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第116話 永久凍土が溶けるほどの恋心

 ナツキとスピカが森を横切るように走ること数分。木々の暗い緑色をした枝葉が空を覆い、重苦しい空気がナツキの心に圧し掛かっていた。雪には二人分の足跡がザクザクと刻まれていく。

 英雄と美咲が戦っている相手はナツキにとっては襲ってきた因縁の相手でもある。あっけなく敗北した。大怪我を負った。そして、英雄と美咲はそんな自分のために泣き、怒ってくれた。夕華が連れ去られたのも英雄と美咲に苦しい思いをさせてしまったのも全てはナツキ自身が無力で弱かったからだ。



(そんな俺に、あの少年と少女よりも強いクリムゾンって奴を倒すことができるのか?)



 中二病から一度は足を洗ってしまったナツキも、口ぶりだけは少しずつ中二病ぽく戻ってきている自覚がある。というより目を覚ましてからは意識的にそうするようにしている。中二病じゃなくなって自分の理想を妥協してもいいと思った後の自分があまりに弱かった。


 鳥男とのときもそうだった。能力者になれるはずなのに全然能力が目覚めない。その焦燥感が敗北をもたらした。本来、中二病というのはそんな悩みを持つべきじゃない。なぜなら周りが何と言おうと関係なく自分の好きなものや憧れのものに馬鹿みたいに素直でいるのが中二病なのだから。少年少女と戦ったときは言わずもがな。夕華のためなら中二らしさは捨てると、異能バトルへの憧れなんて捨てると思ってしまった。


 ナツキの好きなキャラクターが言っていた。弱さは罪じゃない、と。本当にそうだろうか。

 また別の好きなキャラクターは言っていた。弱さは罪だ、と。まったくだ。夕華を守れず、英雄や美咲には負担をかけ、大勢の人を巻き込み不幸にしてしまっている。


 考えがまとまらないうち、森を抜けて王城が見えてきた。見上げるほど大きい。もちろん都会の高層ビルと比べれば低いのかもしれないが、世界史を学んだナツキにとってはこの王城がロマノフ王朝の歴史の体現であり、当時の建築技法をふまえればどれほど卓越した建造物なのかと圧倒される。コンクリートも鉄筋も使われていない。それなのに比較対象が現代のビルになるのだから、絶大な存在感は言うまでもない。


 まず横幅が広い。城の前で二百メートル走のトラックを直線で取ってもまだ余るだろう。奥行も同じくらいある。つまり敷地面積が異様に広い。加えて、先に述べた高さだ。十五メートルほどあるレンガ積の監視塔が城を囲うように何本も立っていて、各監視塔は城壁によって連結されている。


 そうした質実剛健な部分があるかと思えば、城壁の内側の本塔は壁に細かい彫刻がいくつも散りばめられていた。天使や使徒だろうか。ロシア国民の大半はギリシア正教の分派であるロシア正教を信仰しており、ロシアにおいても王朝が宗教を権威付けに用いた歴史があるのかもしれない。かつてローマ帝国においてコンスタンティヌス一世がキリスト教を公認し専制君主制を確立したように。王城が単なる軍事拠点であるだけでなく王権の象徴であることが一目で窺える。


 建物自体はレンガの鼠色なのだが、各階にある窓からはぽつぽつとオレンジ色の明かりが漏れていて暗さはない。むしろ威厳ある巨大建築のシルエットを夜の森に浮かび上がらせているようで、不気味さや畏れを演出している。



「ハダルがシリウスを説得してまで私をナツキのもとに向かわせたのは王城の中にすんなり入るためね。招待状はないけれど、絶対に断らないはずだから」


「そうなのか?」


「……ええ」



 真正面から堂々と入れるだろうと主張するスピカに従い二人とも隠れることなく森から姿を現した。城門の前には一人の女性が立っている。金髪を肩のあたりで切りそろえ、キリっと鋭い視線で腰の西洋剣に手を添えている。

 近づいてくるナツキたちにすぐ気が付くと「止まれ!」と制してきた。



「ここはロマノフ王朝の王城にして皇帝ならびに王妃の住まいでもある。貴様らは何者だ」


「初めまして門番さん。私、そちらで催されているパーティーの主催者の親類なのだけれど、ちょっと取り次いでもらえないかしら。参加したくって」


「なに? 参加者ではなくて主催者、だと……」


「そうよ、門番さん。いいえ、エカチェリーナ・ロマノフさん。私が小さい頃に一度会ってるんだけど覚えてないかしら」



〇△〇△〇



「ちょ、ちょっと待て。主催者は皇帝クリムゾン・ロマノフ・()()()()()()、その親類ということは……」


「ええ。その通り。私の名前はアルカンシエル・()()()()()()。だからそこを通して下さらない?」



 本当はこの忌むべき真名をナツキには聞かれたくなかった。星詠機関(アステリズム)にとってネバードーンは敵対組織の一族であり、『子供たち』と呼ばれる強力な能力者たちはクリムゾンやアクロマ、グリーナーをはじめ世界各地で好き勝手している。まさに自由気ままなる悪。世界を舞台に意図して争う秩序破壊者。



(でもあのとき、アカツキは『スピカ』が本名じゃないってすぐに見抜いて、その上で言いたくないなら言わなくていいって私を抱き締めてくれた。そんな優しくて高潔な心を持った彼に……大好きな人に報いたい。私がネバードーンを名乗ってアカツキに嫌われたとしても構わない。それで彼の大切な人が守れるなら!)



 エカチェリーナはどうしたものかと眉をひそめた。皇帝の妹ということは皇帝の義妹にあたる自身と立場は同じで、登城の権利はあるように思える。その一方で先の不明航空機について状況を見に行ったダリアとキリルの報告はまだない。ただ単に皇帝の妹を名乗って城内に闖入し皇帝や王妃を殺害しようとしているのかもしれない。だからこそ招待客が全員来訪し終えてもこうして外で待っていたのだから。

 判断に困ったエカチェリーナは多少口調を和らげながら牽制気味にスピカに話しかけた。



「言い分は理解した。だが私にはきみが本当にかの皇帝陛下の親類であるという確証を得る術はない」


「え、だから言ったでしょう? 私のことは覚えてないかって。あなたの記憶こそが確証だと思うのだけれど……」


「知らん」


「え?」


「だから知らんと言っているんだ。一体きみはいつの話をしている?」


「私が星詠機関(アステリズム)に入る前だから、十年以上前ね。ロシア帝国において『公』のロマノフ、『私』のネバードーン。何度も顔は合わせていたでしょう? 基本的には父の名代でクリムゾンが出席していて、小さかった私もついて行ったことがあるのよ。五、六歳だったかしら。だからこの城に来るのも初めてじゃないわ。そのときあなたはもうティーンだったからてっきり覚えているものとばかり……」


「姉上のように頭が良ければ覚えていただろうな。だが私に戦以外のことで頭脳労働を求められても困る」


「そんな……」



 スピカとしては現在生き残っている王家直系姫君のエカチェリーナや王妃アンナは知己の相手でありむしろ自身の登城の正統性を裏打ちしてくれる、くらいの見立てでいた。仮に一般兵が頑なに登城を拒んでもアンナやエカチェリーナ、最悪の場合はクリムゾンが後ろ盾となり最低限城に足を踏み入れることくらいはできるだろうと。

 だがアテが外れた。ここまで妹の方が脳みそまで筋肉な女性に成長しているのは想定外だった。軍部の要職に就いていることは情報として知っていたが……。



「きみは今、星詠機関(アステリズム)と言ったな。私の認識ではその組織は我々ロシア帝国ともネバードーン財団とも関係は良くないはずだが? きみの発言は疑う部分が多すぎる」


「……そうね。じゃあこれならどうかしら。あなたを知る者として、皇帝クリムゾンを知る者として、星詠機関(アステリズム)の者として、最も相応しいことを言うわ」



 スピカは力強くエカチェリーナを射抜くように言った。



「私たちはクリムゾンを倒しに来た」


「そうか。わかった。ならば通れ」


「へ?」



 あまりに呆気ないエカチェリーナのリアクションにスピカは拍子抜けしてしまった。さっきまでの謡がの問答は何だったのか。



「今のきみの視線、間違いなく奴と同種の強者の眼だ。確かに認めよう。きみは皇帝クリムゾンの妹だと」


「……なんだか複雑ね」



 自身の血や家名を嫌うスピカにしてみれば兄にあたるクリムゾンに似ている部分があると言われるのはもはや罵倒なのだが、これでナツキを城に容易く入れることができる。目的は達せられそうだ。だから不快でもあり嬉しくもある。



「どうにかうまくいったわね……。……ねえ、アカツキ。どう? 軽蔑したでしょう。これが私の本当の名前。穢れた血を受け継いでしまった私の……」


「ククッ、なるほど。アルカンシエル。虹か。綺麗な名前だ。スピカによく似合っている」



 ナツキに蔑まれると思って直接顔を見ることもできず俯き気味に自虐したのに、返ってきたナツキの反応は随分と好意的だった。

 スピカの考えではネバードーンである時点で、そうでなくても夕華を攫った相手の妹である時点で、ナツキに嫌われると思っていたのに。



「何を心配しているのか知らんが、前に言ったことを忘れたのか? どんな名前でもスピカ(おまえ)スピカ(おまえ)だ。俺の大切な人。それに違いはない」



 そう言って微笑むナツキ。スピカは胸にこみ上げる感情を抑えられず抱き締める。



「ククッ、前もこんなことがあったな」



 そのときと同じようにナツキもスピカを抱き締め返す。前回も今回もナツキにとっては全てが本音だ。能力者の存在を知っていようがいまいが関係なくありのままに正直に。


 しかし。

 抱擁を交わす二人を遠ざけるように、一筋の剣閃がナツキとスピカに振り下ろされた。咄嗟に二人は互いを突き飛ばすように押して距離を取ることで斬殺は回避する。

 剣は空を斬りそのまま地面に叩きつけられた。積もっていた雪がしぶきのように舞い上がる。

 襲った張本人。それはつい今しがたナツキたちに通ってよいと言ったはずのエカチェリーナだった。



「ロシアの永久凍土が溶けるほどにお熱いところすまないな。今、私の耳が狂ったわけじゃなければスピカと呼ばれているように聞こえたのだが?」



 二手に分断されたナツキとスピカのうち剣の切っ先を真っすぐにスピカの方に向けてエカチェリーナが言った。



星詠機関(アステリズム)に所属しているスピカという名の人物など私が一人しか知らない。貴様、バーバラという女性に覚えは?」


「バーバラ? ニューヨークでアメリカ合衆国の諜報活動していた能力者ね。彼女なら私が国際条約に基づいて……」


「貴様が……貴様がバーバラを……ッッ!!」



 再びエカチェリーナはロングソードを振りかぶり襲い掛かった。今度はスピカ一人に。スピカも馬鹿正直に真っ二つにされるいわれはない。紙一重のところで躱し、またも剣は白い大地を砕いた。



「男の方、貴様は城の中に向かえ。ロシア帝国の軍人は約束を違えない。それにクリムゾンを倒すというのは私にとっても望むところだからな。だが……。スピカ、貴様は私がここで始末する」



 スピカに助太刀すべきか、それとも通っていいという言葉に従って中に進むか。

 ナツキが迷いを表情に浮かべたときだった。



「アカツキ、行きなさい!」


「だが……」


「大切な人が待ってるんでしょう? だったら!」



 スピカの喝を受けたナツキは決心をして頷いた。

 美咲が、英雄が、そしてスピカが、自分のために身体を張って進めと背中を押してくれている。だったらその想いに応えなければならない。


 スピカは背を向けて王城の入口へと走って行ったナツキを見送り、エカチェリーナと一対一で相対する。



「あなたがどんな理由で私につっかかるのか知らないわ。でもこれだけは覚えておきなさい。好きな男を抱いた女は世界で一番強いッ!」



 スピカとエカチェリーナ。二人の視線が交差した。両者の青い両眼に、淡い光が宿る。

最近ブックマークが一気に外れて落ち込んでいたのですが、今朝見たらまた増えていました。ブックマークしてくださった方々、本当にありがとうございます!

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