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第110話 クランケとアルツト

 日本時間十一時四十五分 ロシア時間五時四十五分

 


「ここは……」



 一定のペースで鳴る機械的な音がドラマなどでしばしば目にする心電図の電子音だと気が付くのに二秒。さらにその心電図が自分のもので、どうやら病院にいるらしいと気が付くまでにさらに三秒。目を開けてから起き上がって状況を把握するまで五秒もの時間を要した。

 口につけられていた透明な酸素マスクを引っ張って外す。腕のよくわからないチューブも全て。あたりをキョロキョロと見渡すが建物の外に通じる窓はなくここがどこの病院かはわからない。一面ガラス張りになっている向こう側は廊下になっているようで、まるで新生児にでもなったような気分だ。



「ど、どうなっているんだ!」



 バタン! と勢いよく扉が開けられたかと思えばボサボサ頭の若い男が大声を上げて入って来た。白衣をまとい手にはカルテらしき書類を持っていることから医者だとわかる。

 医者は心電図の画面を見て、心拍や血中酸素飽和度に異常がないことを確認し、さらにカルテの紙を何枚もめくってデータを目を走らせている。少なくともこの医者の見立てでは、というよりも現代の医学の常識ではナツキの完治には倍以上の時間がはずだ。それなのに現にナツキは自力で意識を目覚めさせた。驚異的な再生力によって皮膚の傷や火傷も治癒されている。あまりに常人離れした身体機能。

 ナツキがしばらく黙って眺めながら待っていると、あらゆるデータに目を通し終えた医者は静かにこちらを見て真面目な顔で言った。



「きみは本当に人間かい?」


「ククッ、生物学上の定義はな」


「そうか」



 ガシガシと頭を掻きながら医者はカルテに何か書き込みをし始めた。ナツキとしては自身のノリが軽く流されたことで少し絡みづらさを感じていた。同時、やはり自分の根幹にある中二らしさは抜けきっていなかったと気が付いて恥ずかしくもなる。自分は夕華のためにも中二病など卒業して、異能バトルへの憧れも捨て、普通の人生を歩むと決めたのに……。


 いいや。違う。そうじゃない。あの後、夕華と二人で帰る途中で能力者の強襲を受けて……。



「そうだ、夕華さんはどこに! おいアルツト! 俺と一緒に綺麗で美人な女性がいなかったか!」


「クランケからドイツ語で呼ばれるなんて思わなかったよ……。そしてその質問の答えはナインだ。少なくともきみはたった一人でここに運び込まれてきた。本当だったら最低でもあと三十時間は目を覚まさないはずだったんだけどなぁ」



 それを聞いたナツキはすぐさまベッドから出た。もし医者の言うことがたしかなら、夕華は突然襲い掛かって来た能力者の前で無防備だったことになる。この心配が杞憂であのまま見逃され無事帰宅できていたならそれで良し。そうでないなら……。最悪の場合が脳裏をよぎる。



「おっと、これはきみのだろう」



 医者に呼び止められ振り返ると眼帯を投げ渡された。自分がいつも右眼につけている眼帯だ。



「診察の邪魔になるからコンタクトは外させてもらった。それと、特に眼の疾患は存在しなかったよ。きみにその眼帯は必要ない」


「そうか……ククッ、そうだな」



 ナツキは眼帯を握りしめ、診察服のポケットにしまった。病室を出て廊下まで行ったところで、ようやくここが星詠機関(アステリズム)日本支部のビル内部だということがわかった。見慣れた階段やエレベーターが目についたからだ。

 そしてちょうど階下を目指して階段を降りようとしたとき、エレベーターが開いて数名が降りてくる。



「黄昏くん!!」


「おっと、英雄か?」



 車に追突されたのではないかというほどの衝撃が腹部を襲う。英雄が走って抱き着いてきたのだ。色素の薄い茶色のセミロングヘアからはふわりと苺の香りがし、肩を抱き締め返すと男子とは思えないほど華奢で柔らかい。



「ぐすっ……本当に心配したんだよ……ボロボロで倒れてたんだもん…………」


「そうか、英雄が俺を運んでくれたんだな。ありがとう」



 すると、今度は腕を取られて身体を横に引っ張られる。二の腕をもにゅもにゅとした質感が包んだ。



「もうバカ! 心配かけさせないでよ!」


「美咲も来てたのか……」



 赤いツインテールがしおれたかのように垂れ下がっている。美咲はナツキの腕に抱き着いたまま離そうとしない。二人の美少女に密着され五感の全てが甘くてくらくらしそうになる。

 そんなナツキを一気に現実に引き戻す声が耳朶に響いた。それは忘れようもない人物の声。黒いブラウスに黒いジャケット、黒いフレアスカートと黒いニーハイソックスに黒いローファー。そしてプラチナのように輝く美しい白銀のロングヘア―。



「ハダルが言ってたぴったりちょうどの時間で出てきたわね」


「お前は……」


「久しぶりねアカツキ。ずっと、ずっとずっと会いたかった」



 それまで英雄や美咲には欠片も見せなかった満面の笑みで、スピカはナツキを出迎えた。



〇△〇△〇



「いい加減アカツキから離れなさい。言ったでしょう。あれくらいの怪我なら常人の数倍の速さで治る特別な身体だって」


「そうだけど……」


「だって……」



 英雄も美咲もナツキを離そうとせず、スピカは困った顔でナツキを見つめる。ナツキはナツキで二人を心配させてしまった手前蔑ろにするわけにもいかず苦笑を返すことしかできなかった。



「本当は私もアカツキを抱き締めたいところだけど、いいわ。独占は美しくないもの。あなたはそれだけ魅力ある人だって私が一番理解しているから」


「スピカ、俺もずっと会って話したかった。聞きたいことがたくさんあった。その、お前も能力者だったんだよな……?」


「何を言っているの。散々使ってみせたじゃない。私もあなたも」


「俺は……」



 ハルカはスピカにナツキに関する情報を細部まで詳らかに話したわけではない。ナツキの本来の能力も、特異な体質も、以前のグリーナー・ネバードーンの騒動で直接目にしたスピカにとっては一等級としての圧倒的な強さはすっと理解できるものだった。ただしナナのように人格云々の話は聞いていないので、あのとき能力を使って生き返ったナツキはスピカがよく知る彼の生来の能力だという風に思っている。


 このように実際にナツキの絶大な能力を体験したスピカにとっては、現在ナツキの眼が黒いのも自分のあずかり知らない何らかの理由によるものであるとしか思っていない。それに元々初めて出会ったときから片眼は黒かったのだから。眼が片方黒いとか今は両方黒いとか、そうした事実を瑣末事と見做してしまうくらいにはあの晩に体験したナツキの一等級の能力の規格外さはスピカにとって衝撃だった。



「ああそうそう、ハダルからあなたの服も預かってるわ。急いで準備しなさい。日本時間の十三時には飛行機を出すわよ」


「飛行機って、何を言って……」


「あなたの大切な人、ロシアに連れ去られたわ。もちろん助けに行くと思って飛行機も準備してある。そのために私は来たんだから。それとももう少しベッドの上でゆっくりしておく?」


「ククッ、まさか。詳しい話は機内で聞こう。俺を襲撃した連中について俺は情報を持っていない。知らない相手をぶちのめすことはできんからな」


「……それでこそ私が惚れた相手ね。ほら! あなたたちもいい加減離れなさい!」



 さすがにナツキの邪魔はすまいと英雄も美咲も潔く身体を離す。

 これからナツキが戦うかもしれない相手は強い。スピカはそれがわかっていてなお彼を止めることはしない。ナツキにとって大切な人たちはこの星この世界よりも重たいものなのだということをスピカは直接聞いたことがあるからだ。

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