第13話 縮地の仕組み
「はぁ、はぁ、はぁ」
ナツキと英雄の二人は公園のベンチに座っていた。肩で息をしているナツキを心配そうに見つめている。
「何か飲み物でも買ってこようか……?」
「いや、大丈夫だ。少し休めばどうってことない。英雄こそ、あいつらに何かされなかったか?」
「うん。ボクは平気。黄昏くんがすぐに助けに来てくれたから」
「そうか。だったら良いんだ」
「……強くて、かっこよくて、ボク……」
「どうかしたか?」
「う、ううん! なんでもないよなんでもない! そ、それよりも、最後のハイキックすごかったね。あの変態タンクトップ全然反応できてなかったように見えたよ」
「変態って……」
「変態さ! 男のボクにナンパしてくるなんて変態に決まってる!」
口をぷくりと膨らませて怒る英雄の姿はどう見てもかわいらしい女の子なのだが、ナツキは友としての情けで皆までは言わなかった。
「ま、まあそんな大したことをしたわけじゃない。縮地だよ。あれは」
「あ、それボクも漫画で見たことある!」
「漫画で出てくる縮地は瞬間移動のような魔法の技術だが、現実世界だとそうでもない。縮地の正体は体重移動だよ。身体を真正面に倒しても、左右にブレなければ相手からは動いているように見えない。だが体重は前方にかかっているから、一歩足を前に出すだけでまるで助走をつけたかのような動きができる。相手からすれば静止していた奴が急接近するように感じられるだろうな。まあ、脳の錯覚を利用して認識をズラすってことだ」
「なるほど……!」
実際英雄は説明を受けてもよく理解できていないのだが、とにかくナツキが強くてすごいのだというただ一点から目を輝かせていた。
そうかと思えば、たちまち顔を曇らせて俯いた。
「ボクも……ボクも強くなりたいな。これじゃ前と一緒だよ。黄昏くんに助けてもらうまで何もできなくて……」
「ククッ、友達っていうのは打算なく助けるものだ。たとえ世界が闇夜の黒雲に包まれたとしても、英雄が呼んだら駆けつけてやる。必ずだ」
そう言ってナツキは英雄の頭を撫でた。英雄は真っ赤になった顔を見られまいと一層俯いたので、その表情はナツキからは窺い知れない。だが英雄の元気が出たことだけは掌を通してそれとなく感じ取っていた。
嬉しさと恥ずかしさがキャパシティをオーバーした英雄は思い出したかのように握りしめているクレープを突き出した。
「そ、そうだ黄昏くん。クレープ食べようよ」
「本当に申し訳ない……俺のせいで一個だめにしてしまった。それは英雄が食べてくれ」
「ううん。一緒に食べようよ。ほら、こうしてさ」
英雄はクレープの包み紙を膝の上で広げると、器用にも半分に割った。時間が経ちアイスクリームの部分は溶けてしまって生地をダメにしているが、その分チョコレートのまぶされたバナナやクリームが生地から溢れんばかりに主張していて、充分に美味しそうだ。
「はい、どうぞ」
「ああ。ありがとう」
手渡されたクレープを受け取り、声を合わせていただきますと言ってから二人で同時にかぶりついた。
バナナの風味がクリームに乗って口の中で広がり、チョコレートが躍る。生地の焼き目が舌触りに緩急をつけてくれるので甘ったるさのようなものはない。薄くスライスされたバナナというサーフボードにチョコレートが乗って、クリームの波を乗りこなし、胃袋を満たしていく。
「ふふ。とっても美味しいね」
「ああ。美味しい。喜んでくれて何よりだ」
「量は半分になっちゃったけど、こうやって黄昏くんと一緒に食べられて二倍美味しく感じるよ。だからお礼を言うのはボクの方。いつもいつもありがとね!」
「お、おう……」
満面の笑みでまっすぐに礼を言われると思わずナツキも照れてしまい、うまく言葉が出てこない。いつもの不遜な態度も友人との過ごす慣れない時間ではなりを潜めるようだ。
「あ、クリームついてるよ」
ナツキの顔を見て気が付いた英雄は手を伸ばした。英雄の細くて白い指が迫るなかで、ナツキは英雄の爪の綺麗さに目が向いてしまっていた。だからだろうか。まさか唇を触られるなどとは思っていなかった。
唇をなぞるように英雄の指先が触れる。
そして、ぱくり。
ナツキの口元にあったクリームが付着した指を英雄は咥えた。指の第二関節までまるっと。
英雄は指を口から抜く。そこには銀色の橋が架かっていた。
その光景に瑞々しさだけでなく妙な神々しさにも似た感情を抱いていることを自覚したナツキは、まるで神聖な絵画の前で穢れた自身を恥じ入るように目を逸らした。
「えへへ、とっても甘いや」
蕾が長い時間をかけて蓄えた養分を可憐さに昇華して花開くように、英雄も今日一番の笑顔を咲かせた。目を逸らしていたナツキもつられて顔を綻ばせる。
そして昼食兼三時のおやつである半分のクレープを食べ終えたときにはもう夕方になりつつあり、空は西の方から徐々にオレンジ色が侵食しつつあった。すっかり図書館で勉強する時間などなくなってしまったと二人で声を上げて笑う。
しかし悲哀はない。むしろ一日色々なことがあったという充足感。怖いこともあった。怒ったこともあった。それでも、二人にとって今日という日は関係性が一歩だけ進んだ大切なものになった。周りからしたら小さな一歩だろう。きっと友人であることを互いに強く意識しただけの。二人にとっては、それは宝石のように尊い大きな大きな一歩なのであった。
正午以降、もう一話投稿します。よろしくお願いいたします!