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第117話 婚礼の合唱

 大広間では財界人や権力者、他国の王室の遠戚などが互いに談笑しながら立食をしている。銀皿にワインではなくウォッカを乗せたウエイトレスが縫うように歩いている光景はロシアならではだろうか。

 彼らの目的は食事で腹を満たすことではない。第一にクリムゾンとの関係作り。第二に、自分と似た目的で集まった他分野の有力者との人脈作り。クリムゾンは一人の人間なので、広間の中で招待客と会話をして回っても基本的に待たされる時間の方が多い。


 そのため招待客同士が盛んに談笑するのだ。たとえば現在どのような巨大プロジェクトを進めているかだとか、どこどこの国の王子が政略結婚するから隣国との小競り合いは終結してしまいそうだとか、そうしたビジネスの情報交換。


 部屋の前方隅では音楽隊が演奏をしていて、客たちには良いBGMとなっている。今演奏しているのはワーグナーのオペラ歌劇、ローエングリンに出てくる『婚礼の合唱』だ。日本ではオルガンをガンガンに鳴らすスタイルで結婚式の定番のようになっているが、管楽器と弦楽器だけでアレンジしたクラシック調の方がこちらでは主流で、日本のような下品な音楽の使い方はあまりされない。


 しばらく招待客たちとも会話しつつ、クリムゾンは全体に視線を行き渡らせていた。今は主に各テーブルとも前菜が並んでいる。パーティーが始まって二十分ほど。徐々に前菜は減っていた。そろそろかとクリムゾンは近くのウエイトレスを呼び止め、次はスープ料理を持ってくるように厨房に伝えろと命じる。ある意味で主催者とはパーティー全体の指揮者のようなものなのだ。


 前菜に飽き始めているだろうと察したクリムゾンはスープが運ばれてくるまでの間に全体への挨拶をしておこうと決め、今の今まで会話していた相手に失礼と一言だけ残して夕華を連れて二階テラスに向かった。


 大広間にはこのように全体に話せるようなテラスがある。二階席があるということはそれだけ天井も高いことを意味していて、あのシャンデリアの照明はどのように替えているのだろう、などと夕華は庶民的な想像をしていた。

 あるいはそれは夕華の無意識的な防衛本能だったのだろう。こうして好きでもない男の隣に立って大勢の人の注目を浴びているのだから。ナツキのためならばと理性で受け入れても、感性までもが納得するわけではない。



「皆さんどうでしょう、楽しんでもらえておりますかな」



 クリムゾンが広間全体を見渡しながら話始めた。談笑したりフォークを動かしていたりしていた客たちも一度それらを止めてテラスにいるクリムゾンを熱心に見つめている。



「さて、今日は親愛なる皆さんに紹介したい人がいるのです。先ほども入口にて軽くご挨拶させていただきましたが改めて」



 クリムゾンが夕華の腰に手を回しグッと引き寄せる。理性で嫌悪感を押し殺した夕華は抵抗しない。



「我が新しき妻、名をユウカ・ソラカワと申します。私が皆さんと長く付き合っていく中で何度もお目にかかることもございましょう。そのときはどうかよろしくお願いします」



 一斉に大広間の人々は拍手をした。割れるような音の中で、皆が口々に『綺麗な人だ』『王妃アンナ様とも遜色ない』『さすがはクリムゾン様だ』と言っている。それが夕華の嫌悪感を一層逆撫でした。

 そうしてさらに自身の近況も交えながらクリムゾンが二、三分ほどの挨拶を終えようとしたときだった。


 扉の開く音が聞こえる。ウエイトレスがスープ料理を運んできた? 違う。ドンッ! というひどい打撲音とともに強引に開かれているからだ。そして何より、運ばれてきたのは料理などではない。甲冑を纏った衛兵たちだった。



〇△〇△〇



「とりあえず中に入ったはいいが、いかんせん部屋が多すぎる!」



 廊下を走りながら見かけた扉を手あたり次第に開くも、どこもかしこも空室だった。せめて城勤めしている兵士や侍従の一人でも見つけられたらクリムゾンの居場所を聞き出すこともできるのに、とじれったい思いに駆られる。

 確認した部屋の数は十を超えてからは数えるのをやめた。そのとき、背後から突然声がかかる。



「そこのぼく。うふふ。お目当てのお部屋は逆方向ですわよ。もちろん、虱潰しに城内の全部屋を回るというのなら(わたくし)も止めはしませんが」


「誰だ。何を知っている」



 警戒しながら視線だけ振り返ったナツキ。長い金髪の美しい女性がいた。余計な問答をしている暇はない。最短で必要な情報だけを聞き出す。

 そんなナツキの剣呑として雰囲気を察したのか、その女性──アンナ・ロマノフは微笑みながら後ろを指して続ける。



「クリムゾンならあちらの突き当りにある大広間ですわ。一番大きなお部屋。近くに衛兵がいるから行けばわかりますでしょう。それにしても二択を外して真逆に行ってしまうだなんて本当に運がないんですのね。まあ私はこちらに来ることくらいわかっていましたけれど」



 ギリリと歯噛みする。相手の言っていることが真実かどうか確認する術をナツキはもっていないからだ。見るからに怪しい侵入者を罠に誘導している可能性も充分にある。

 だがこのまま虱潰しに探さざるを得ない状況にあるのは言われた通り。現状、情報は喉から手が出るほど欲しい。



(罠だったとしても人のいるところであれば情報源だ。だったらこれ以上悪くなることはない、か……)



 ナツキは踵を返し、先ほどまでとは逆方向に走り出す。すれ違いざま、うふふと微笑む声が聞こえた。何者かを問いただす時間的余裕はない。最低限背後への警戒だけは切らずに、無視して突き進む。



〇△〇△〇



 大広間の扉の前には甲冑姿の衛兵が二人。フルフェイスなので顔が見えない。互いに槍を交差させるようにして扉を守っている。ナツキに気が付いた二人は足を肩幅に開いて腰を落とし槍を向ける。西洋槍術の基本的な構えだ。



「な、何者だ貴様!」


「ここが歴史あるロマノフ家の城と知ってて……」


「うるさい」



 ナツキはポケットから銀色の筒を出して力を込めて握る。折り畳まれていた刃が展開され日本刀の姿になった。そして姿勢を落とすだけで槍の刺突を躱し、甲冑の上から刀を叩きつけ二人同時に突き飛ばす。

 大広間の入口は両内開きの茶色い木扉だった。閉ざされていた扉を開けながら衛兵たちは大広間の中を飛んでいき床を転がる。


 ナツキが追うように大広間に入ると、悲鳴を上げたパーティーの参加者たちが広間の前方、つまりナツキが入って来たのとは逆側に走って逃げていく。ただの少年ならばここまでの反応にならなかっただろうが、明らかに長い刃物を持っていることが確認できたので恐慌状態を引き起こしてしまったのだ。



「おいおい。俺の婚姻発表パーティーを邪魔するガキがどんな奴かと思えば無能力者か?」



 悲鳴を掻き消すようにクリムゾンの低く野太く鋭い声が大広間に響いた。強者の格を孕んだ声は大衆の恐慌を抑え込む。スピカからどのような顔なのかは知らされていなかった。ただ、会えばわかると。ナツキは突き刺すようなオーラをひしひしと肌で感じながら声のした方にゆっくりと目をやった。



「夕華さん……」


「そんな、ナツキがどうしてここに……!?」



 深い青色をした美しいドレスを纏う夕華。彼女はクリムゾンと思しき圧倒的存在感を持った男の隣にいる。そして彼はさきほど『婚姻』と言っていた。二つの要素が結びつき最悪の想像がナツキの脳内で描画されていく。



「ハッ、なるほどな。そういうことか。お前が言っていた一生を捧げた相手というのがあのガキか! お前を奪い返すためにここまで来るなんて愛されてるじゃないか。……なあユウカ。もし俺がここであのガキを殺したらそのつまらない従順な演技をやめてくれるかァ?」



 クリムゾンは嫌らしく笑いながら夕華の顔を覗き込む。ナツキがここにいることにまず驚き、クリムゾンに自身の覚悟を見抜かれていたことに驚き。だがそれよりもクリムゾンが口にした殺すという言葉に反応する。



「お願い! あの子は何も悪くないのっ! 私ならどうなってもいいから、あなたの好きにしていいから! だからナツキだけは……」



 その場で崩れ落ちた夕華を見ながらクリムゾンが獰猛な獣のように口を吊り上げた。夕華はクリムゾンのズボンの裾を掴み半泣きになって懇願している。

 あのとき自分に向けた強者の視線。その強さの根源があのガキなのか、とクリムゾンは考えた。そして同時に、そんな相手を目の前で殺したら間違いなくもっと面白いことになるに違いないと。



「ああ。わかった。ユウカ、俺とて妻になる女の言葉は聞くさ」


「ほ、ほんとに……」


「ああ」



 クリムゾンはテラスの柵に足をかけ、高さなどものともせず飛び降りる。

 そしてただ一言だけ呟いた。赤い瞳に淡い光を宿しながら。



「ここで死ね」



〇△〇△〇



 テレポートしたナナは今度はナツキの部屋にいた。ベッドに体育座りし、目を真っ赤に泣き腫らしている。

 ここはナナがナツキのベッドに潜り込んで抱き締めた思い出の場所だ。ナツキのことを想えば想うほどに無意識にここに引き寄せられていた。


 何分。何十分。何時間が経っただろう。陽が昇り窓から明かりが差し込む。夜は暁になった。ベッドにはナナの小さな影が伸びる。

 それからもナナは顔を伏せたまま動けずにいた。ハルカの発言が正しければ、今頃はボロボロだったナツキが目を覚ました頃だろう。しかし到底会いにける状態ではない。どんな顔で接すればいいのかわからない。


 恋をした少年の人格は、友が必要に迫られて生み出した仮初のペルソナだ。言うなれば人工物。もちろんナナはナツキが人工物だなんて思っていない。それどころかもしもそんなことを言う奴がいたらぶん殴る、くらいに思っている。


 そうではなくて、それを聞いて無意識にナツキを恐れてしまった自分が許せなかった。頭ではナツキのことが大好きでどんな出自だろうと受け入れたくて今すぐに会って抱き締めたい。

でもナナの人間としての本能がナツキへの異物感、不気味だという感覚をチラつかせてくる。だってハルカが生み出した理論上最強の能力者の人間。そんなもの、バケモノじゃないか。


 理性で感性を殺す。卑怯で汚い歪んだ自分の心を殺す。

 いっそハルカに当たり散らかすことができればラクだったのかもしれない。それでもナナにとって、ハルカは大切な親友だから。高校に行って思い出を辿りながらをそれを痛感させられた。



(親友として、ハルカが好き。天才の、ハルカが憎い。異性として、暁が好き。バケモノの、暁が怖い)



 何度も心を殺し反芻しながら理性に嚥下していく。

 何時間も、何時間も、何時間も。

 昇った陽が頂点に達し、そしてとうとう傾き始める。沈み行く太陽が黄昏を呼ぶ。その黄昏も、呆気なく夜の帳に飲み込まれていく。

 何時間も、何時間も、何時間も。



(作られた関係でも、アタシと夕華とハルカの三人の笑顔は本物だった。だって誰も作り笑いはしなかったんだから。だったら暁の人格が作られたものだって……)



 この考えがたちまち黒い心を消化した。

 仮に暁の人格が、あるいは暁という人間そのものがハルカの意図の下の存在だったとしても。



(だとしても、暁がアタシのために怒ってくれたときのアイツの心は本物だ。アタシがアイツを好きだって思う気持ちも本物だ)



 スっと気持ちが落ち着いた。こんなシンプルな答えを得るまでに十時間も二十時間も費やしてしまった。

 目は涙の跡とくまで見るに堪えない有様になっている。一度日本支部に戻って目を覚ましたナツキの顔も見ておきたい。そしたら少し仮眠を取って……。


 そのときだった。ゾッと悪寒が背中を走る。それは愛するナツキの身の危険。


 後にこのときのことを振り返ったナナ本人もどうしてそんな芸当ができたのか、わからなかった。本人曰く、それは愛のなせる奇跡。


 ナナは空間を跳ぶ。



〇△〇△〇



「ここで死ね」



 クリムゾンの呟きに合わせて掌がナツキに向けられる。スピカや英雄よりも強いとされる能力者だ。何かが起こるに違いない。ナツキの警戒度は最大級に引き上げられる。そして命の危機の警鐘がガンガンと脳内で鳴り響いた。

 咄嗟に思考を巡らせる。相手は何をしてきそうか。どのような能力か。あらゆる可能性を洗い出し、ひとつひとつに漏れなく対処法を与えなければならない。そうしないと無能力者の自分は能力者に勝てない。



(考えろ考えろ考えろ)



 クリムゾンが降りてきて腕を構え、死ねと言い放ってから〇.〇一秒。その間、ナツキは脳を休むことなくフル回転させていた。

 ……しかし。一度中二病をやめたナツキの脳内図書館は何も有効な手立てを示してくれない。気ばかりが焦って、考えろと脳に命じれば命じるほど空回る。


 横に回避すべきか? 後ろに回避すべきか? 逆に接近して相手の照準をずらすか? いいや、そもそも攻撃は遠距離か? 手から何か出てくるのか? それともこの部屋の中にあるものを利用して何かするのか? 考えろ。わからない。考えろ。わからない。考えろ。わからない。無理だ。まったく答えが導けない。わからない。わからない。


 ナツキは脳がショートしていくのを理解した。ただただ生存本能という感性が生きろとだけ叫んでいる。理性も考えることを諦めて、概ね追従するように、生きろ、なんとかしてくれ、助けてくれ、と泣き言のように念じている。もはや凡人に成り下がったナツキには請い願うことしかできない。


 右腕の温度が急激に上昇するのを感じた。何かが自分の身に起きている。それだけはわかった。

 まずい、と思った刹那。

 まるで助けを願ったナツキの思いに呼応するように、その願望を実現するように、あり得ないことが起きる。



「暁ッッ!!!!」



 一人の女性が現れた。

 彼女はナツキの左腕を引っ張る。さっきまで立っていたところから数メートル転がったナツキは自分を引いた張本人をしっかりと目にした。



「ナナさん!」

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