第126話 覚醒の兆しを掴め
ハルカは言っていた。肉体や頭脳で最強の人間を作り出した場合、一等級の能力は宿らないと。だから人格を二つに分かち能力者の人格『田中ナツキ』を幼少期に封じ込め、天才的な頭脳や身体能力、格闘センスを持つ『黄昏暁』の人格に切り替えたと。
そう、本来『黄昏暁』の人格は能力者になれないはずだった。一等級の能力者には。
世界を貫くほどのエネルギーの渦がナツキに吸い込まれて消えていく。
視界の端で半透明の幼いナツキが呟いた。
『それこそが僕の、僕だけの能力なんだね』
静寂の空間に、ナツキの疾駆する足音だけが響く。クリムゾンは何が起こったのか理解が追い付かない。
『そもそも覚醒の土台は充分だったんだ。少なくとも僕はアイツに二回は殺された。他の人たちが死にそうになったくらいで能力に覚醒するなら、実際に死んだ僕の経験、その死の濃度は段違いだ』
ナツキは大きく右腕を振りかぶる。
『僕は僕よりずっと頭が良かった。読んだ漫画やラノベも、プレイしたゲームも、視聴したアニメも、全部記憶に保存していた。僕は中二病の源泉たる創作物から経験を取り出す脳内図書館なんて言ってたけどね、そんなのは常人にできることじゃない』
クリムゾンが『やめろ!』と叫びながらナツキ対して後方へ運動エネルギーを付与する。どんな車やバイクでも前に進めなくなるほどの強烈な運動エネルギーは一〇〇万ジュールにまで膨れ上がった。
しかしナツキの赤と青のオッドアイのうち、青い左眼が淡い光を灯す。永久を根源として付与した運動エネルギーは一瞬にして霧散していった。
『そういう創作に出てくる中二知識を蓄える僕の脳内図書館は、まさに僕のどんな願いも叶える万能の能力とは対極に位置する。今この瞬間、目の前にある異能さえ妄想の図書館に貯蔵してしまうんだから。夢想を現実にする僕の能力を「夢を現に変える能力」と呼ぶとするなら、現実の異能を夢想に収める僕のその能力は──』
「現を夢に変える能力ッ!」
拳を振り下ろしながら叫ぶ。クリムゾンはナツキを近づけまいと必死に様々なエネルギーを無限に付与しようとするが、そんな能力を使って歪めた現実は遍くナツキの脳内の夢想として吸収される。
ナツキの拳は止まらない。夕華を泣かせ、怖がらせたことへの怒り。或いは嫉妬、復讐。それもある。そしてもっとシンプルな理由も。クリムゾンは自分の方が優れていると言った。冗談ではない。
中二病とは最強の力を隠しながら平穏を生きる者だ。
そんな中二病を差し置いて最強を名乗る奴がいてたまるか。
「ククッ、最強は俺だァァァァッッッッッ!!!!!!」
ナツキの拳がクリムゾンの顔面を容赦なく叩きのめす。人類の理論値とまで言われた肉体と近接格闘センスによってもたらされる寸分の狂いなき一撃。
クリムゾンの身体は大広間の瓦礫の山を貫通し、城を貫通し、木々を貫通し、森を削り取りながら止まった。
指一本動くことはなく、赤い両眼は閉じられた。
ここに一等級と一等級、最強と最強の戦いは決着した。田中ナツキ──黄昏暁──の勝利によって。
〇△〇△〇
「アスクレピオスの杖」
ナツキの赤と青のオッドアイのうち、今度は赤い右眼が淡い光を帯びる。腕を伸ばして手をかざすと、肩から腕へ、腕から手へ、と青白く発光した蛇が巻き付きながら進み床に落ちた。そして床を這う大蛇はスピカ、英雄、美咲、ナナ、エカチェリーナの順に首に噛みついていく。
さきほど焼死した五人を蘇生させ現在傷はまったくない状態だが意識が未だ戻らない。それが肉体の疲労なのか精神の疲労なのか詳しい原因はわからないが、いまやナツキにとってそんなことは関係ない。どんなものも喰らって治す医の象徴を行使した。
まるで寝起きだ。五人とも目をこすったり頭を押さえたりしながらも無事意識を取り戻し起き上がり始めた。
「全員無事で本当に良かった……もし私のせいで誰かが取り返しのつかないことになったら……。……ナツキ、ありがとう」
「ククッ、愛してる女性のためなら俺は地球の裏側にだって行ってやるさ。それに皆だって夕華さんのことが大好きだからここまで着いて来たんだからな」
「あ、愛してるって……!」
「ククッ、何度でも言ってやる。俺は夕華さんを一人の異性として、魂魄の底から愛しているからな。生涯一緒だ。ずっと離さない」
「私もすごく嬉しい、けど……本当にいいの? 十も歳が離れてるのよ? ナツキが成人するとき私は三十歳よ」
「じいさんばあさんになって死ぬときまで……いや、死んでからもあの世で一緒にいるんだ。たった十年くらい誤差だろう。永遠の愛の前ではな」
「ふふっ、もう。よくそんなキザなセリフ言えるわね」
「ククッ、まあな。俺は中二病だ。異能バトルもラブコメも、全部本気だよ。キザで結構。大事な想いを伝えられないよりずっと良い」
「そうね。私も愛してるわ。赤ちゃんだったナツキに初めて出会ったときから今日この日まで。そして未来永劫。ずっと私もあなたを愛してる」
お互い、敵もいなくなり冷静になって言葉にすると照れくさくなる。だがナツキは中二病なので羞恥なんて感情は谷底に棄ててきたし、夕華も夕華でナツキの前では年上の威厳というものがあり、いつものようにクールを装っている。
たしかに羞恥はない。でも。
好きな人からはっきりと『愛している』と面と向かって言われたナツキの胸の内にあるのは歓喜だった。
どうしようもなく好きの感情が溢れだし、行き場をなくす。だったら、今度は自分から。
ナツキの方から夕華の肩を掴み唇を合わせた。
「うわっ!?」
目を覚まし寝ぼけてキョロキョロしていた美咲がその光景を見つけて叫んだ。
「だ、大胆」
英雄はいけないものを見てしまったかのように両手で顔を覆うが、指の隙間からチラチラと覗いている。
「おめでとうユウカ。ふむ、私も相手を探さねばな」
エカチェリーナは腕組しながらそんなことを言い。
「仕方ないわね。きっと世界中が彼に魅了される。だってこの私を惚れさせたんだもの」
悔しさがないわけではないのだろうが、スピカはスピカなりに自分の初恋を尊重し。
「……本当に、良かった」
ナナは二人の恋が実ったことに心からの祝福を送る。
ナツキと夕華の熱いキスは、見られていることに気が付くまで続いた。一度目よりも長く。ずっと長く。
〇△〇△〇
「よくやりましたわね」
王城から少し離れた森の中にある別荘。満月の下、三階のバルコニーでアンナ・ロマノフは紅茶をすすりながら呟いた。ロシアの冷たい夜風がドレスをはためかせる。
テーブルにはオペラグラスがありナツキとクリムゾンの戦いをずっと眺めていことを窺わせる。そしてもう一つ。「Dead Sea Scrolls」と書かれた黒いノートもひっそりと置いてあった。
「こんなデタラメだらけの偽書でも奴の行動を誘導するには充分でしたわ。まあ偽書というのは本人も気が付いていたんでしょうけれど」
届けてくれた人に感謝ですわね、とアンナは付け加える。それが潜入任務を達成して持ち帰ってきたアンドレイ・アヴェルチョフを指しているのか、はたまた……。
「私のような非力な女にクリムゾン、人間の頂点みたい男は倒せませんわ。まして私は無能力者ですもの。でもクリムゾンが倒される未来を創造することならできますわ。うふふ、だって私、天才ですもの」
〇△〇△〇
「なーんてアンナ・ロマノフは言ってるんだろうなー。ま、結果オーライだよね。ナナちゃんも自分なりに整理つけたみたいだし。我が弟もお嫁さんゲットしたし! 久しぶりに日本帰ってみようかなぁ」
ペンタゴンの中にある研究室でハルカは楽しそうに騒ぐ。
「あ、そうそう。日本と言えば。お礼の電話しなきゃね~」
白衣のポケットからスマートフォンを取り出し、画面を素早くタップする。ワンコールで繋がった。
「あーもしもし? おひさ~。いやぁ今回はありがとね。……何がって、結城くんを国外に出してくれたのもそうだし、ロシアのキリルやダリアって子たちが夕華ちゃんを連れ出すのを見逃してくれたことだよ。無理を聞いてもらっちゃってホントごめん! ……うん、うん。そうだね。……はいはーい了解。ていうかいい加減ガラケーからスマホに買い換えたら? って言うのは無粋か。まあいいや。日本に帰ったら会いにいくからそのときはよろしくね。うん。はいはい。そのときはまた連絡するから。それじゃあね。ばいばーい。聖皇ちゃん」
プツリ、と国際通話は切られた。
〇△〇△〇
唇を離したナツキはふと思い出したことを尋ねる。
「夕華さん、そろそろ教えてほしいんだが、昔『強くて優しい人がタイプ』と言っていただろう? その意味が知りたい」
「ああ、あれ。ナツキが小学生くらいの頃に私によく聞いてきていたのよね。でもそれちょっと違うわよ」
「違う?」
「子供なりに必死に言葉を吟味して聞き方を考えたんでしょうね。あのときナツキはこう言ったのよ。『理想の人はどんな人』って」
「つまり夕華さんはタイプの男性を答えたんじゃなくて……」
「ナツキを守れるくらい強くて、どんなときも包み込むようにナツキに優しくあれる人でいたい。あれは私が掲げた理想の私自身の在り方よ」
全ての合点がいった。同時に、たまらなく愛おしいという感情がこみ上げる。
力強く抱きしめた。目一杯に力強く抱きしめた。二度とこの人を離してなるものかと。
スピカたち五人がその光景を温かい目で眺めていると、夜が明けて陽が昇ってきた。
ボロボロに破壊され天井が吹き飛んでいる城に空から太陽の光が差し込む。
暁を超え、朝焼けが愛し合う二人を祝福するように熱く眩しく燃え上がるのだった。
ここで一区切りになります。
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明日からは第四章になります。広げた風呂敷は必ず畳みますので、どうかよろしくお願いいたします。