかしよく言った。それでこそ最強じゃ。頼もしいのう。なに、年寄のほんの戯言よ。本気にするでない」


「年寄? 俺の恋人や姉とそう変わらないように見えるが」


「嬉しいことを言ってくれるのう。黄昏暁よ。おぬしとの出会いの祝福するとともに、その出会いに免じて少し良いことを教えてやろう。さっきおぬしは歴史において時の聖皇が何代目かわかっていないと言っていたな」


「ああ。聖皇が誰なのか。何代目なのか。配偶者はどのように選んでいるのか。そもそも一個人なのか。どれもこれも歴史のミステリーだな」


「愚かな子供ほど愛おしい。無知なる民草も妾にとっては大切な家族じゃ。よいか? 黄昏暁。全て妾じゃ。おぬしが学び舎で書物を通じて学んだ聖皇と称される人物。数千年もの間、それらは常に妾ひとりというわけよ」



〇△〇△〇



 ジャージに着替え、グラウンドに出てテニス部の練習を眺めていた夕華は例の現象が起きたことを知覚する。生徒たちはラケットを振るったまま、走る姿勢のまま、ジャンプしたまま、停止している。当然黄色のテニスボールは空中で浮いて落ちてこない。



「……またこれね。誰かが時間を止めているのかしら」



 クリムゾンとの戦いが終わりひと段落した後、友人のエカチェリーナから自身の能力の詳細は聞かされた。曰く、能力を無効化する能力。だからエカチェリーナの治癒も効かなかったし、ナツキの能力がいくら万能でも夕華に対しては干渉できなかった。

 そして時間停止もその影響だろう、と。誰かが時間を止めれば、夕華だけはそれを無効化して止まった世界で動けてしまう。


 ただし、今日はそれだけではなかった。



「……なんだか嫌な予感がするわね。ナツキの近くに危ない女がいる気配がするわ」



 根拠はない。ただ、女の勘がそう言っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ