第133話 そうだ、京都に来た
「あ、そこのお兄さーん。乗りまーす」
京都駅を降りたナツキが目にしたのはロータリーに停まる何十台もの人力車。一般的に駅前はタクシーやバスが並んでいるのでその景色は新鮮だ。
英雄が手を振るとその中の一台が象鼻──人力車を下ろしているとき地面に接する持ち手の先端部分──を持ち上げ、車体を水平にして乗りやすいように調節してくれた。車夫は若く締まった体の男性で、足袋を履き頭にはハチマキを巻いている。
赤い布の張られた座席に黒い屋根。席に着くと一瞬の浮遊感とともに車体が持ち上がる。
「羅城門までお願いします」
英雄が懐からお札を数枚出して手渡すと『承知しました!』と車夫が爽やかに笑いながら返事していざ発進。
わずかに慣性によって後ろに引っ張られたのも束の間、空気抵抗が風となって吹きすさぶ。
「ククッ、なんて強烈な黒い風だ」
「いつも自動車や電車ばっかりだから、たまにはこうやって速度を肌で感じるのも気持ちが良いよね」
英雄は京都に慣れているのか猛スピードの人力車でも平気そうに笑っている。京都の街並みはとても綺麗だ。まず高いビルがない。というより、コンクリート作りの建物がさきほどの京都駅を除いて一つもない。
大半が木造家屋で、屋根は瓦や茅葺だ。洋服を着ている通行人も多くない。いつもは袴を着ている英雄が浮いているが今日は逆。洋服を着ているナツキの方が浮いてしまっている。
道も細く、そもそも自動車は二台がすれ違うのも困難だろう。人力車が移動手段になっているのも納得だ。
(いや、本当にそうか? 歴史と伝統の街並みと言えば聞こえは良いが、何か別の目的が……)
「黄昏くん、大丈夫? 酔ってない?」
「ん? ああ、大丈夫だ。京都の街並みが珍しくてな」
「お嬢ちゃんは京都に慣れてるみたいですけど、お兄さんの方は初めてで?」
全速力で走っているというのに人力車の車夫は息も切らさず正面を向いたまま、後ろの座席のナツキたちに話しかけてくる。鍛えている人間が車夫になるのか車夫をしていると身体が鍛えられているのか。ニワトリとタマゴのようなものなのだろう。
「ああ。どうも外国人にでもなった気分だ」
「ハハハ、外からお越しになった方は皆そう言います」
それから人力車が街を疾駆すること三十分ほど。時折談笑しつつ、またあるときは車夫が観光ガイドのように有名な建物の解説をしつつ、ナツキたちは羅城門に到着した。
〇△〇△〇
羅城門。またの名を、羅生門。国語の教科書に載るほど有名な小説のタイトルでもあるので後者の方が知名度は高いかもしれない。
人力車を降りたナツキが見上げたのは二十五メートルもの高さがある真っ赤な柱と漆黒の瓦の羅城門。
平安京は条坊制、つまり碁盤の目状の街並みで知られているが、ではその盤の入口はどこかと問われればこの羅城門ただ一つということになる。正方形に壁で囲まれているので外敵の侵入は許さず、人間の出入りはこの羅城門だけで管理ができるというわけだ。
「聖皇がいるのは平安京のさらに最奥の内裏なんだろう。道はわかっているのか?」
「うん。朱雀大路をまっすぐ進むだけだから案内もいらないくらいだよ。でも今回は迎えを寄越すって聞いてるけど……あ、出て来たよ!」
英雄が指す方を見ると、和服を着た一人の初老の男性が大勢の甲冑姿の武士を引き連れて門をくぐりこちらに歩いてくる。
頭こそ禿げ上がっているが口や顎にはたっぷりと髭をたくわえており、腰には刀を提げている。手にはひょうたんがあり、顔は真っ赤になっていて酒で酔っていることが一目でわかった。
「よお英雄! 久しぶりだな! 元気にしてたか!」
「久しぶりって、こっちに来るのはボクほんの一週間ぶりですよ鬼宿さん」
「そうだったか? ガハハハハ! まあええわ!」
「黄昏くん、紹介するね。この人はボクと同じ授刀衛、その中でも特に強い二十八宿の一人、南方朱雀の鬼宿剛毅さん。見ての通り二等級の能力者で、とっても強いんだよ」
「おう。よろしくな坊主! ガッハハハハハ」
笑いながらひょうたんの栓を抜き、酒を胃に流し込んでいる。
その飲み方だと味がわからないだろう……と思うナツキをよそに、鬼宿の背後にいる武士の一人が呟いた。
「陛下直々のお客様相手にその態度はまずいのでは……」
「ん? そうか。それもそうだな! すまない、無礼を許しくれ坊主……じゃなくて……」
「神々の黄昏を暁へと導く者。俺の名は黄昏暁」
「そうかそうか暁か! 良い名前だな! 改めて、俺は鬼宿剛毅。よろしく頼む」
そして、またガハハハと笑いながら酒を呷り、ヒックとしゃっくりをする。もはやナツキも何も言うまい。それに酔っぱらってはいるだけで悪い人間には見えなかった。
(酔いどれジジイみたいに振る舞ってるが、相当の手練れだな。能力の強さだけじゃない。これだけ酔っているというのに重心がさっきからまったくブレていない。もし俺が能力を使わないとして、刀一本でこの男を攻めるとしたら……ククッ、難しいな。隙が見当たらん。もちろん負ける気もないが)
「ゴクゴクゴク……ぷはぁぁぁやっぱ日本酒は鬼ころしにかぎる! それとなぁ、暁よ。あんまりジロジロと観察するような目で人様を見るもんじゃねえぞ? 俺のこと殺そうとしたろ」
見ていることに気づかれた。息を呑むナツキ以上に、英雄や周囲の武士たちがむしろ恐ろしそうにしている。
「すまない。つい強い相手を見つけると脳内でどう倒すか夢想してしまうんだ」
「ガハハハ、正直な男は嫌いじゃねえ! よしッ! 気に入った! 暁、俺と一緒に今から酒蔵に……」
「鬼宿さん! ボクたちそれどころじゃないんですけど!」
「そうだったそうだった。うーむ。それにしてもたしかに陛下のおっしゃる通りだったな」
「何がです?」
「いや、陛下が俺らをわざわざ迎えにやった理由だ。暁の眼はちょいと特殊だからな。赤と青のオッドアイは一等級と二等級。俺は無駄に長く生きちゃいるが、二つの能力を持っている奴に会うのは初めてだ」
鬼宿の部下の武士たちがざわざわと『やっぱりそういうことなのか……』『俺、一等級なんて陛下しかいないかと思ってた……』と囁きあっている。
「お前らぁ! このことは口外厳禁だ。わかったな」
その一声で屈強な武士たちが揃って返事をする。ナツキは統制の取れた鬼宿たちを見ながらかねてよりの問いを投げかけた。
「平安京の内部は能力者の存在が知られているのか?」
「うん。だからきっと迎えをこんなにも大勢遣わしたんだと思うよ。この人数で囲めば黄昏くんの姿を隠しながら歩けるからね。もし能力者の存在を知っている人が今の黄昏くんを見たら卒倒しちゃうもん」
「そんな狂暴な珍獣のような扱いは望んでいないんだがな」
「仕方ねえだろう。力を持った者の宿命だ」
鬼宿はそう言うと部下たちに命じて円形の陣を組ませた。その内側にはナツキたちがいる。たしかにこの体勢で歩けば道行く人に見られる心配はないだろう。まるで台風が日本列島を進むかのように、円は羅城門をゆっくりとくぐる。