第115話 怒りをぶつける相手
ナツキたち四人は雪の大地に降り立った。スピカによればクリムゾンは王城にいるという。水龍が薙ぎ払ったので半径十メートルほどの視界は開けているものの、あたりは木々ばかりで方向感覚が狂いそうになる。しかし視線を上げれば城の尖った先端がひときわ高く抜きんでているのが見て取れた。鼠色のレンガ造りをした城は白い雪世界でなお冷たい印象を与える。
陽は徐々に沈み始め、オレンジ色だった空は少しずつ青みがかった暗さを宿し始めた。この距離からでも城の上層階に灯りが点いているのが確認できる。
そうしてどこに向かえばいいかを四人が共有し歩み始めたときだった。
ビュゥゥンッッ!!
根っこからなぎ倒されていた木のうちの一本がギザギザと尖った断面をこちらに向けて猛スピードでナツキたちめがけて飛んできたのだ。ナツキたちを守るように踏み込んで前に出た英雄の青い眼が淡い光を灯す。
「えいっ!」
腰に差している小刀を二本抜き、刀身に通電させながら木を縦に両断していく。たった一本とはいえ太さは直径三十センチメートル、長さは二十メートル以上はある。とても普通の刃物では両断しきるまでに刃の部分が耐え切れない。
だから英雄は二本の小刀で電弧、すなわちアーク放電を起こした。電圧を抑えつつ高電流を流し、二つの電極の間に電位差をもたらすことでその間にある気体のプラズマ化させる。すると気体の分子は励起状態になり、まばゆい光とともに高温で発熱するのだ。二本の小刀を電極に見立てて用いることで、小刀と小刀の間に光と熱の弧を描く。故にアーク放電。
静電気のようなスパーク放電と違って持続的に放電する上に高熱を伴うので今回のように大木による攻撃を対処するにはもってこいである。現に二十メートルもあった木が高温で真っ赤になりながら粘土のように溶けて真っ二つにされていっている。プラズマ溶接や放電加工の応用だ。
「おいダリア、なに対処されてんだ」
「だってだってキリルくん、あの人二等級だよ!」
「チッ……格上か。まあ総合的な戦闘力で言えば俺の方が上だろうけどな!」
「私に負け越してるのに?」
「うるさい!」
森の奥から、王城を背にして二人の少年少女が姿を現した。美咲は思わず「こども?」と漏らす。てっきり警察か軍隊がやって来ると思っていたからだ。
だがナツキの顔には油断の色はない。今のと似た不意打ちを既に一度喰らっている。
「あいつらだ……。あいつらが、俺を倒した。そしておそらくそのときに夕華さんを連れて行った」
「それって爆発系の能力者っていう……」
「ああ。あの少年の方は爆発系の能力だ。おそらく液体をトリガーにしているから、遠距離でも警戒がいる。木を飛ばしたのは少女の方だろうな。俺が襲撃されたときは街路灯をぶっ飛ばしてきやがった」
実際に現場を目にした英雄だけは「ああ、そういえば折れた街路灯が地面をえぐりながら転がっていた」と思い当たる節があった。
ふとナツキは背後から殺気を感じた。殺気と言ってもナツキとっては刺すような冷たいものではなく、どこか温もりのあるもの。それを発しているのは黙って下を向いていた美咲だ。美咲がぼそりとこぼす。
「そうなんだ……。あいつらが暁をあんな目に遭わせたんだ……。ふーん……」
「お、おい、美咲、どうしたんだ?」
「暁、結城、スピカ、あんたたちは先に行きなさい。このタイミングで来たってことはどうせあいつらは私たちが空川先生を取り戻すのを邪魔しようっていうんでしょう? だったら私がここで足止めする」
「だが、相手は強力な能力者で」
「クスクス、ねえ暁、心配してくれるのは胸がトキメクほど嬉しいけど私を誰だと思ってるの? 真っ赤な一番星の雲母美咲様よ!」
今度は美咲が踏み出して前に出る。その瞳にあるのはナツキを傷つけられたことへの怒り。そして、ボロボロになったナツキの姿を日本支部の医療フロアの廊下でガラス越しに見たときの自分への無力感。
十数時間前は犯人を捜すアテもなくやりどころのない怒りに襲われた。でも今はナツキを半殺しにした張本人たちが目の前にいる。子供だからなんだというのだ。能力を得た子供は武装した一流の軍人すらときに軽く凌駕する。実際にナツキは瞬殺された。そこに年齢でもって甘く見てやる道理は存在しない。
美咲の決意を受け取ったナツキは深く頷く。
「わかった。……美咲、俺はお前を信じる。だが死ぬなよ。俺はお前の歌が大好きだ。聴けなくなるのはさびしい」
「す、好き!? 私のことが!? ……クスクス、ますます負けられなくなっちゃった!!」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだ!」
キリルが足元の雪を手の中でぐしゃりと潰して液体にしながら四人に向けて投げつける。ただキリルの子供の肩と腕力では直撃はさせられない。まして液状になっているためボールのように投げやすいわけではない。
四人の足元に着弾すると、ボンッ! という爆音とともに爆風を巻き起こす。地面に積もった雪が吹雪のように爆ぜて飛んできた。だが、キリルの真の狙いは爆発による攻撃ではない。雪を使った視界すべてを覆うほどの目くらまし。キリルは疾走し雪のヴェールごと四人を切り裂いた。見えない攻撃は予期できない。予期できないなら避けられない。しかし。
「な……いない!?」
接近したは良いもののそこには美咲たった一人しかいなかった。残りの三人がいない。キリルが振り返ると、この雪の爆風に乗じて王城に向けて走り始めたナツキたちの姿があった。
「あんたの相手は私よ。 ……この距離なら、外さない!」
美咲が手にしているのは銀色の銃。正確には、銃の形をした指向性スピーカー。音を増幅させる能力を持つ美咲のためのオーダーメイド携行武器だ。引き金を即座に引くや否や銃身の筒のなかで音という空気の波にベクトルが付与されていく。
そして銃口を出ると同時に、真っすぐに方向づけられた音の弾丸が美咲の能力によって高密度で射出された。それはキリルに直撃し、わざわざ大がかりな目くらましまでして詰めた距離をたちまちふりだしに戻して見せた。
三半規管を揺さぶられたキリルは頭を押さえながら膝を突き、おどおどしているダリアに叫ぶ。
「ダリア! あいつらを行かせるな!」
「う、うん!」
ダリアの視界の先にいるのは王城に向けて走り始めたナツキたち三名。引力によってこちら側の大地という地点とつなげれば、どんな脚力の持ち主でも逃げ去ることは叶わない。紫色の瞳に光を灯しながら、ダリアが能力を発動しようとしたときだった。
「引りょ……」
「──雲耀」
ダリアの能力発動を直感的に感じ取った英雄は首を回して振り返りながらギョロリとダリアを青い瞳で睨みつけ、能力を用いて光速移動を実行した。ダリアの目の前には、さっきまで遠くにいた英雄が至近距離で小刀を振り下ろそうとしている。咄嗟に『斥力!』と叫んで英雄を強引に遠ざけた。
斥力によってダリアと反発し弾かれた英雄は空中で放物線を描きながら後退するも、軽々と宙返りして着地する。華麗な有様は袴の柄も相まって雪原に花開く一凛の大輪のようだ。
「あのときベッドで眠る黄昏くん見てすっごく悔しそうにしてたのを見てたからこの場は雲母先輩に譲ろうと思ってたんだよ。ほんのついさっきまではね。……でもそこのお前。また黄昏くんに能力を使おうとしたね。さすがのボクもちょっと頭にきちゃった」
さらに英雄は立ち止まってこちらを振り返るナツキたちに向かって叫ぶ。
「……黄昏くん! スピカさん! ここはボクたちに任せて先に進んで! すぐに追いつくから!」
遠くても、ナツキの頷く様子はよく見える。英雄は大好きな友達の一挙手一投足を見逃さない。そして、それくらい大好きな友達を一度ならず二度までも傷つけようとした相手を許さない。
ダリアに目線を戻した英雄は宣言する。珍しく口調を荒げながら。
「ボクはお前の能力をコピーして使った相手を倒している。だから今回も、必ずボクが勝つ」