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第111話 クルセイダース

 日本時間十三時十五分 ロシア時間七時十五分



「こんなに広いなんてびっくりしたわ! てっきり狭苦しいエコノミーの座席に縛り付けられるとばかり思っていたのに」


「そうだな。俺も驚いた。星詠機関(アステリズム)が用意したのか?」


「いいえ。私物よ」



 飛行機に乗り込んだのはナツキ、スピカ、そして英雄に美咲。合計四人。それからパイロットがコクピットに一名いる。大型旅客機のように一人ずつの座席が決められているのではなくて、大きな広い個室になっており四人とも思い思いに過ごしていた。

 窓の外から見える雲の上の景色がなければ高級ラウンジと見間違えるほどだ。シートベルトはなくソファやテーブルが用意されていて、ズラリと並ぶ備え付けの冷蔵庫は二十にもおよびアルコールも含め多種多様な飲み物が適温ごとに分けて蓄えられていた。


 飛行機自体が航空機としては小型で、この一室を覗けばコクピットと整備室があるのみだ。元々はスピカが私用で購入したものであるため大人数を乗せることは前提になっておらず、それよりもできるだけ多く燃料を搭載し本体を軽量化することで長時間長期間の運用が可能になっている。


 ナツキは左手を黒いローブのポケットにつっこみ眼帯を指でもてあそびながら、はしゃぐ美咲を見ていた。さっそく瓶のオレンジジュースを開けてグラスに注いでいる。スピカによればこのローブ含めナツキが着ている黒い衣服やマフラーは全て姉のハルカが用意したものだという。現代人の服というよりファンタジー世界の剣士みたいで、弟の好みを適切に把握している姉には脱帽するしかない。


 円形のソファでナツキの正面にはスピカが座っている。美咲が左。さっきから静かな英雄は右にいる。ただし、英雄はナツキの膝を枕にしてスヤスヤと眠りについていた。あいている右手でサラサラとした髪を撫でる。

 腰に手を当て、無意識に胸を強調させるように身体を仰け反らせながらぐびぐびとオレンジジュースを飲み干した美咲がぷはーとグラスをテーブルに置いたところでスピカが尋ねる。



「ねえ、一つ聞いてもいいかしら」


「何よ」


「あなたたちなんで来たの?」


「なんでって、何が?」


「言ったでしょう。アカツキが戦うことになる予定の相手は私たちじゃ歯が立たないって。現地にツテのある私はともかくあなたたちが来たところで仕方ないのよ?」


「うーん……そうねえ。指を咥えて見ているだけっていうのは嫌なの。自分にできることが何なのかなんてまだわからない。ほら、私ってあんたたちみたいに能力もそんなに強くないし暁みたいに近接戦闘ができるわけでもないし。でも、行ってみないことには何ができて何ができないのかもわからないから。それに私だって少しは暁の力になりたい。暁にあんな大怪我をさせた奴らが許せないもの」


「そうか、美咲は夕華さんとも親しかったもんな」



 ナツキとしては、拉致されてロシアという遠い異国の地にまで連れていかれた夕華がここまで美咲に慕われていることがわかったことが嬉しくて放った言葉だった。しかし、誰を助けに行こうとしているのかをそもそも聞いていなかった美咲はナツキの発言に目を丸くする。美咲の知り合いの中に『ゆうか』という名を持つ者はたったの一人。



「暁がボロボロになってまで守ろうとした相手って、空川先生なの……?」


「あ……」



 つい勢いに任せて口走った。中学校でナツキと夕華の関係性を知っているのは英雄だけだ。もちろん美咲が変な噂を流すなどとは思っていないが、大っぴらに他人に言うような話でもない。

 てっきり不思議がられつっこんで色々と聞かれると思っていたナツキは、しかし微笑を浮かべるばかり美咲を見て困惑する。



「ど、どうしたんだ?」


「クスクス、ううん。なんでもないの。ただ良かったなって。あんたが傷ついてでも守ろうとして、そして今こうやって遠くに行ってでも助けたいっていう相手が私にとっても大好きな相手でよかったなって。私の大好きな人が私の大好きな人を大好きでいてくれるのって素敵なことじゃない!」



 その言葉にはスピカまでも瞠目した。スピカは元々ナツキに守るべき大切な相手がいることを知っていた。以前、初めてそう聞いたときに羨ましいと思ってしまったほどには動揺した。だからこそその中に自分も含まれると言われたときの喜びが大きかったのをよく覚えている。


 一方で美咲は、好きという想いの輪を歓迎している。

 もちろんその想いが世界を覆えるはずもないことをスピカも美咲もわかっている。でなければとっくに世界のあらゆる争いはなくなるはずだから。その意味では美咲の価値観はひどく個人的で狭いものだろう。

 それでも、内々に完結した確固たる想いをきちんと胸に抱いている。その想いや価値観の中に自分自身や手の届く人たちを置いている。

 美咲のこうしたリアクションはかつてナツキから似た話を聞く経験をしたスピカにとって驚き、かつ好意的に映った。



「なるほどね。よくわかったわ。あなたって私とはまた違って方向性で自信家なのね。だったら今は少しでも休んで英気を養っておきなさい。フライトは九時間から十時間。長いわよ」


「お気遣いありがとう。でも私はコイツと違ってあんたから色々聞いた後に仮眠を取っていたから平気。暁、結城のやつあんたが起きるまで自分も起きておくって言って聞かなかったのよ」


「徹夜させてしまったのか。申し訳ないことをしたな……」



 ナツキは眠りこくる英雄の頬のぷにぷにと指でつつく。それを見た美咲が『私にもしなさい!』と声を上げて英雄とは逆側の膝に頭を乗せる。

 両手に花となって困った顔をするナツキを眺めながらスピカも『そのうち私もしてもらおう』と心の中でぼそりと呟くのだった。

 フライトはまだまだ続く。



〇△〇△〇



 日本時間二十時二十分 ロシア時間十四時二十分



「そうだ。あくまで立食パーティーの形式は崩さん。料理もそのままで構わないとシェフたちに伝えておけ。それから音楽隊には俺が選んだ別の楽譜を用意してある。そちらで調整するように。ああ、十六時には招待客が訪れ始めるだろう。それまでにはすべてを完了させろ」



 クリムゾンは王城内の部屋の一つ、大広間で部下たちにきびきびと指示を出していた。普段の大きな態度が偽りでないことを示すかのように適切かつ迅速なリーダーシップを発揮している。

 この大広間には既に純白のクロスが敷かれたテーブルがいくつも用意されあとは料理を乗せるのみとなっていた。大広間は城内最大の広さを誇る。テーブルをどければそのまま社交ダンスパーティーに早変わりできるくらいには。部屋の上手(かみて)側には全体を一望できる小テラスがあり、主催者が集まった人たちに挨拶をすることを前提とした建築になっていた。


 クリムゾンに限らず、各国の首脳はこうしたパーティーを頻繁に行う。共和制国家の政治家の場合は資金集めと人脈構築のために。ロシア帝国のような君主制国家の場合は王室の正統性と権威のために。

 

 この日も財界人や大臣、他国の王家の遠戚などが数多く招待されている。ロマノフ王朝の皇帝としてクリムゾンを言外に承認すると同時に、クリムゾンが持つ王室の特権とネバードーン家の特権の両方の恩恵を受けようとしている連中だ。


 これまでもロマノフ王朝では直系男児が生まれないことはあった。しかし大抵の場合王室の分家の男児を本家の養子とすることで血を保ってきた。その点クリムゾンは王室とは一切関係のない部外者である。自身を皇帝と認めさせるには、腕っぷしや能力の強さ、経済力だけでなく、周囲の人心や正統性といった目に見えない外部要因も掌握せねばならない。それを本能的に理解して行動しているクリムゾンは生粋の為政者と言えよう。



「俺がパーティーで婚姻報告を兼ねるのも一度や二度じゃないからな。ハッ、皆も随分と慣れた動きだ」



 国内外の有力者に娶った女性を紹介するのもまた、後宮の側室たちの存在を認めさせ権威づけする役目がある。ロマノフ王朝という歴史ある血筋においてクリムゾンという部外者の血は少数派であり異端である事実には変わりない。目には目を。歯には歯を。血統には血統を。平たく言えば王家の血筋を自身の血筋で塗り替えようというわけだ。

 クリムゾン・ネバードーンの父、ブラッケスト・ネバードーンもまた多くの『子供たち』がいる。彼が撒いた種は世界各地で芽吹き、星詠機関(アステリズム)に敵対する形で花開いている。クリムゾンはこの血の力というものを当事者として嫌というほど感じてきた。それ故に多くの妻を娶るのだ。


 クリムゾンの狙いに気が付く者も多くいる。気が付いてなお従属しているのだ。しかし中には、反骨と抵抗の精神を持ち続ける者もいる。たとえば大広間の外の廊下で姉のアンナ・ロマノフと口論をしているエカチェリーナ・ロマノフのように。



「姉さん! どうして奴がユウカを妻にすることに反対しなかったのです!」


「ふふ、やっぱり二人のときは姉上じゃなくて姉さんって呼んでくれるのね。嬉しいわ」


「はぐらかさないで!」


「……その方が良いからよ」


「良い? 私の友の尊厳が傷つけられようとしているのに!? 聖皇と事を構えたら私たちの大切な国民にまで戦火がおよぶかもしれないのに!?」


「そうはならないわ。(わたくし)には全部わかるの。カチューシャは全部お姉さんに任せなさい」



 言い返そうとした。そんな無責任なことがあるか! と。今も鍵のかかった部屋に夕華は閉じ込めらているんだぞ! と。

 できなかった。昔からこうだ。姉がこの鋭い視線を向けたとき自分はいつも押し黙ってしまった。全てを見透かすような気味の悪い眼。姉は自分と違って能力者ではない。きっと本気で殴り合いの喧嘩をすれば自分が勝つ。それなのに勝つビジョンがまったく浮かばない、底知れなさがあった。

 

 力なく俯き拳を握ったエカチェリーナは黙って踵を返すことしかできなかった。



〇△〇△〇



「うっ……」



 着々と進行するパーティーの準備の裏で。夕華が目を覚ましたのは王城の一室だった。城の中でも高層の部屋なのか窓からは外が見下ろせる。一面が木、木、木。そして森の真ん中を人工的に切り開いた一本道があり、ここだけは舗装されていて自動車も快適に通れるようになっている。夕華も今朝はエカチェリーナの小宮殿から王城までリムジンに揺られながらこの道を通って来た。


 腹部の軽い痛みをさすって和らげた夕華はどうしてこんなところにいるのかと記憶を辿る。エカチェリーナに連れられて皇帝クリムゾンと王妃アンナと謁見し、そこでクリムゾンがいきなり求婚された。でも自分にはナツキという命をかけて一生守ると誓った相手がいるので、応えることはできないと断った。そして衛兵によって意識を奪われてここに閉じ込められたのだ。



(そうよ。私にはナツキっていう守るべき子が……。ちょっと待って、でもナツキは私の目の前で……)



 昨日エカチェリーナは言っていた。自分のところに運び込まれて意識を取り戻したとき錯乱状態で医者が鎮静剤を打ったと。記憶に混濁があるかもしれないと。

 睡眠の役目は脳による記憶の整理だという。たしかに昨晩寝たときにも記憶のとっかかりはあったような気がする。そして現在、強引だったとはいえ意識を奪われこの部屋で寝ていたことで脳が記憶を引っ張り出してきたのだろう。ナツキが爆発する惨劇じみたその記憶を。


 一気に血の気が引く。ナツキは無事なのか? 病院に行けたか? まさか、自分を連れ去った連中に殺されてはいないか。

 昨晩電話をかけたときは通じなかった。それもそうだ。無事に病院に行けていても、最悪の事態になっていても、電話なんて出られるわけがない。

 まずは正確な情報を得ることと、日本に帰ること。この二つを最優先に考えよう。青いドレスは歩きづらく転びそうになるが、駆けるように部屋の扉に向かう。だが、いくらノブを捻っても開かない。外から鍵がかけられている。



「ナツキ……」



 ドアノブに手をかけたまま崩れ落ちるようにその場でへたりこむ。泣いていても仕方ない。そう思っても、ナツキに万が一のことがあるかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになる。

 起きたときに鎮静剤を打たねばならないほど錯乱していたというのも納得だ。ナツキがあんな目にあって、そして自分はナツキから引き離されて、それでまともでいられるわけがない。


 同時にクリムゾンへの不信感が一層増していく。さっきは『能力』などと本気で言っていた。そして夕華自身、謁見の間では実際にその一端を目にした。そんなファンタジーなパワーが本当にあるとしたら、あのときナツキを襲った少年が起こした爆発にも説明がつく。クリムゾンの妻になる気など毛頭ないが、彼らは自分の想像している以上に危険な相手なのかもしれない。


 だが。この危険という認識を持ったことが夕華に思考に変化を生じさせた。

 そんな危険な連中をナツキに関わらせてもいいのか? 


 仮にナツキが無事だとして。いいや、きっと無事だ。そうに違いない。そしたらナツキは日本の病院にいるわけだ。そこに自分は帰りたいと思っている。クリムゾンの意思から抜け出して。

 でもクリムゾンから逃れるのに成功してナツキの下に帰れたとして、クリムゾンが諦める保証がどこにあるのか。最初に刺客を差し向けたように、逃げたところで何度でもナツキとの平穏な日々を脅かそうとするのではないか。



(そしてその度にきっとナツキはまた立ち向かう。私を守るために。……あの子は本当に優しくて素敵な男の子だから)



 今回ナツキが無事だとしても次回も無事とは限らない。だったら、その「危険」をナツキから遠ざけるには自分が日本に帰るわけにはいかない。



(いっそ私という存在であの男をロシアに縛り付けて、日本やそこに住むナツキに手出しできないようにして……)



 夕華とて王妃アンナほどの権力を得られるとは思っていない。それだけの血統も女性としての魅力も持たないと考えているからだ。

 でも、床を同じくしたならば多少は諫言にも耳を傾けてくれるのではないか。歴史を繙けば傾国の美女と言わずとも女性が男性の為政者を裏から操っていた例など枚挙に遑がない。



(あんな男に触れられるなんて、まして抱かれるなんて、絶対に嫌……。でもそうすることでナツキの安全を守れるなら私は……)



 十歳の少女だった夕華は赤子のナツキを見て死んでもこの子を守ると誓った。死んでしまうことに比べれば、憎いほど嫌いな男のものになるくらいどうということもない。クリムゾンの見た目は非常に若々しいが、それでも三十代前半くらいだろうか。ならば二十代前半の自分よりも先に寿命を迎えるだろう。そうなれば将来ナツキに会いに行くことだってできるかもしれない。


 やるべきことと希望への道筋がはっきりしたことで夕華の身体は活力に満ち始めた。こんなところで座り込んでいる場合ではない。立ち上がり、ドレスが皺にならないように直す。

必ずクリムゾンを篭絡させる。それがナツキを守る最善の策だと信じて。

読んでくださっている方々、ブックマークしてくださった方々、いつもありがとうございます!

注意書きと言いますか、今回は一時的にこんな内容ですが最終的に胸糞やNTRのような展開にはならないので心配しないでください。

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